詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

相変わらずの読書三昧。

2010年03月21日 | Weblog
昨日読了したのはー
①「コールドマウンテン」チャールズ・フレイジャー
「風とともに去りぬ」と同じ時代・舞台の愛の物語だけど・・それより10倍くらい面白かった。
確か映画化されていたはずと思うけど、多分映画も相当面白くなるはずと思う。

②「百年の祈り」イーユン・リー
印象としては、ヘミングウェーや魯迅を連想した中国出身の米国作家。
07年『グランタ』で「もっとも有望な若手アメリカ作家」に選ばれたのが納得できる一冊だった。
タブーへの挑戦の姿勢は、更なる傑作を予想させる作家だと思う。

今日読了したのはー
「隠し部屋を査察して」エリック・マコーマック(東京創元社)
カフカを連想させられた・・スコットランド出身のカナダ作家は、ぼくの大好きなSFとホラーの要素が多くて、久しぶりに本を読んだなと満足。
日本でいうと・・筒井康隆(つかこうへいの次に全作品を読んだ作家)を、もっとホラー的にして、ユーモアとグロテスクさを加味した作家かもしれない。


スウェーデンのベストセラー「世界の果てのビートルズ」ミカエル・ミニエ読了

2010年03月19日 | 日記
大好きな国スウェーデンの小説というので、読み出したんだけど・・スウェーデンというイメージは、良い意味でも悪い意味でも裏切られたけど・・チェコの”チャッペクの再来”と言われた作家の本以来、大笑いした小説だった。

ぼくはまだ観てないけど、2004年に映画化されたのだとか・・北極圏という点や複雑な言語の点だけでも、どやって映画化したんだろうかなと興味深々。

スウェーデン映画は、ベルイマンや「犬のごとき人生」等・・僕の「好きな映画ベスト100」に入れたい映画が多いけど・・
僕が映画監督なら、この原作のホラーの帝王キング的要素(「スタンド・バイ・ミー」!)や、チャップリン的要素や、フランス映画「わんぱく大戦争」(?)的要素よりも、「犬のごとき人生」とも共通する抒情性を強調するかも・・

詩 歴史(文明と文化)

2010年03月18日 | 歴史
誰の言葉か忘れてしまったけど
  「歴史は流れ去るものじゃなく
   積み重なってゆくものだ」

日本列島には
あらゆる歴史がある
文化や文明ばかりではなく物の歴史もまた
人間が始まって以来古い
アニミズムやシャーマニズムがまだまだ
沖縄や東北端や北海道のアイヌ民族には息づいている

ぼくは断言する
アイヌ民族のユーカラ(神話)や風習には
人類の文明と文化と物の歴史のすべてが
奇跡的に残されてきたのだと

文明と文化とは
決して対立するものではない
時には重なりあったりもする

誰もが使用可能な火や道具の使用が
地域の風土の違いで独自に発展したり
そこから生まれた偉大なシャーマンの夢物語が
その共同体の人々に支持されたものが
神話として積み上げられていって文化となったのだと思う

地上のほとんどの地域では
大宗教や欧米文明がそのほとんどを破壊してしまったが
この列島には
奇跡的にそれらが残った
それがぼくらの出発点であり
人類の未来に寄与する道だと思う

「バルザックと小さな中国のお針子」ダイ・シージエ(早川書房)読了

2010年03月18日 | 政治
ぼくの好きな中国映画は、「山の郵便配達」「初恋のきた道」等・・ほとんどが山奥の少数民族の地が舞台の映画ばかり。

映画の原作にもなったこの本は、今年のぼくのベスト10の現在のところトップの作品。
どこを舞台にして、何を題材にしても・・文学や詩や映画は可能なのだと感じた。

◆↓日記の死刑についてはー
ぼくのアメンバーブログ(http://ameblo.jp/pikkipikki/)に死刑についての反論があったので、死刑について考えてみた。(ぼくは消極的死刑廃止論者&消極的菜食主義者で、その理由は下記の①③の理由。)

現在の死刑廃止論は四つに分類可能ではと思う。
①前近代な警察検察や裁判制度のためにあまりにも冤罪が多すぎる(取調べ等の全面映像化なしには無理)
②国家が果たして個人を殺人の権利を持っているのか。その根拠が不明。
③菜食主義にも共通する考え方ー人間は必要最低限しか他の生命を殺すべきではない
④死刑廃止へと向かっている世界の動きに逆行するのでは
→②と④については不勉強でよくわからないというのが・・




