広報邂逅記

広報宣伝に携わる私が、世の中の面白いこと、美味しいものや温泉鉄道旅を紹介します。(⌒∇⌒。)三(。⌒∇⌒)。

ブログ140815 木内酒造 ネストビール つづき

2014-09-14 02:02:44 | 食べ物


TVによると木内酒造さんは兄弟でやっているらしい。

併設の蕎麦屋もオシャレだし、このご兄弟のセンスがいいのかしら?

この木内酒造さんには、自分で本格的ビールが造れる手造りビール工房もあるし、ビールや日本酒が飲めるバーカウンターもある。
もちろん、ショップもあります。

特にお蕎麦屋さんがオシャレで美味しいので、是非、足を運んでもらいたい。

常陸鴻巣までは遠いという方は、水戸駅にもお店があるので是非、そちらへ。

詳しくは木内酒造さんのHPへ。
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ブログ140815木内酒造 常陸野 ネストビール

2014-09-14 01:52:15 | 食べ物




茨城方面で婚活イベントをしなくてはならず、ネットで検索をして、たまたま見つけた木内酒造さん。

イベントも成功し、その後、なんと半年で結婚したというカップルから連絡もいただいた。

そして、通販やギフトでもお取引と、たまたまサイトで見つけた酒蔵だったが大きく広がった。

そんな木内酒造さんだが、ビール通の間では非常に有名らしい。

そして、日本より海外の方がシェアが大きいので、びっくり。製造したビールの半分が海外に輸出されている。

そんな海外で人気の木内酒造さんがNHKで取り上げられるというので、木内酒造さんの担当にご連絡。
そんな木内酒造さんの活躍のお手伝いが少しでもでき、嬉しい。


調べたら木内酒造さんのOA時間は、8/15金曜日の夜22:55~23:20のNHKうまいッ!夏スペシャル「世界が絶賛!ニッポンのビール」でした。

人気の国産ビールの紹介の番組なのだが、ニューヨークであんなに人気とは思わなかったし、日本より海外が人気で世界各国に輸出してるなんて凄い

しかも地元の活性化の為に、地元の原材料を主に使ったりと。ビールの原料に梅干しを取り入れているのにはびっくりでした。
麦も地元のを買い上げ、耕作放棄地を畑に戻す努力をしているのも素晴らしいです。

海外向けのホームページに力を入れていましたが、海外でこれだけ人気なら納得です。
知人が撮った写真は海外向けHPに載っているから、世界中の人がきっと見てるんだろう

たまたま水戸方面でイベントをしなくてはならず、ネットで見つけた酒蔵でしたが、イベントや通販、体験ギフトなど様々なお取引をすることができ、少しでも木内酒造さんの地元を活性化したいという志しのお役に立てればと思う。

私も売上のお役に立ちたいと思うのだがビールは苦手なので、たまに木内酒造さんオリジナルの発砲梅酒を購入。
プレゼントにも珍しいので結構喜ばれるお酒です。

最近、JR東日本が力を入れている構内地方アンテナショップの『のもの』でも、ネストビールも発泡梅酒も取り扱っているので、ビール好き、梅酒好きの方は、ぜひ立ち寄ってみて下さいませ。
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ブログ140829 万世橋駅跡 ホームカフェ

2014-09-14 01:41:18 | 食べ物


こちらが万世橋駅ホーム跡に出来たホームカフェ。

JRが作るから日本食堂系のダサいカフェかと思ったら、意外にオシャレでお酒も飲める。

時間も~23:00までやっている。
もちろん、我々も23:00まで楽しみました。

カフェの中は金曜の夜だというのに、意外に空いていた。
値段が高いからなかぁ。

お独り様鉄ちゃんは2人ぐらいいた。
基本的には鉄ちゃんばかりだ。
知人は早速、貸切料金を聞いていた。
1回10万円以上で、お一人様お料理は5千円からとか。

飲み物代も考えれば、一人7千円として15人くらいから貸切ができそうだ。

こんどのんびり来てみたい。




以下、JR東日本財団のHPによるカフェのご案内↓↓↓↓↓↓



■「旧万世橋駅 2013プラットホーム (カフェ・デッキ)」
1912年(明治45年)4月の万世橋駅の開業時は、近距離電車用の南側ホームと、長距離列車用の北側ホームの2面のホームがありました。しかし、御茶ノ水~飯田町間の複々線開業と同時に北側のホームは撤去され電車留置線となりました。

