風の数え方

私の身の回りのちょっとした出来事

10と8

2006年02月24日 | 清水ともゑ帳
先日、向井万起男著の『愛人の数と本妻の立場』を読んで、長い間の謎が解けた。

英語でoctoは「8」を表す。
だから、タコはoctpus、第八音程はoctaveなのに、なぜ10月をOctoberっていうんだろう…と私は不思議でならなかった。

それで、私はいつもイカとタコの足の本数が混乱していた。
どっちが10本でどっちが8本だっけ?……と。
1月から12月までを素直に暗記していたころはそんなことはなかった。
けど、意味を知ってから、この混乱が起こった。
タコの足は10本? イカが8本? 
いやいや、それじゃおかしい、オクターブとか八角形の説明がつかない。
英語の母体でもあるラテン語の数詞は、7はseptem、8はocto、9はnovem、10がdecemとなっている。

向井氏のこの本にはこう書かれていた。

”西洋では一年を10ヵ月に分けていた時代があったんです。その時代には、7月をチャントSeptemberと言っていたんです。ところが、一年を12ヵ月に分けるようになってから、1月と2月を新たに作っちゃったりして、September以降は2ヵ月ずらしてそのまんま使っているんですよ。”

そうか、そうか、そうだったんだ。
「へえへえへえ」と「ガッテン」と「スッキリ」をいっぱい言いたい感じ。
この理由を知ったら、もう、イカとタコの足の本数を紛らわしいと思わない。
あれ?っと思ったら、Octoberから「2」を引けばいいのだ。
だから、タコの足は8本。

この本には、数字がたくさん出てくる。
なのに、少しも堅苦しくなく、それどころか先へ先へと読み進めた。
おやっ?と思うこの本のタイトルとなっている章では、木星の衛星について書かれている。



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春の彩り

2006年02月20日 | 静岡
「こんにちは!」
と、一つ一つに声をかけてしまいたくなるお雛さま。



伊豆稲取の伝統工芸のつるし雛
昨日、街の一角に飾られていた。
愛らしさと色彩にひかれて、春が駆け足でやってきそう。

巴川のほとり、枝垂れ梅の並木道。
満開の見ごろを迎えている。



昨日は多くの人が、カメラ機材を携え、訪れていた。



巴川が、花かんざしを挿して春の装い。



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なにが見えるのかな?

2006年02月18日 | 静岡
カモメさん、並んで何を見ているの?





こちらの女性かしら?
美しいメロディが聞こえてきそう。



それとも、こちらのてっぺん?
セイルドリルを見てみたいな。



海王丸、ただいま清水に入港中。
姿の良さに、ただただ見とれてしまうばかり。


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肉球……が好き

2006年02月16日 | 清水ともゑ帳
「肉球が好き」って言うと、犬や猫などが好きな方はたいていうなづいてくださる。
ところが、「肉球のにおいが好き」って言うと、話は微妙に違ってきそうで、なかなか言い出せない。

ポポがうちに来てからというもの、私は肉球のにおいがとても好きになった。
犬という種のにおいだけでなく、ポポという個のにおいに思えるからだ。
それは、いいにおいとか変なにおいとかじゃなくて、ポポの存在そのもののにおいのような気がしてならないのだ。

つい最近、タレントの優香ちゃんが、『はなまるカフェ』に出演していたときのこと。
彼女は堂々とその言葉を電波に乗せてくれたのだ。
私、犬の肉球のにおいが好きです、と。
薬丸クンは、ちょっと引きぎみの様子。
けど、画面のこちら側の私は、よくぞ言ってくれた、と拍手を送りたい気持ちだった。
かわいい彼女が言うからいいのであって、私が言い出したらやっぱり違うのだろうなぁと思う。
でも、優香ちゃんが言ってくれたおかげで、水戸黄門の印籠を自分までもが手にしたようでうれしい。

私も優香ちゃんと一緒で、肉球のにおいが好き。

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たとえてみれば……

2006年02月14日 | 清水ともゑ帳
昨日、NHKラジオで聴いた向井万起男氏のエッセイ『愛人の数と本妻の立場』が興味深かった。
朗読は俳優の江守徹。

医師である向井氏は、先輩医師が患者さんに対して病状などを告げるとき、患部の大きさを、「こぶし大」「小児頭大」などにたとえるのは、人それぞれ受け取り方のイメージが違うので良くないのだと思っている。
が、それは先輩医師を前にしてなかなか言い出せない。
ある日、「成人頭大」と聞いたとき、氏はとうとう黙っていられなくなった。
じゃ、何かい、大人の頭の大きさはみな一緒なのか、それじゃ、大人用の帽子のサイズはワンサイズしかないっていうのかい?
物事には、曖昧にした方がいいこともあるが、医師は患者さんに正確に伝える必要があるのではないか、と。