坂口安吾、花田清輝、大西巨人・・小泉・竹中

2010年03月17日 | 日記
◆国民の大多数を貧困へと追い込む一方で、しこたま私腹を肥やした小泉・竹中は死刑とはいわないまでも、全財産を没収すべきと思う。
そう思った記事『大不況の元凶は小泉首相と竹中金融担当相が実施した「ドル買い」が原因』はー『ここ』

デジカメ片手にぶらぶら散歩してたら・・ 向こうから歩いてきた全然知らない素敵な美人に挨拶された。
「こんにちは」
「こんにちは、いい天気ですね」

◆学生時代に熱中したのが、坂口安吾と花田清輝だった。この両者に共通しているのは歴史への切り口の新しさだった。

3月16~28日、東京・両国シアターXで彼の演劇が上演されるとか。
《さらに祭りのフィナーレには大西巨人の大作『神聖喜劇』の演劇版が登場する。花田と大西は、筆法はまるで違うが、日本の新しい文化をうみだしてきた僚友でもあった》
詳しくはー『ここ』

タブーやモラル崩壊の題材が多い英国作家イアン・マーキュアン「アムステルダム」読了

2010年03月17日 | 日記
この作家に近い日本作家は、タクシー運転手の在日作家ヤン・ソギルではないかと思う。その理由はータブーへの挑戦と、とても映像的で映画化が面白そうな点だ。

「月はどっちにでている」「夜を賭けて」「血と骨」「闇の子供たち」等のヤン・ソギル原作映画は、彼の作品の中ではまだまだ穏便な内容で、朴韓国大統領暗殺犯の物語や、日本ホラーで最も怖い「H」等のもっと過激な作品が山ほどある。

一方のイアン・マーキュアンもまた、レイプ・小児愛・人肉食等・・さながらタブーの博物館といった趣のある作家だと思う。

何故この作品名が「アムステルダム」なのかは・・巻末の「訳者あとがき」で述べられているが、作品中でのこの言葉がとても印象的だった。
《角にはこぎれいなコーヒーハウスがあるが、おそらくドラッグを売っているのだろう。
「ああ」と、最後にジョージが言った。
「オランダ人てのは合理的な法律を作るもんだ」
「そうだね」とガーモニーも言った。
「合理的ということになると、連中は行きすぎるからな」》

詩 蒼穹

2010年03月17日 | 
たたかいの言葉は
風のように語られるべきだ
あるいは
降りそそぐ雨のように

たたかいの言葉は
誰かのためにではなく
自分だけのためだからだ
結局は

明日こそは
長いあいだ待ち望んできた
死ぬにはふさわしい
インディアンサマーの蒼穹なのかもしれない

詩 窓ガラス

2010年03月16日 | 
この国の窓ガラスは
どれもこれもが
春の雲気のために曇ってゆく窓ガラスばかり

ふるさとでかつて
ぼくらが暮らした廃屋の窓ガラスもまた

拭いても 拭いても
たちまちに曇ってしまう
この国のありとあらゆる窓ガラスの不幸よ

すべての窓ガラスに
いつの日にか
これぞ禁断の文字という文字を描いて
その後に叩き割ってみたい

血だらけの拳で叩き割る勇気がないというなら
むしろ存在しない方がいい
窓ガラスとぼく自身なのだ

花粉症、不思議な癌、冷血動物、『消された覇王ー伝承が語るスサノオとニヒハヤヒ』小椋一葉

2010年03月16日 | 歴史
今まで読んだ古代史の本の中では、もっとも説得力がある本だった。
古代史ファン必読の本で、日本人がその歴史を取り戻すために是非読むべき本と感じた。詳しい感想はまた今度。

◆金が余って困ってる官庁もあるんだなと嘆息・・
検察の裏金つくりの実体についての記事はー『ここ』
◆許しがたい民主党内自民党議員で創価学会妻言いなりの冷血動物(偽メール事件で民主党若手ホープを自殺へと追い込んだ)前原大臣についての記事はーh『ここ』

◆花粉症らしいので、早速花粉症に効く食べ物を検索したらー『ここ』
◆アイヌ民族関係ブログで面白い記事「愛知県がんセンター研究所長 田島和雄さん 人の移動の歴史映す病(西日本新聞)」発見(沖縄が一番多いのに何故か言及してないな)はー『ここ』


夢シリーズ(2) やばい夢をみてしまった

2010年03月15日 | 日記
毎日毎日理屈っぽい事ばかり考えているので、夢の中にまでも理性が顔を出すようになってしまったのかもしれない。

場所は、学生時代に似たような事があった山小屋らしい。さて就寝時間となって、隣人をみると・・なんと吉永小百合似でスタイル抜群の絶世の美女!

