風の数え方

私の身の回りのちょっとした出来事

お茶をありがとう

2005年09月29日 | 清水ともゑ帳
昨日まで働いていたデパートで、私の仕事は、商品を勧めたり売ったりすることより、電話に出る、お茶を出すなど、社員のアシストとして売り場に立つことでした。
その売り場では、お客さまにお茶を出しています。
これまでの売り場にはなかったことなので、最初はとても戸惑いました。
ただお茶を出せばいいというものでないんです。
そこにみえるお客さまはお茶の味から立ち振る舞いまで、すべてにおいてちょっと厳しい目を持っている方ばかりなのです。
ふだんから大雑把に物事を進めてしまう私は、20代の女性社員に一つ一つ注意されていました。
正直なところ、「こんなのいちいち、めんどくさいなぁ」と思うこともありました。

でも、昨日、夫婦でいらした年輩のお客さまが帰り際、
「今日はおいしいお茶をありがとう」
と、おっしゃってくださいました。
私の方がありがたいお言葉に感謝でした。
近ごろはネットでいろんな物が買えるけれど、対面販売には対面販売の良さがあるなぁと思いました。
また、こういった場面に限らず、常にこの方のような心持ちで、まわりの人に感謝の意を伝えていけたらなと思いました。
それからは、急須から出る最後の一滴まで気持ちを込めて丁寧に入れました。
仕事の最終日になって、こんな大事なことに気付くなんて…。

昨日は、社員の方の売上につながるアシストができたこともあり、いい締めくくりができました。
出勤するたびに思っていたんです。
ただ、立っているだけじゃなくて、いいパス、いいトスを上げて、ちょっとでも役に立ちたいなぁって。

「我以外みな師」
あらためてこの言葉を噛み締めた一日でした。

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大正橋からの夕焼け

2005年09月24日 | 静岡
台風が接近しているとのことで、今日は風が強く、時々雨も降りました。
夕方、傘を手に、買い物に出かけたときのこと。
巴川にかかる大正橋から、夕焼けを見ました。
川面が夕焼け色に染まり、ちょっと幻想的な風景でもありました。
残念ながら、デジカメを持っていなかったので、携帯電話で写してみました。



しばらく夕焼けを眺めていたら、大正橋のたもとにある「かねだ食堂」のおかみさんも橋からの風景を撮影していました。
『季刊清水』という本によると、おかみさんは清水次郎長のひ孫にあたる方だそうです。
「かねだ食堂」さんは、さくらももこさんが父ヒロシさんと来店していたというお店だそうで、また、直木賞作家村松友視氏の著書『巴川』にも登場している有名店です。
私は、このお店の前をほとんど毎日のように通るものの、まだ、店内で食事したことがありません。
でも、勝手に親しみを感じて、
「きれいですね」
と、夕焼けを写真におさめているおかみさんに、つい話しかけてしまいました。
「ほんとに。台風が来てるなんて思えないね。こんなにきれいだと明日は晴れそうだよねぇ」
と、にこにことこたえてくれました。

それにしても、カメラを持っていなかったことをつくづく悔やみます。
といって、自分がきれいだなぁと思ったとおりの景色をカメラにおさめられるわけでもないのですが…。
この写真じゃ何がなんだかわからないです。
青っぽく見える空が朱色に変わった様子だけがかろうじてわかるくらい…?
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風に吹かれて豆腐屋ジョニー

2005年09月19日 | 食べもの帳
ゆうべ、観月会の帰りに日ごろは行くことがなかったスーパーに寄りました。
いつもと違う店に行くと、変わったものが置いてあるので、食材の買い物が楽しくなります。
そして、見つけたのがこれです。



長さを測ったら、29cmありました。
ネーミングが面白いけれど、お味のほどは……?
正直なところ、あまり期待してませんでした。
が、なんとなんと美味です。
今まで食べていた絹豆腐が牛乳だとしたら、このお豆腐は生クリームのような濃厚さです。
私はさっぱり系より、こってり系が好きなので、これはかなりヒットでした。
お醤油や薬味をかけてしまうのはもったいないです。

こちらの会社の製品です。
で、このHPを見て「あっ」と気がつきました。
satonakaさんのブログに「女やねんけど男前お嬢」というお豆腐が載っていたことを思い出しました。
こちらのHPも面白いです。
どちらのHPも威勢のいい音が流れています。

もう一度食べたくなり、今日は、「どんどこ豆腐」というのを買ってきました。
1週間のお休みはあっという間に終わり、明日からまた仕事。
明朝はお豆腐を食べて、元気出して出勤します。

