広報邂逅記

広報宣伝に携わる私が、世の中の面白いこと、美味しいものや温泉鉄道旅を紹介します。(⌒∇⌒。)三(。⌒∇⌒)。

ブログ1405 川原湯温泉駅

2014-09-03 21:08:56 | 食べ物




再び川原湯温泉駅に戻ってきた。

これから伊香保温泉に行くので上り方面のホームへ。
『上野』という文字に、親しみがわく。

連絡橋から上野方面を撮影。

草津方面には八ッ場ダムが出来たあとに使われる高い橋がそびえ立つ。

まさかあの橋のかなり上の方まで水位がいくとは夢にも思わなかった。

そして、もう一度、上野方面。

そして、草津方面から川原湯温泉駅の屋根瓦を撮影。
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ブログ140903 交番de空気入れ

2014-09-03 20:53:23 | 食べ物
交番の前で自転車に空気を必死に入れている女子がいた。

なんで、交番の前で?
空気入れ持ち歩いているの?

と思ったら、

なるほど

交番で借りたようだっ

確かに、交番には必ず自転車があるわけだから、空気入れも常備してあるわけだ

なかなか賢い女子だ。

今度から、空気入れに困ったら交番で借りようっと

それにしても、空気入れを持ち逃げされないかと思っていたのか、何度もお巡りさんが様子を見に出てくる。

そんなに気になって、暇なら、手伝ってあげればいいのにと思う。
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ブログ140530 川原湯温泉と八ッ場ダム

2014-09-03 20:41:14 | 食べ物

王湯から川原湯温泉の入口まで降りてくると、ダム計画の大きな看板があった。

さっきの地域住民の方々のお話しではないが、かなりな勢いで町が沈んでしまうようだ。
最初は吾妻渓谷の川がせき止められて沈むぐらいかなと思っていたが、大きな大きなダム湖が出来るみたいだ

当然、川原湯温泉駅も完全にダム湖の底となってしまう。

看板を見るだけで意気消沈する。

なんか自然に対して残酷だ。

本当にこのダムは必要だったのだろうか。

子供の頃から東京が水不足で給水車が来たなんて記憶は無い。
つまり、水は足りているということだ。

ダムの計画が出た頃はきっと高度経済成長の時期で、もっと人口も産業も増えると、バカな政治家と役人が思ったんだろう。
勇気ある撤退という言葉を是非、学んで欲しい。

亡くした自然はもう戻らないのに…

川原湯温泉の歓迎看板が帰り道は寂しそうに見えた。
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ブログ140530 川原湯温泉 王湯と周辺

2014-09-03 07:33:17 | 食べ物




料金案内板は入口を入って正面の壁に。
両側の襖の奥は有料の休憩室。
入浴料は大人300円。
入口を入って左手に受付。
ここで入浴料を払う。
温泉卵用の卵、1パック10個入り200円もこちらで買える。

王湯の少し坂の上左手にある神社の鳥居。
ここに、足湯があるらしく、そこに王湯で卵を購入し、温泉卵を作るらしい。
70~80℃くらいの温度なので、20分くらいで出来上がるらしい。

坂の上から見た八ッ場ダムの橋。

王湯の人に聞くところによると、王湯辺りは、ギリギリ沈まないらしいが、水嵩が増した時の危険水域になるので、立ち退かなければならないらしい。

立ち退くにも、全て壊さなければならないし、何十年も前からの計画なので、民主党に政党が変わって中止と言われても、今さらという感じで、粛々と立ち退きや工事は進んでいたらしい。

地域住民にとっても、身代を壊して山の上にだいぶ移動してしまっていたので、中止と言われても中途半端な状態で町として立ちゆきいかないことになってしまうと言っていた。

王湯に引っ越した山の上から毎日通ってると言うおばあちゃん会った。

長年住み続けた場所をそのお年で離れるのは辛いだろう。

本当に八ッ場ダムは必要だったのだろうか?