その彼女がとても寝相が悪くて、Tシャツにパンツ一枚というのに(暖房をガンガン炊いてるらしくてとても暑い)・・その手や脚を僕の腹の上へとのっけてくる。

仕方ないので、最初のうちは彼女の手や脚をどけていたのだけど、そのうちに眠れないのと、面倒くさくなってしまって、その脚や胸に触りだした自分。
ついには・・彼女の○○○へとまで手を伸ばして触りだして・・わが息子もやる気まんまんの戦闘態勢へと。

突然夢の中で、ぼくの理性のスイッチが入ってしまった。『いくらなんでも、こんな大勢の中での行為はやばいなーやっぱり止めておこう・・』

朝起きて彼女の顔を見ると・・とても怒っている。「ごめん、また今度」などと変な言い訳を言ってる自分。
お腹が空いたので、部屋の真正面の売店へと。突然パンツを履いてないことに気がつく。いくらパンツを探しても見つからないで、いつの間にか着ていた長袖シャツを引っ張り下ろす。

売店には野菜しか売っていなかった。すぐ食べられそうなのはトウキビくらいだけど、誰かが食べたような跡のトウキビだ・・
『まあいいか』とそれを買うと、その売店のおばさんが「ごめんね」と何かをおまけにつけてくれたんだけど・・それが何だったのはちと思い出せない。

葛の花踏みしだかれて色あたらし。この山道を行きし人あり(折口信夫)

2010年03月14日 | 歴史
「日本の文学ー柳田国男・斉藤茂吉・折口信夫」(中央公論社)を持って・・梅や桜を遠く見ながらの読書だった。

再読の柳田国男の本は、何故か春に似つかわしいなと思う。
彼の言説は鋭い、鋭すぎるが,それを完全に否定したのが坂口安吾だったのだと思う。

すなわち、天皇も皇族もすべて朝鮮半島からやってきた侵略者の末裔たちで・・彼らの作った国の国号「日本」も、「天皇」という王権も、たかだか、約千三百年前からに過ぎないのだと・・

詩 流氷(ザエ)

2010年03月14日 | Weblog
開放のための扉は
いつだって目の前に見えていたというのに
すべてから開放されたいという気持ちが
いつもとんと希薄だった

あえて
地獄とやらを
体験したかったのかもしれない

すべては流氷(ザエ)のように
いたずらに音をきしませて
ぶつかり合うばかりと諦観していた

漆黒へとかわりゆく蒼穹と
揺れやまない木立の葉群のように
すべてはなるがままになるしかないと

あるいは
明日どうやって
誰かをだまして
一食分をそいつから騙し取ろうかと

そんな風に墜落してゆく快感こそが
人生なのだと・・

故郷の流氷の海辺で信じ込んでしまった
あの日 あの時の
きみへの頌歌への結末を
明日どうつけようかと生き続ける

ビート北野武のフランス最高勲章授賞式映像を見て

2010年03月13日 | Weblog
フランス人は変わっているな・・というのが第一印象だった。多分フランス人には稀有な才能だったんだろうと思う。

ビートたけしは、本音で、弱者を揶揄中傷することで時代を先取りした漫才家だったと思う。映画や映画批評も水準以上の面白さだったが・・

でも僕はやっぱり、ビートたけしよりも、横山ヤスシや立川談志の方がはるかに好きだ。毒がずっと多いのに、笑えるし、笑った後にほのぼのした気持ちになれる。

ビート北野武というと、ついつい司馬遼太郎と松下幸之助を連想してしまう。彼らは現実日本を否定して、前者はあまりにも明治時代を理想化してしまったし、後者は、松下塾という・・とんでもない売国奴的新自由主義の出世主義者ばかりを輩出してしまったという歴史的なアイロニーを感じる。(原口総務大臣だけは唯一の例外だけど・・)