ほほう、なるほどなあ、と私は車のハンドルを握りながら、なおも耳を傾けた。
江守徹の語り口も歯切れ良い。
話は、「十二指腸」の名前の由来と長さに展開していった。

そういえば……と、思い出した。
我が家の今の車は新車で買ったけれど、今年8年目に入る。
昨年暮れ、運転中にトラブルを起こし、点検と同時に査定をしてもらった。
故障の原因となった部品はクリーニングで当分の間は持ちこたえるが、次に壊れたら取り替えなければならないという。
その料金、19,000円ほどになるそうだ。
8年も経てば仕方ないか、と家に帰り、査定金額を見て驚いた。
愛車は部品代と同じ価値しかないのだ。
私にとってはこれぞ、曖昧に知らせてほしい数字だった。

けど、もし、伝えてもらうとしたら、何にたとえてもらえばよかったんだろう。
約2万円、この金額、うまいたとえが思いつかない。
「ラーメン○杯分」「コーヒー○杯分」とかいう表現も聞くけれど、これも人それぞれイメージの違う数字だ。
かといって、指を2本立てられ、「これだけかかります」って示されたら、私はもっと勘違いしていただろう。
「わぁ、20万円で下取りしてもらえるんだ♪」って具合に。
やっぱり、これははっきりした数字がいいのだなぁと思う。
大きさや金額は、何かにたとえて具体的に伝えるのは難しい。
うちの車、今度故障したときは、もう、買い替えしかないようだ。

向井氏の奥さまは、宇宙飛行士 向井千秋さんである。
もっとお話を知ってみたくて、私はこの本を図書館に予約した。

……で、車のことを友人に話したら、彼女がこう言った。
「だ~いじょうぶ。うちもそうだったけど、部品の交換でそのあと7、8年は乗ったから」と。
二者択一の道が、まだ残っているような助け舟だった。

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国道52号線のタイミング

2006年02月11日 | 清水ともゑ帳
母の墓参と図書館の利用を兼ねて、時々、興津(おきつ)方面に出向く。
そのときに、いつも、もう一度体験してみたいと思うことがある。

4、5年前のこと。
当時、私は同じアパートに住む主婦友達とよくお茶をしていた。
あるとき、興津出身の友人が、「子どものころから不思議に思っていることがあるんだけど…」と話し始めた。
国道52号線を山梨方面から車で走ってくると、その延長線上の沖に停泊中の小さく見える船が、興津中町の交差点(52号線の起点)で急に大きく見えるというのだ。



その間、ほんの数十秒ほどだそうだ。
沖にいた船が、いくらなんでもそんなに早く接岸できるわけがない。
その場で大いに話しが盛り上がり、今からみんなで確かめに行こう、ということになった。
一旦、山梨方面へ52号線を上っていき、そして、下ってきた。



な、なんと、彼女の言うとおりだ。
沖に見えたちっちゃな船が、目の前にドーンと構えている。
自分の目がいきなりオペラグラスになったみたいに。

帰りの車で、私たちは興奮した。
言い出した彼女は、「ほら、ほんとでしょ」と。
他の一人が、「こんな大発見、テレビ局に言わなきゃ」と言う。
「じゃ、『とびっきり!しずおか』か『静岡まるごとワイド』にしよう」
「ローカルテレビじゃもったいないよ、すごいことなんだから。そうだ、全国ネットの『めざまし調査隊』に依頼しよう」
「そうだ、それにしよう!」
もう、誰が何をどう言ったのかわからないくらいだった。

私は夫にも興奮して話した。
が、意外にも夫は冷静だった。
「それは、他に見える景色との対比で、錯覚しているだけだよ」と言う。
ふーん、なるほど。それって例えば、家具屋さんで見たソファを家の中に運んだら、妙に大きくて圧迫感を感じるときみたいに……?
あんなに盛り上がった話題だったけれど、誰もテレビ局に伝えることもなく、しぼんでしまった。

錯覚でもなんでもいい。
もう一度、あの体験をしたいと思うのだ。
それがなかなか難しい。
52号線の延長線上の真正面の沖に、船が停泊していることが少ない。
仮にあったとしても、車道の前方に大型車がいて、視界がさえぎられることも多い。

みんなで見に行ったあのとき。
あれは、本当にグッドタイミングだった。

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ポンポンいかだ(3)

2006年02月08日 | 静岡
最近、ポンポンいかだの音を聞いていない。
ふと気がついたのは数日前だった。
最後に音を聞いたのは、姿を見たのは……はっきり思い出せない。
去年の秋ごろだったろうか。



子どものころから、私は巴川を行くいかだを「ポンポンいかだ」と呼んでいる。
本当はなんという名前なのか、今もって知らない。
父が運転する50ccのカブも「ポンポン」と言っていたから、モーターで動く物を何でもそう呼んでいたのかもしれない。

巴川を上っていくいかだの行く先も知らず、ただ、いつも目で追うだけだった。
いつかこの船に乗り、川から清水の街を眺めてみたいと思うこともあった。

いかだの姿をずっと見ていないことに気がつき、行く先を調べてみた。
合板会社の貯木場らしいが、木材をこのように運搬する必要がなくなってしまったようだ。
もう、「ポンポンいかだ」は見られない。