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いほはらの観月会

2005年09月18日 | 静岡
今夜は、清水区庵原(いはら)の三池平(みいけだいら)古墳で開催された観月会に行ってきました。
静岡市メルマガ「レメニス」を、この地区の自治会長さんが読んでくださり、観月会のご連絡をいただきました。
思いがけないお知らせに心が躍る思いで、車を走らせました。
古墳への階段を上るとこんなにステキな歓迎があります。



日中は晴れていたものの夕方から雲が厚くなっていました。
雲間に月明かりを探しながら、「月の砂漠」のコーラスが始まりました。
観月句会では、地域の方々の味わいのある俳句の数々が披露されました。
地区のご婦人たちの手打ちそばもいただきました。
おそばのお椀はちっちゃめなのですが、量はたっぷり入っていました。
たぶんざるそば一枚半くらい…?



7時35分、完全に雲が切れて、まん丸お月さまがお出ましになりました。



月明かりに照らされて、宴たけなわとなります。
遠くに清水の街明かりがちらちらと輝いています。



古代いほはらの里に万葉の歌。
月を、句を鑑賞し、地域のふれあいがある…いいものです。
私は本当にいいところに住めたなぁと、視線の先に広がる清水の夜景がにじんで見えました。


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清水の朝

2005年09月17日 | 静岡


すがすがしい景色に出合いました。

おはよう、朝!


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巴川の三ツ石

2005年09月15日 | 静岡
清水区にある戸田書店から発行されている『季刊清水』という本があります。



第38号の特集は「巴川をさかのぼる」で、巴川製紙所の正門の門柱「三ツ石」について書かれていたので、見に出かけました。
と、いっても、ここのすぐ近くにあるスーパーへ行くついでなんですが…。
そして、そのスーパーが建っていたところも、元は製紙工場の敷地でした。



以前からこの門についての由来はなんとなく聞いたことがあり、工場の前の道もよく通るのですが、じっくりと眺めたことはありませんでした。

清水区入江一丁目自治会によって立てられた「三ツ石の由来」の碑と『季刊清水』によると、この石は徳川家康が駿府城築城の際に、三河から船で運んだものだそうです。
ところが陸揚げができず船が転覆し、巴川に埋没してしまったそうです。
川に残された三つの大石を里人は「三ツ石」と呼ぶようになり、いつしか石の行方はわからなくなってしまい、言い伝えだけが残ったそうです。
明治27年(1894年)巴川製紙所の工場建設のときに発見され、うち二つを引き上げ門柱としたとのことです。

伝説としてしか残っていなかったものが、実際に見つかったときの驚きって…。
あまりに見慣れてしまった風景だけれど、由来をじっくり読んだ上であらためて見つめてみると、門柱の石につい触れたくなりました。

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似て非なり

2005年09月13日 | 清水ともゑ帳
今月に入って私が働いているのは、市内の某デパートです。
ここ数年間、この店で中元歳暮の時期にも働いていたのですが、今回は売り場が違うので戸惑うことばかりです。

先日、仕事が終わり、従業員用エレベーターに載ったときのこと、乗り合わせた人たちの会話が聞くともなしに耳に入ってきました。
私と同世代くらいの女性が、
「明日、松原智恵子が店に来るんだって」
と、はずんだ声で言いました。
するとちょっと年輩の女性が、
「ああ、あの泣きそうな顔した人でしょ」
と、答えました。
その瞬間、私も含めエレベーター内にいた人たちから、クスクスと笑いが起こりました。
松原さんの特徴をうまく言い当てた表現に、みんな納得してしまったんです。

翌日、松原さんが来店されました。
白い着物を清楚に着こなし、エスカレーターを下っていく松原さんに、私も偶然お目にかかることができました。
テレビに映っている以上に美しくて、圧倒されました。

休憩室に行くと、やはり松原さんの話題がそこここで盛り上がっています。
50代くらいの女性が、30代の女性に話しかけていました。
「ねえねえ、見た見た?松原智恵子」
「あっ、その人ってさぁ、ライオンに噛まれちゃった人でしょ?」
「違うわよ、それは、松島トモ子
私も同じツッコミをしたくなりました。
50代の女性が続けました。
「松原智恵子ってさぁ、この前のドラマで…ほら、『汚れた舌』とかいうので、飯島直子のおかあさん役をやってた人よ」
「ああ、あの人がそうだったんだぁ」
30代の女性はやっと名前と顔が一致したようでした。