今日生まれて初めてオオジシギ(ぶとしぎ)の飛ぶ姿と鳴き声を聞いた

2010年03月13日 | 日記
オオジシギ(ぶとしぎ)という鳥に興味を持ったのは、色々な理由がある。
その①は賢治童話とアイヌ民族の神話との関係でー
現存する宮沢賢治の「よだかの星」草稿の表紙の題名の「よだか」という文字を消して「ぶとしぎ」(オオジシギの地方名)と書き換えてある点だ。
オオジシギ(ぶとしぎ)は大陸から、東北地方や、特に北海道に飛来する渡り鳥で、北海道各地のアイヌ民族のユーカラにも登場し、各地のコタンにはそのオオジシギの舞いも多いという。
下記に書いた雲雀についてのアイヌ神話は同じ構造で、賢治自身も雲雀が好きだったらしくて、多くの作品に登場するのは興味深い。

その②はオオジシギ(ぶとしぎ)とよだかとの類似性でー
・ずんぐりした体型の不恰好な鳥で、色も茶色、黒、黄褐色のまだら模様。
・空をよく飛び回る
・夜になると餌をとる(オオジシギは繁殖期には昼間も活動)
・鳴き声が個性的(大きな声で鳴き、うるさい音で急降下するので、故郷北海道では「雷シギ」や「ジェットシギ」等と呼ばれる)
・中型の鳥
・どっちの鳥の鳴き声も一度聞いたら忘れられないまるで絶叫のよう
(オオジシギの鳴き声は、アイヌ神話では「ズビヤーク、ズビヤーク」や「チャク、ピーヤク、ピーヤク、ピーヤク」等と表記されたりや歌われる)

その③は、雲雀の神話と同じ構造を持っているオオジシギについてのアイヌ神話の内容でー
アイヌ民族は、そのオオジシギ(ぶとしぎ)や雲雀を元々「天に住んでいた鳥」と考えていたらしい点だ。

この両方の鳥ともに、元々天に住む鳥で、ある日神様から下界の人間たちの様子を見てこいと命令されて、地上の草原へと舞い降りてきたが(日本神話の高天原からの使者の話しに似ている)、あまりの楽しさに神様からいいつかった仕事を忘れて遊び呆けて過ごしてしまった。
ところがだいぶ時間がたってから、やっと神様から与えられた仕事を思い出して、その仕事を済ませて天に戻ろうとした。
「チピヤク、チピヤクです・・」と自分の名前を叫びながら、空へと舞い上がっていったけれども、神様はとても怒っていて、「頼んだ仕事を忘れて遊び呆けた奴は、もう天に戻って来なくてもよい」と責められ、散々叩かれ身体中傷ついて、泣きながら地上へとまた・・の繰り返し。

雲雀についてのアイヌ民族の神話も同じような内容だった。
ところで、賢治の童話「おきなぐさ」の原稿裏表紙には、<花鳥童話集>の構想メモが残っている(『注文の多い料理店』刊行後に賢治が作ろうとしてた童話集)。
そこには、次の11編の童話の題名が書かれている。
それはー「蟻ときのこ」「おきなぐさ」「畑のへり」「やまなし」(大好きなシュールなメルヘン)「いてふの実」「まなづるとダリア」「せきれい」「ひのきとひなげし」「ぼとしぎ」「虹とめくらぶどう」「黄色のトマト」(賢治と妹らしき幼い兄妹の物哀しいメルヘン)等・・
これらの作品に共通する特徴は、超現実的な一編の詩と言えるのかもしれない。そのような意味では、「よだかの星」を「ぼとしぎ」へと改作しようとした賢治の意図は実現しなかったのではと思う。

注:この文のために引用・参考にした文献は『賢治鳥の世界』(小学館)

◆日本最強の犯罪集団検察の裏金の作り方についてはー『ここ』
◆どうして原発にこれほど事故が多いのかー最近の10年間で1463件の事象(事故という言葉を使いたくないので考えだされた業界用語)を起こしている。10年間に稼働していた原子炉は55基。(ふげん、泊3、実験炉含まず)原子炉ひとつに付き、年2.7回の「事象」(事故)がおきている計算になる・・の理由がやっとわかった記事はー『ここ』

詩 コタツから愛を込めてー

2010年03月12日 | 
山はまだ
そのほんとうの高さがわかる稀有の存在
あちこちが残雪でまた真っ白になって

雨降りだというのに
ひばりはけなげに雨空で鳴いている

ぼくら「日本人」の幸せと不幸とは
もう千三百年間
(たかが千三百年間!)
「日本」という国号と「天皇制」という
権力者に作られてきた
ぬるま湯の中で生存してきたという幻想

いつかそれは打破されることだろう
そのためには
「日本人」は
この「日本国」のほんとうの歴史を
とりもどさなければならない

曇りきったその視界に
一度ワイパーを作動してみなければならない