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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

ガザ攻撃1周年追悼・報道規制を訴える集会

2010年03月01日 | 集会報告
2月25日(木)夜、文京シビックホール・小ホールで「ガザ攻撃1周年追悼・報道規制を訴える集会 ガザで起こった“本当のこと”──『沈黙を破る』・兵士が語るガザ攻撃」という集会が開催された。
2008年12月27日イスラエルはガザの空爆を開始、1月3日から地上戦も始まり、22日間でパレスチナ人1400人(うち民間人900人、また18歳以下300人)が殺害された。それから1年、完全封鎖はいまも続き、セメントも鉄骨も入ってこないのでガザは瓦礫のままの状態である。冬なのに靴がなくはだしで遊んでいる子どもたちがいる。
集会はガザ攻撃や現在の様子を伝える第1部と、土井敏邦さんへの報道規制を訴える第2部に分かれる。なお使用した写真3点は土井さんから提供されたものである。

ガザの少女アマルちゃん(アマルちゃん募金のカードより)
第1部は、映像「イスラエル人が見た“ガザ攻撃”」(土井敏邦)と16人の俳優による朗読劇「ガザで起こった”本当のこと”──ガザ攻撃 加害兵士と被害住民の証言」で、ガザ攻撃で起こったことが紹介された。
アマルちゃんは9歳の少女である。1月3日攻撃が始まり4日の早朝5時半イスラエル兵がドアをたたき「主人はどこか」と聞いた。父が手を上にあげ「わたしだ」といって近づくと、なんの質問もなく眉間と胸を撃ち、アマルの目の前で父は殺された。兵士は一家に威嚇射撃し、テレビを壊し、窓ガラスを割り火をつけた。アマルはそのあと叔母のところに行ったが、家がミサイルで破壊され、4日後奇跡的に瓦礫の下から発見された。しかし視力が衰え、めまいがし鼻血が出る。原因は脳のなかに残った砲弾の破片だった。手術をするには危険すぎる場所なので外科手術はできない。父と4歳の弟は死んだが、母と7人の兄弟が残った。母は途方に暮れる。
屋上にいた12歳の弟と15歳のいとこを爆撃で亡くした高校生、14人家族のうち11人を亡くしたこども、白旗を揚げて歩いていたのに銃撃された10歳、4歳、2歳半の三姉妹など、被害者や遺族の証言が映像と朗読で紹介された。
一方加害兵士の声も紹介される。兵士はほとんど19歳か20歳の若者だ。上官に民間人の扱いを尋ねると「至近距離に入ったらまず撃て、動くものはすべて撃て、こわいと感じたら撃て、とにかく撃て」と言われた兵士、あごひげがあり疲れ切って歩いている老人が射殺されるのをみて「悪夢をみているようだった」という兵士の証言が紹介された。
またイスラエルの町で土井さんの取材に「この8年イスラエル南部で1000人以上が殺された。わたしたちは長年警告してきた。ついにイスラエルの怒りが爆発した」「ガザはテロリストであふれている。沈黙するわけにはいかない」「わたしは自分の子どもを守る。パレスチナ人のように子どもを盾にはしない」と顔をゆがめ怒りの声を露わにする市民も映し出された。わたしは
メディアが問題だ。メディアが戦争を支持し、ロケット弾攻撃でケガをしていない人でも、インタビュー映像を何度も放映し、誇張した報道をしている。またハマスを悪魔化したイメージで描き、パレスチナ人を人間ではないとして相手の人間性を奪い報道している」というイスラエルの知識人のインタビューが強く印象に残った。太平洋戦争中「鬼畜米英」とキャンペーンを張っていたのとまったく同じである。
09年6月アマルちゃん募金が始まった。アマルの治療費や家族への支援、PTSDのこどもたちへの支援を目的にしている。8月末に集まった3500ドル(約33万円)を12月にアマルちゃんの手元に届けた。領収証と本人の手紙が紹介された。また12月にJVCの人が撮影した「頭と目が痛い。ガザへ来てよ」というアマルちゃんの映像が上映された。募金はいまも継続中で、2月末現在61万円集まっている。
           
第2部は、シグロ代表・山上徹二郎さんの問題提起「記録することの大切さ」から始まった。シグロは土井さんが監督した「沈黙を破る」をプロデュースした映画製作・配給会社である。
報道・表現がないと問題そのものの存在がなくなってしまう。また土井さんはパレスチナの人と長いつきあいがあり、ガザの人にとって大事な友人という側面がある。ガザの人は、土井さんともう一度顔を合わせられれば大変な励みとなり勇気づけられる。壁の外の人とパレスチナの人がつながることができる。わたしは、土井さんの問題を通してパレスチナの人と連帯していきたい」とアピールした。
次に、朗読劇に出演した女優、渡辺えりさん、根岸季衣さん、元三鷹高校校長の土肥信雄さんの3人からリレー・メッセージが述べられた。そのうち土肥さんのメッセージを紹介する。

