風の数え方

私の身の回りのちょっとした出来事

海の一部

2007年06月29日 | 清水ともゑ帳
海の駐車場へ着いたら、ちょうど雨が降り出してきてしまった。
それでも傘を差し、海岸へと歩いた。
松の木の下に行き、小降りになるまで、しばらく待つことに。
離れたところで犬の声がした。
そちらを見ると、やはり松の木の下で、犬と一緒に雨宿りしている人がいる。

空が明るくなってきた。
沖の方には、青空が見える。



波打ち際に近いところに腰を下ろした。
ヒーリングとかリラクゼーションのCDには、よく波の音が入っている。
それはそれで落ち着くけど、やっぱりliveはいいなと思う。
潮の香りや風、空、鳥の声に安らぎを覚える。



寄せては返す波を見ていたら、波に体ごと持っていかれても不思議ではないような気がしてきた。
それは、高波にさらわれるということではなくて、海へ投げ出されたら、そのまま海に溶け込んでしまいそうな感覚だった。
もし、浜にいたら、砂になってしまってもおかしくないような、松のそばにいたら、自分も松になってしまいそうな…。

そんな一体感に包まれているうちに、『モリー先生との火曜日』を思い出した。
その本の一節に、モリー先生が著者に話した波の話がある。
細部までは詳しく思い出せないけど…

ある日、”小さな波”は砕け散るほかの波を見て、不安にかられる。
ぼくもああなるのかな、と。
そこへ別の波がやってきて、”小さな波”がなぜ悲しそうな顔をしているのか、わけを訊ねる。
”小さな波”は、「自分も、そしてみんなも、やがては砕け散ってしまうんだ」と話す。
またほかの波が、”小さな波”に言う。
「おまえはちっともわかっちゃいない、おまえは波なんかじゃない、海の一部なんだ」と。

今、自分が見ている この波と同じ波は二度と寄せてこないし、この雲と同じ形の雲は二度と表れないし…。
一瞬一瞬に生きているんだなぁと、いつもより深いところで感じた。
車へ戻るとき、松並木の中を歩いた。
雨が降ったあとは、木の放ついい香りが漂う。
山へ出かけたとき、樹林帯に立ち込めている香りと似ている。
枯れ落ちた茶色の松葉が、足元でサクサクと鳴った。