その後、交通博物館開館時には一部階段が撤去、新設され、駅休止後、上屋などは撤去されましたが、ホーム自体は撤去されず残されていました。今回、このホーム上を『2013プラットホーム』として整備し、デッキやカフェとしてよみがえりました。

デッキには、万世橋駅の駅名標を、鉄道博物館が収蔵するものを忠実に再現し設置したほか、今回の工事途中に発見された、万世橋駅時代のホーム上屋の基礎の一部を保存することになり、東北芸術工科大学 文化財保存修復センターで保存処理を行ったうえで展示しています。
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ブログ140829 万世橋駅跡 1935階段

2014-09-14 01:25:28 | 食べ物




前述の1912年(明治)に造られた1912階段に引き続き、この写真は1935年昭和10年に造られた『1935階段』。

1912階段と1935階段の間がフリースペースになっており、1935階段の先は、立ち呑み用?のテーブルがいくつか置いてあった。

通るのは中央線のみと、少々寂しいが、両側を電車が通り抜けるタイミングの時は迫力満点だ。

夜なので、電車がはっきりわからない写真でごめんなさい。

mAAchの

ホームページでも万世橋駅遺構の説明がされていたのでご紹介。

以下、mAAchのホームページより引用↓↓↓↓↓



中央線神田~御茶ノ水間に「万世橋駅」があったことをご存知ですか?
1912(明治45)年に完成した赤レンガ造りの万世橋高架橋が、 歴史や記憶を活かしながら新たに生まれ変わります。
旧万世橋駅や交通博物館時代と変わらない、連続するレンガアーチの美しさと力強さが特徴的なマーチエキュート神田万世橋。

階段、壁面、プラットホームなどの遺構がよみがえった空間の中に知的好奇心を掻き立てるような趣味性、嗜好性の高いショップやカフェが並ぶこれまでにない商業施設の誕生です。
旧万世橋駅と神田界隈は、文化人から大衆までが集い人々が垣根を越えて分け隔てなく交流する場でした。
文化性を求める人たちが語らう往時のサロンのように、日本の「今から」の価値
を発信し、街のムードやにぎわいを創出する“周辺エリア活性型商業施設”です。

旧万世橋駅ホーム部分をデッキとして整備旧万世橋駅の開業時に作られたホーム部分を『2013プラットホーム』として整備、デッキとしてよみがえりました。高架橋にある旧万世橋駅のふたつの階段を通り、線路階にあるホームに上り、実際に駅構内を歩く気分で回遊できます。ホームではガラスに囲まれた展望カフェデッキが待っています。 中央線がすぐ両脇を行き交う、特別な空間です。

【1912階段】
1912(明治45)年の駅開業時に造られた階段。1936(昭和11)年の鉄道博物館(後の交通博物館)時代には、ホームから博物館に直接入館できる特別来館口として利用されました。駅休止以来、初の公開となります。

【1935階段】
鉄道博物館(後の交通博物館)の新館が建設されることとなり、新たに1935(昭和10)年に設置された階段。駅休止まで使用され、2006(平成18)年に限定公開されて以来の一般公開となります。


1912 (明治45)年初代駅舎
1912(明治45)年、中央線の昌平橋~万世橋間が開通し、万世橋駅は東京市電(路面電車)の乗換ターミナルとして栄えました。駅周辺エリア(神田須田町)は銀座と並ぶほどの繁華街へと成長し、神田須田町周辺は、銀座と並ぶほどのにぎわいを見せます。1919(大正8)年、中央線が東京駅に開通し、万世橋駅は中間駅となります。
arrow1925(大正14)年2代目駅舎
1923(大正12)年9月1日の関東大震災で、初代駅舎は焼失してしまいます。残存した基礎を利用し平屋建ての2代目駅舎が1925(大正14)年に完成しました。しかし、須田町交差点が移転し、駅前は裏通りになってしまいます。 arrow1936(昭和11)年~1943(昭和18)年1936(昭和11)年には、鉄道博物館(後の交通博物館)が併設されました。万世橋駅は大きな駅舎を鉄道博物館に譲り、大幅に縮小されました。そして1943(昭和18)年、太平洋戦争激化の中、乗降客減少に伴い、万世橋駅は休止となりました。