私が一番最初に松原智恵子さんを知ったのは、小学生のころです。
『ある日わたしは』という番組を見てのことでした。
美しい姉役を松原さんが、かわいい妹役がジュディ・オングさんだったかと思います。
このドラマが好きになって、原作者の石坂洋次郎氏の作品を片っ端から読むきっかけになりました。
『青い山脈』 『寒い朝』 『陽のあたる坂道』などなど。
当時、私は石坂洋次郎氏と石原裕次郎、石坂浩二がいつもこんがらがっていました。
その上、現在都知事の石原慎太郎氏が作家でもあるので、ますます混乱してました。
名前…似てるけど、全然、違うんですよね。

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夏の終わりの散歩道

2005年09月09日 | 静岡
これらの写真をUPしたくなり日付を見たら、ちょうど2週間前、8月26日(金)でした。
日差しの強さが今とは明らかに違うので、「ああ、夏は行ってしまった」と今さらながらに思い、少しばかり感傷的になっています。

この日は買い物に出たついでに、1時間ほどの散歩をしてきました。
まずは、路地裏散策。
この路地へ入ったのは、初めてです。
人が一人、やっと通れるほどの道幅。
小学校に入る前まで、私もここと似たような雰囲気のところに住んでいました。
気分は園服を着ていたころに戻り、水溜り遊びをしたことなどを思い出します。



この道を抜けながら、巴川沿いへ。
犬の散歩の途中、ほとんど毎日のように眺めているのに、私には、何度見ても新鮮な風景に感じる場所です。



こんなに素敵な離れがあるなんていいなぁと、憧れてしまう家屋。
茶室だとしたら、ここでいただくお茶は一味も二味もおいしいに違いないのでは…。
懐かしいポストも。



「清水を観光したい」という人がいたら私は、自分自身の思い入れの強い場所ばかりを案内してしまいそうです。

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街の赤

2005年09月08日 | 静岡
最近、とっても赤が好きです。
この夏、4年間使った携帯電話が故障し、機種変するとき、「赤」にしました。
友人に頼んで、赤いビーズのピアスも作ってもらったりもして…。
10年間使い古した財布は、ちょっと奮発して、ヴィトンのエピシリーズの「赤」に買い替えしたいと思っています。
「赤」に敏感になっているせいか、清水区の街角でもいくつかの「赤」を意識するようになりました。



清水ナショナルトレーニングセンターの「赤」。
日韓共催サッカーワールドカップのときには、ロシアチームがキャンプしました。
ボールを蹴っている姿に見えます。




時々、買い物に行くスーパーの近くで見つけた「赤」。
仲亀幸弘氏の「刻(とき)の記憶」という作品だそうです。




愛犬ポポの散歩に行く日の出マリンパークで見つけた「赤」。
同じく仲亀氏の「形の分子」という作品だそうです。




こちらもマリンパークです。
休日にはよくカップルが一緒に鐘を鳴らしています。


高校生のころ、数学が苦手で、通知表に「1」と赤いインクのスタンプが押されて戻ってきたときにはショックとともに、「アカイチ」は本当に「赤い1」なんだ、とながめいったことがありました。
私にとっての「赤」はこんな思い出につながっていました。
でも、カラーセラピーによると、「赤」には心を元気にしてくれたり、エネルギーや情熱を与えてくれたりするパワーがあるそうです。
そんな情報を聞くと、「赤」に対するイメージはがらっとよくなり、元気がみなぎってきそうです。


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「故郷からのおくりもの」展

2005年09月07日 | 清水ともゑ帳


昨日は、人形作家高橋まゆみさんの「故郷からのおくりもの」展に行ってきました。
私が子どもだったころの昭和の風景、農村に暮らす人々の姿に惹きつけられ、ずっと見てみたかったんです。
一体一体の人形が今にも動き出しそうで、そして、土地の言葉で語りかけてくれそうで、それはそれは見事にできていました。
会場で耳にしたのですが、この人形展に訪れて泣いてしまった方もいるとのことでした。
とてもわかる気がします。
作者の思いが人形に託されて伝わり、感動につながっているように思います。

先月末に突然、仕事の依頼の電話が入り、今月1日から私にとっての新学期が始まりました。
とはいえ、ひと月にトータルで10日間働くだけなのですが…。
当分は働きに出ないつもりだったのですが、こんな私でも声をかけていただけるなんて…と、そのありがたさに、気がつくと具体的な打ち合わせをしていました。
経験がある仕事とはいえ、まだ、職場の雰囲気に慣れず、精神的にも肉体的にもちょっと余裕のない日々が続いていました。

でも、この人形展に出かけたことで、少しばかり気持ちにゆとりが出てきました。
帰り際に買った写真集を今日はあらためてじっくりながめながら、休日を楽しみました。


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