時折、外で大きなモーター音が響く。
もしかして、いかだが…と思い、急いで窓を開けると、それは、近くでビルの解体をする重機の音であったり、清水港上空を飛ぶヘリコプターの音であったりする。

いかだは、来ない。
それでも、私は耳をそばだててしまうのだ。

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興津公民館

2006年02月05日 | 静岡
ホームセンターへ買い物に行くつもりが、ぼんやりしていたらうっかり通り過ぎてしまった。
Uターンするタイミングも逸してしまい、そのまま東へ車を走らせた。
そして、時々利用している興津(おきつ)図書館へ。
図書館は興津公民館の中にある。



駿河湾に面した眺めのいいところ。
窓からは陽光がふりそそいで、気持ちがいい。

図書館を出て、以前から気になっていた場所まで歩いてみた。
駐車スペースが広くとられているところに何があるのかなぁと、いつも思っていた。



おお、こんなに立派に整備された公園があったんだぁ!
知らなかった。
このすぐ近くには、元ヤオハンのマックスバリューがあって、買い物もついでに済ませられるし…。
今度はポポと一緒に来なくっちゃ。

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気になるご当地弁当

2006年02月03日 | 清水ともゑ帳
あさっては古紙回収の日。
古新聞や雑誌などをまとめようとしていて、『JAF Mate』が目に止まった。
いつものことだけれど、つい以前の新聞や雑誌を読み返してしまい、作業の手を休めてしまう。
『JAF Mate』1.2月の合併号では、「ご当地弁当」が特集されている。
雑誌が届いてすぐに目を通したけれど、なんとなくそのままにしていた。
「ふーん」とか「ほー」とか言いながら、ページをめくるとおいしそうなお弁当ばかり。
ふくめし、うにめし、柿の葉すし、越前かに寿し、ますのすし……。

富山の「ますのすし」にはほろ苦い思い出がある。
私は20代半ばのころの2年半を北陸で過ごした。
その間、いろいろなことがあり、ある日、とうとう耐え切れなくなり、北陸線で大阪へ向かった。
「雷鳥」に乗り、「この地での最後の思い出に…」となけなしのお金で買ったのが富山の「ますのすし」だった。

「ますのすし」は丸い容器に笹の葉で包まれて入っている。
ふたの上には、青竹が強力なゴムで止められていて、それが重しとなり押し寿司のようになっている。
以前にも食べたことがあったので、このゴムは慎重にはずさないと、ゴムと青竹が飛んでしまうことを知っていた。

けれど、ちょっとした弾みでぽーんと飛んでしまい、青竹は向かい側に座っていた女性の太ももに落ちた。
その女性もこうなることを予測していたのかもしれない。
余裕の笑顔で、青竹を私に差し出してくれた。
私はすごく恥ずかしくて、「すみません」と首をすくめながら受け取った。

あれほど張り詰めた気持ちで電車に乗ったのに、ゴムの緊張が解けたのと同じように、私の気持ちにも緩むものがあった。

そんなず~っと昔のことを思いながら、さらにめくったページには、何やら気になるおにぎりがある。
「珈琲おにぎり」
長崎県で売っているそうだ。

”周辺で栽培される国産コーヒー豆と世界のコーヒー豆をブレンドした「寿古(すこ)珈琲」で炊き上げたおにぎりは、噛むほどにコーヒーの香ばしさが広がる”

と、説明が書いてある。
どんな味なのか、味のイメージが今ひとつわいてこない。
自分流にコーヒーでご飯を炊き、作ってみようかと考えたけど、ちょいと勇気がいりそうだ。
やはり一度はかの地へ行って食べてみなくては。

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大きさの逆転

2006年02月01日 | 清水ともゑ帳
子どものころに通った道を大人になって通ると、「こんなに細い道だっけ?」と思う。
同様に、小学校の教室に入ったときなど、机と椅子がとても小さく感じたり、大きなプールだと思っていたらそうでなかったりしたことなど……。
大人になればほとんどの物を、そんなふうに感ずるのは当然だと思っていた。

ところが、この場所は違っていた。
清水区下野にある浅間神社。



私が小学生のころ、毎日のように遊んでいたところ。
夏休みのラジオ体操、盆踊りなどもここに集った。
その当時、ここが「浅間神社」ということすら私は知らなかった。
子どもが活動する小さい範囲では、「お宮さん」と言えばここしかなかったので、「お宮さん」で充分通じていた。
訪れたのは昨年12月中旬。
中学2年生で下野を離れてから、30数年ぶりになる。



「こんなに広かったっけ」
境内に足を踏み入れて驚いた。
子どものころ狭いと思っていた場所が、今は広いと感じるなんて、これまでとは逆の感覚だ。
敷地を広げたのかなとも考えたけれど、そうでもないような気がする。

あのころは子どもがたくさん遊んでいて、密度が高く狭いと感じたんだろうか。
子どもが少なくなり、まして、外で遊ぶ子はもっと少ない。
それで、広く感じるのだろうか。

冬の陽だまりの中、かつての姿とほとんど変わらないお宮さんをしばし散策した。

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