arrow1948(昭和23)年~2006(平成18)年鉄道博物館は、1948(昭和23)年にその名を交通博物館と改め、70年の長きにわたり、鉄道ファンや子供の夢をはぐくみ続けました。施設老朽化などの理由で閉館が決定し、鉄道博物館として埼玉県さいたま市で再出発をすることになりました。
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ブログ140829 万世橋駅 遺構

2014-09-14 00:39:19 | 食べ物


二次会は、空いていたので万世橋駅跡に出来たホームカフェに。

全てがカフェなのかと思ったら半分はフリースペースだった。

万世橋駅登場の階段も70年振りに一般公開されていた。

やはり当時はちょっとしたディテールにもこだわるようで、階段の装飾がこんな風になっていた。

階段が茶色いのはその当時の汚れなのだろうか?

一般公開で、この汚れが消えてしまうのは少々もったいない気もする。

JR東日本財団のホームページにはこんな風に紹介されていた。
http://www.ejrcf.or.jp/mansei/index.html

以下、JR東日本財団より引用↓↓↓↓↓


かつて、中央線の神田~御茶ノ水間に、明治45(1912)年に開業した「万世橋駅」がありました。昭和18年に休止になりましたが、赤レンガの万世橋高架橋の中に、ホームや階段など、駅の施設が一部残っていました。

「旧万世橋駅」は、これら駅の遺構を再生し、歴史的価値ある遺構を随所にご覧いただける施設です。開業当時の姿をほぼ留めた「1912階段」や、交通博物館開館時に設けられた「1935階段」をはじめとする遺構を公開するほか、旧万世橋駅時代のプラットホームにデッキを設けた“2013プラットホーム”には、フリースペースやカフェがあります。

このほかにも、万世橋駅の足跡を今に伝える展示も実施しています。

■「旧万世橋駅 1912階段」
1912年(明治45年)4月、万世橋駅開業の時に作られた階段です。1936年(昭和11年)4月の鉄道博物館(後の交通博物館)開館後は、ホームから博物館に直接入館できる特別来館口として使われ、交通博物館時代は一部が休憩室として活用されていました。

階段は、厚い花崗岩や稲田石を削りだした重厚なもので、壁面のタイルも、東京駅のレンガなどに見られる「※覆輪目地(ふくりんめじ)」という、高級な施工がされているのも特徴です。

1943年(昭和18年)に駅が休止してからは公にされることはなく、この度70年ぶりに公開されることになります。今回は高架橋の安全性を確保しながら、最大限原形の状態を保つことをコンセプトに、一部修復などを行いました。
※覆輪目地=タイルやレンガなどの仕上材の先端が丸みを帯びた形状に仕上げる工法

■「旧万世橋駅 1935階段」
鉄道博物館(後の交通博物館)の新館が、ここ万世橋駅に建設されることになり、新たに1935年(昭和10年)に設置。1943年(昭和18年)10月の駅休止までの間、ここが駅の階段として使用されました。

2006年(平成18年)の交通博物館閉館前は、期間、参加者限定でこの階段が公開されましたが、今回のように一般公開されるのは1912階段同様、70年ぶりとなります。
なお、階段の踏面はコンクリート、壁面のタイル目地も平目地と、駅開業時に設置された階段とは仕上げが異なっています。

また、この階段途中には、万世橋駅が休止になる直前に貼られたと思われる手書きのポスターの一部が、交通博物館の閉館直前までそのまま貼られていました。このポスターは交通博物館によって保存処理され、現在鉄道博物館に収蔵されていますが、今回この複製を、貼られていた場所に展示するほか、大型タッチパネルディスプレイを使った映像コンテンツ「MANSEIBASHI ARCHIVES(万世橋アーカイブ)」で、万世橋駅から交通博物館、そしてマーチエキュート神田万世橋に至るこの地の歴史を記録した、数多くの写真資料を自由にご覧いただける展示も行います。
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