多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

小野さやかの「アヒルの子」

2010年06月03日 | 映画
ポレポレ東中野で映画「アヒルの子」(小野さやか監督 2005年)をみた。ポレポレで映画を見るのは2年ぶりくらいのことだ。
この映画を見に行こうと思ったのは、ひとつは制作総指揮が原一男さんだったこと、もうひとつはヤマギシ会をモチーフにしていることだった。

原監督は、「極私的エロス 恋歌1974」「ゆきゆきて、神軍」「全身小説家」などの監督だが、わたくしはとりわけ「ゆきゆきて、神軍」に強い衝撃を受けた。原さんが日本映画学校のドキュメンタリーのクラス担任をしていたとき、卒業制作として20歳の小野さやか監督がこの映画を撮った。
またヤマギシ会はわたくしの中学時代のクラスメイトが入会し、いまも三重県に住んでいる。その人の子どももヤマギシ学園に通学していたはずで、どんな学校なのか関心があった。ヤマギシ会は1953年に養鶏改良団体として発足した「すべての人が幸福である社会」の実現」をめざすコミューン団体である。村上春樹の「1Q84」のモデルではないかと話題になり、とくに「リーダー」のモデルが杉本利治氏ではないかと宗教学者の島田裕巳氏が指摘している。
ただ監督は5歳のときにたった1年幼年部に行っただけで、しかもその1年は記憶から喪失しているとのことで、後者の期待はかなわなかった。しかし小野監督にとってその1年間は「親に捨てられ」、20歳まで心のトラウマとして残った重大な期間だった。
ヤマギシ会は、1975年に「子ども楽園村」という小中学生向けの1週間程度の宿泊教室をスタートした。85年ころからヤマギシ会は急成長し会員も増え、85年幼年部、86年高等部、89年中等部、91年初等部が次々に開校した。一方88年に高等部生徒が事故死したり91年にバスのなかで2歳の幼児が死亡する事故も発生した。
小野監督は愛媛県新居浜生まれ、4人兄弟の末っ子で両親と祖母の7人家族で生まれ育った。ヤマギシ学園幼年部に入ったのは89年で、5期生に当たる。
映画の前半は、心のわだかまりを両親、二人の兄、そして姉にぶつけるストーリー展開で、後半は15年前の幼年部の住所録をみつけ、広島、埼玉、福岡、熊本、大阪など各地の同級生を訪ね、最後に三重県津市の豊里実顕地を再訪し、5歳当時のビデオ画像の「自分」に再会する話だった。こわくて、毎日ふとんに入ると泣いていた記憶しかなかったが、ビデオのなかでは自分も含めどの子もニコニコ笑っていた。自己カウンセリングやエンカウンターグループの映画に近い。前半のほとんどのシーンで監督は泣いていた。
家族出演の卒業映画なので限界があるのだろうが、カメラを向けられると男性は照れてしまうようだ。とくに2人の兄はそうだった。一方「なんでそんなことあんたにいわれなならん。ウチかて同じや」と言い返していた姉は登場人物として存在感を示していた。
一観客としてみると、こちらがご両親の年代に近いせいもあり、ご両親とくにお母さんは立派な方にみえた。監督は、お母さんがいう「さやかちゃん、さやかちゃん」とかわいがられて育った子どものように思える。
映画としては、監督の気持ちが先走り、ディテールの表現が不足し、まだまだ甘いように思った。個人の「トラウマ解消」の映画なので仕方がないが、ヤマギシをテーマにしているのなら同級生の男の子や、ヤマギシに住み込んでいる家族の子弟にも取材してほしかった。
原監督との関連では、全国の同級生を訪ねる場面が「ゆきゆきて、神軍」と似ていた。だが、取材時の取材相手しか写さないので、もうひとつインパクトはなかった。
ただし、心の底に潜んでいたものを家族にぶつけて解放し、同級生との対話で失われた記憶を取り戻す「ストーリー構成」はしっかりしていた。また、ほかの同級生がきれいな格好をし標準語で話しているのに、監督だけ素ッピンで伊予弁(新居浜弁?)丸出しなのは好感がもてた。そして、赤いまんじゅしゃげ、電車の車窓からみえる四国の田園風景、赤い月など、いくつか印象的な映像が見られた。
「自分らしさ」を映像として表現できるようになれば、優れたドキュメンタリー映像作家になれるかもしれない。

上映後、菅原哲男さん(児童養護施設「光の子どもの家」スーパーバイザー)とのトークショーが開催された。菅原さんは、埼玉県で「光の子どもの家」という児童福祉施設をつくって25年になる。子どもには呼べばすぐ答えられる範囲内に居続ける大人が必要で、そういう大人(菅原さんは「隣る人」と呼ぶ)がいてはじめて安心して育つことができる、と主張する。そして「この映画をみるのはこれで3度目だが、大きい場所で子どもをかり集めて育ててはいけないことを再認識させられた」と述べた。

☆場所が東中野だったので、当然ながら帰りに丸小に立ち寄った。ところが案の定満員で15分ほどブラブラして、3度目にやっと入ることができた。コップ酒1杯、焼鳥3本で440円という安さ、混むはずである。以前に比べ女性や若者が増えてきた。店にとってはいい傾向である。
多忙なマスターとは一言しか話ができなかったが、中学の同級生なので、ヤマギシの友人のことを覚えていた。
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