わたしは商社のサラリーマンから教員になった。教員になった大きな理由は「教え子を再び戦場に送るな」ということだった。戦争は人殺しを正当化する。平和を守るには基本的人権が守られる社会が必要であり、欠かせないのが言論の自由だ。
都教委は、職員会議で自由に話し合えないようにした。またプライベートな飲み会の場で米長邦雄教育委員(当時)を批判したところ、3回呼び出しを受けた。そして退職後、嘱託教員を希望したがその道を断たれた。わたしは、「言論の自由への弾圧」を行った東京都教育委員会に対し訴訟を起こした。
都教委と争ったとき土井さんが取材をしてくれた。そのとき「人間は、仲間がわかるんだ」と感じた。言論の自由でもっとも大切なのは教育の場と報道機関だ。いま「天皇を神」と思う人は一人もいないが、戦前はみんなそう思っていた。なぜか? 教師が教えたからだ。また戦争を否定する人をすべて排除した。マスコミが「勝てる」といい、何も知らないままやったのが第二次世界大戦だった。事実を知らないと大変なことになる。
ぼくの大好きなことばがある。ユネスコ憲章前文の「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」である。これは誰が担うのか、教育の力である。

最後に土井敏邦さんからアピールがあった。

学生時代にパレスチナと出会って32年、ジャーナリストとしてパレスチナに戻り25年になる。その間ずっとパレスチナのことを伝えてきた。昨年8月はじめてプレスカードを拒否された。理由は、推薦状がドキュメンタリー制作会社シグロのものだからということだった。しかしその前の2回はシグロ推薦で発行された。11月に今度は報道機関の推薦状を取り再チャレンジした。しかしやはり拒否され、理由は明らかにされなかった。おそらく映画「沈黙を破る」、ETV特集岩波ブックレット、報道写真展が問題にされたのだと思う。「沈黙を破る」というグループのことはイスラエルが一番さわってほしくないことで、ガザの声を伝えたことが面白くなかったと思う。
ガザの取材を始めて25年になる。よく「なぜ25年も取材を続けるのか」と聞かれる。かわいそうだからではない。家族や、人を思いやるやさしさ、あの心の豊かさは何なのだろうと、感動して見てきたからだ。人間としてもジャーナリストとしても、わたしはガザで育てられた。パレスチナは学校だった。わたしのお返しが「伝える」ことだった。
現場を失ったジャーナリストはジャーナリストではない。とりわけわたしのようにパレスチナに特化したジャーナリストが現地に入れないのは、ジャーナリストをやめろということだ。だからこそ黙っていられない。
公に抗議することには迷いがあった。ガザに入れないだけでなく、入国拒否につながることへの恐怖があったからだ。しかし「中東唯一の民主主義国」を豪語するイスラエル報道規制をしていることを、日本の人に知ってもらうべきだと思った。またこの問題はわたし一人の問題ではない。わたしを黙らせることに成功すれば、次のジャーナリストが狙われる。ジャーナリストがどんどんガザに入れなくなる。
わたしが批判するのはイスラエルやユダヤ人ではない。パレスチナ人を苦しめる「占領」そのものだ。イスラエルにも占領に反対する声がたくさんある。占領を続けることで、自分の心のなかの倫理観、道徳観、人間性が壊れていく。そのことに恐怖心をもつイスラエル人はたくさんいる。「沈黙を破る」の元兵士が象徴的だ。占領を批判することは、パレスチナ人のためだけでなく、長い目でみればイスラエルやユダヤ人のためにもなる、と考える。
正直言ってガザに戻りたい。伝えることは、わたしができる唯一の恩返しだ。ほかのジャーナリストでもできるかもしれない。しかし25年かかわったわたしでしか伝えられないこともある。どうか皆さん、お力をお貸しいただきたい。

☆この日上演された朗読劇「ガザで起こった“本当のこと”」は、7月20日、21日の非戦を選ぶ演劇人の会のピースリーディングで、ふたたび上演される。
昨年は、「遠くの戦争──日本のお母さんへ」という、13歳のパレスチナの少年と文通をする日本の主婦の話だった。主婦の息子が派遣の仕事を打ち切られ自衛隊に入隊したいと言い出し、パレスチナの問題と日本の貧困、希望のない若者との連続性がテーマだった。
土井さんと渡辺えりさんの対談のなかで、土井さんは「ジャーナリストの役割のひとつは、読者を現場に連れて行き、読者が想像できる素材をそっと差し出すことだ」と語った。対談が8月18日だったので直後に土井さんはガザに向かい、取材を拒否されたことになる。
1月10日の集会「忘れないで!パレスチナ」ではこの問題の歴史を学んだが、この日の集会では、報道が果たす役割について深く考えされられた。
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