多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

格差・貧困蔓延社会の「蟹工船」ブーム

2008年12月30日 | 集会報告
新潮文庫の「蟹工船」が発表後80年を経た今年1年で増刷55万部と爆発的に売れ、2008年の新語・流行語大賞で流行語トップ10に入った。『おい、地獄さ行ぐんだで!!』のネーム入り蟹工船Tシャツまで販売されているという。
12月23日午後、原宿の千駄ヶ谷区民会館で象徴天皇制と「格差」・「貧困」─―蟹工船ブームと「在位20年奉祝」が開催された(主催 反天皇制運動連絡会 参加95人)。

3人の方から発言があった。
なすびさん(山谷労働者福祉会館活動委員会)は次のように述べた。
寄せ場ではヤクザが支配している。70年代後半から80年代にかけて、山谷争議団と日本国粋会金町一家との抗争では佐藤満夫が刺殺され山岡強一が射殺された。ヤクザにもイデオロギーが必要だがそれが天皇制である。新自由主義からこぼれ落ちた弱者を救済するものが家族的親愛を表現する天皇制だからだ。
作品としての「蟹工船」には違和感を感じる。それは、寄せ場とは異なりいまの不安定雇用は直接的暴力支配とはおよそ違う種類の支配をされていること、労働現場の描写が少ないこと、そしてロシアのユートピア的位置づけや前衛党的な組織化プロセスだ。古い労働運動イデオロギーの限界を感じ、ちょっと「うんざり」する。
しかし労働運動の組織化の経験のない若者には、この小説で「うんざり経験」を感じてもらい、そこから新しい組織化をつくることができれば、反面教師としての意義はあると思う。
野崎六助さん(作家)は、金曜日版「蟹工船」の解題・注記を書いた方だ。小林多喜二は一流の作家ではなく流行作家のようなものだが、プロレタリア文学の流れのなかでとらえるべきである。プロレタリア文学は恐慌の時期にブームになり、1937年にその流れは途切れたが、戦時中は転向文学、戦記文学となり戦後、労働者文学となった。この流れをもう一度おさらいし、われわれの遺産にしないといけない、と語った。
平井玄さん(音楽批評)は、同じく金曜日版「太陽のない街」の解説を書いた方である。この小説をアバンギャルドとして読むということを提案された。たとえばカニ缶は貨幣の隠喩であり、船底の缶詰工場を前衛演劇の舞台として読むというようなことだ。またこの作品が書かれた1929年に注目する必要がある。1926年に共同印刷の大争議が起こり、その後国家が労働運動をつぶす過程に入り、差し迫った時期にあったため、この作品は階級決戦小説にならざるをえなかった。だからビラに近い、文学を歪める出来になっている。
格差・反貧困という言葉を自分は使わない。なぜなら敵がみえないからだ。しかし、敵はいる、敵を定めないと運動にならない。資本主義論と接合させるべきである。殺された作家の苦闘を時代に活かすには、その時代のプロレタリア文学が必要になる。
天野恵一さん(反天皇制運動連絡会)は次のように述べた。
天皇制には片方で「殺せ」という暴力的側面と、もう片方に「頭をなぜる」慈悲深い福祉的な側面がある。たとえば被災地巡りのパフォーマンスである。
「蟹工船」は「日本共産党万歳」という「天皇陛下万歳」と一脈通じるヒロイズムがあり、たまらない。しかしそれは新左翼のエートスにもあった。この問題はきちんと相対化すべきである。パロディやユーモアがない運動では、「頭をなぜられる人」との関係を作り出せないし、横に広がらない

☆反天連の集会には、いつも公安と右翼が押し寄せる。しかしここ2年ほどその規模が飛躍的に大きくなっている。この日も右翼の街宣車が10台以上押し寄せ、大音量で檄を飛ばしていた。公安だけでなく制服警官も多数配備され車両留めを道路に置きバリアを張っていた。
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