駅までの道のりにあったこの沢も消えてしまうのか…。
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ブログ140902 八百万の神々とおてんとさま

2014-09-03 01:43:04 | 食べ物


親友に何か信じているものはあるかと聞かれ、特にコレというものはないが、八百万の神々はあると思うと答えてみた。

ただ八百万の神々をその時、上手く説明できなかったので、検索したら、こんなに言い当てたブログを見つけた。

『森羅万象に八百万の神々が宿る』と言うことなのだ。

あらゆるモノに神が宿り、私達を守ってくれているのだ。
だから、逆に悪いことをしたらすぐにバレて罰が当たるのだ。
小さな頃に『おてんと様(御天道様)が見てるよ。悪いことをしたらばれるよ。』とか、
『おてんと様の下を堂々と歩けるように生きなさい』とか言われなかったか?

まさにおてんと様はこの八百万の神々なんだろう。

また、井沢元彦氏著の『逆説の日本史』でも、そのことに触れているし、日本人独特の穢れや言霊も、八百万の神々の考え方に近いような気がする。

それでは、そんな八百万の神々についてのブログをご紹介。

↓↓↓↓↓

森羅万象に八百万の神が宿ると考えられている理由。

日本では八百万の神という言葉を聞くことがある。
数字にして800万という数が登場し、これは八百万という単語が実に多くの数という意味で使用されているからである。

日本は世界的に見て非常に特徴的な考え方が存在し、それを象徴するものの1つが森羅万象(あらゆるもの)に神が宿るという考え方である。
八百万の神という表現は「古事記」の中に登場する表現で、無数に神々の存在を表しだものである。
このことからわかるように、決して800万種類の神がいるというわけではない。

古事記だけでなく日本書紀などの文献にも八十神や八十万神といった表現が見られ、共通する点である「八」という漢数字がどうやら縁起が良い数字のように認識されていたと同時に、多くの数を表す表現としてもたくさん用いられていたと考えることができる。
日本神話では天照大神や素戔嗚尊などが有名であるが、神様は彼らだけではないのだ。

ここには日本独特の、森羅万象に神が宿るという考え方が存在する。
あらゆる物事は神によって生み出され、それら全てにはそれぞれの精霊が存在するというもので、日本のように四季の変化やそれに伴う豊かな自然を感じる国民性が自然そのものを神のように崇拝するといった考え方を生んだとされている。


これらは元々八百万という表現がされていたわけではなく、多くのものに精霊が宿るという思想が時を経つにつれて神と変化し、八百万の神々として現在まで語り継がれるようになった。
また、10月を神無月と呼ぶ理由は、これら八百万の神々が10月になると出雲大社に集まるために、各地に神がいなくなってしまうためである。


そして興味深いことに、日本の八百万の神々には姿が無い。
世界中の神を崇拝する組織(主に宗教)では神の姿が描かれ、偶像崇拝禁止(あくまで神の形はあるとされる)などの宗教側にとって都合のよい場合などが存在するもの、本来その姿が無い神々が存在することは日本の特徴なのだ。


さらに日本の八百万の神々は自分から何かを要求するわけでもなく、ただそこに存在すると信じられているだけであり、生贄を求めたりする世界の神々とは大きく違う。
ある意味日本人の国民性を象徴するかのような八百万の神々、静かに人間を見守る姿を想像するとどこか可愛らしいものがある。

http://takashi1016.com/uncountable-gods-7455

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また、日本語と英語を交えて八百万の神々を紹介したブログも。
やはり日本人の宗教感は世界でも特異なんだろうけど、私はそんな日本人の考え方が好きだなぁ。


↓↓↓↓↓

「この世のすべての物に魂が宿っている」って考え。
全てと言うのは、勿論、善悪関係なく、目に見えないもの・思考や感情も含めて、とにかく”あらゆるものに”神がいる。

例えば、単純に、今貴方が飲んでいるジュースやお茶も”神様”、それを入れているボトルやコップも”神様”と考えて貰えれば良いです。(何となく愉快で幸せでいて畏怖もある気分になりませんか?
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続きは、下記で

http://m.ameba.jp/m/blogArticle.do?unm=lorissa&articleId=11141927869&guid=ON
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