風の数え方

私の身の回りのちょっとした出来事

静岡葉ネギ

2005年02月27日 | 食べもの帳
最近、はまっている食材が「静岡葉ネギ」。
静岡葉ネギにどのような特徴があるのか実のところ私にはよくわからない。
が、一般に出回っているネギとどう違うかというと、太ネギ(白ネギ)よりも白い部分の甘みは少ないけれど、青い部分のくせがない。
細ネギに比べると、料理に使ったときにネギの存在感がある。
分け葱のように「ぬた」に使うこともでき、ほどよい食感と甘みがある。
私はふだんネギを薬味として添えることはあっても、自分自身が食べるときは使うことがない。
けれど、この静岡葉ネギは料理や素材の味を邪魔しないので、そんなところも気に入って、豆腐や麺類などに薬味としていっぱい切る。
近ごろは毎朝、味噌汁にたっぷり入れている。
不思議なのはたくさん入れてもネギ臭さがなく、それどころか他の具材や味噌の味までもうんと引き立ててくれる。
値段も手ごろで、この一束、たっぷり使いでがあって、98円。

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イカナゴの季節

2005年02月26日 | 食べもの帳
この時期に食べたくなるものの一つに、「イカナゴ」がある。
関西方面で、今ごろの時期に漁が解禁となる。
そして、イカナゴを甘辛く炊いた「くぎ煮」や釜揚げにされたものが市場に出回る。
姉が神戸に嫁いで以来、私も神戸を行き来するようになって30年ほどが経つ。
それからというもの、イカナゴのおいしさにはずっと魅了され続けている。

3年前のちょうど今ごろに神戸を訪れたとき、明石からフェリーで淡路島へ渡った。
陸からは明石海峡大橋を何度も見ていたけれど、海から橋を見上げたのはこのときが初めてだった。
早春とはまだ名ばかりで、船上でうける風は身を切るように冷たかった。
淡路島がだんだん大きく見え始めたときに、船の周りにはくぎ煮を炊いている醤油の香が漂ってきた。
先ほどまでの寒さをいっとき忘れて、私はこの香に春を感じた。

店で買うイカナゴのくぎ煮もおいしいが、私は姉が作る山椒の実がピリリときいたくぎ煮が好きだ。
そのほかに、私がもう一つ好きなのは、釜揚げされたイカナゴを、酢醤油と七味唐辛子をかけて食べることだ。
これらはお酒のつまみとしてもいいし、白いご飯などは何杯でもいけてしまう。
くぎ煮は保存がきくので姉に送ってもらったのを静岡で食べることもできるが、残念ながら釜揚げされたのはこちらでは食べられない。
やはり、神戸で新鮮なものを食すのが一番おいしい。

今年も春を告げるイカナゴ漁がもうすぐ解禁だそうだ。


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ポンポンいかだ(2)

2005年02月25日 | 静岡
家の近くを流れる川を行く、いかだです。
幼いころ私は、「ポンポンいかだ」と呼んでいました。
記憶が定かではないのですが、ポンポンポンと音を立てながら行く汽船が、
このいかだを引いていると思っていたからです。



以前にもこのブログでいかだの写真を載せました。
そのときもそうでしたが、いつもはベランダから眺めたり、写真を撮っていました。
ところが、今日は運よく、いかだと同じくらいの目線でとらえることができました。

俳句に「花筏」(はないかだ)という言葉があり、春の季語に使われるそうです。
花びらが水面に一定方向に並んで、流れていくさまを表しているそうです。

今日の午後は穏やかな天気となり、いかだを見送りながら「花筏」という言葉を思い出し、
来る春を想っていました。
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夫婦50割引で…

2005年02月23日 | 清水ともゑ帳
今日は初めて「夫婦50割引」を利用して映画「オペラ座の怪人」を観てきました。
夫がこの1月に50歳をむかえ、そのころにちょうどこの作品が公開されました。
でも、間もなく彼がインフルエンザにかかり、続けて私も感染してしまいました。
ずっと観たいと思っていたので、やっとそれがかないました。
「夫婦50割引」は夫婦のどちらかが50歳ならば、夫婦二人で映画を2000円で観られるというもので、今年6月末日までの限定サービスです。
劇場に入るとき夫が免許証を提示すると、従業員の方が「はい、今日は夫婦50割引ご利用でお二人で2000円となります」と言いました。
そして、発券されたチケットを差し出すとき、もう一度「では、夫婦50割引のチケットお二人さま分です」と言いました。
私はただ丁寧に確認するなぁと思ったのですが、あとで彼は「二度も夫婦50割引って言わなくたってなぁ」とぼやいていました。
安くなるといっても、本人は複雑だったようです。
「オペラ座の怪人」でクリスティーヌ役のエミー・ロッサムが、「デイアフタートゥモロー」にも出演していたことをあとで知りました。
愛犬ポポとの出会いのきっかけが、「デイアフタートゥモロー」でした。
この映画の上映までの待ち時間に、ペットショップに寄って子犬をながめていたら、犬を飼いたくなってしまいました。
それからひと月いろいろ考えた末に、信頼できそうなブリーダーさんを見つけ、ポポと過ごすことになったわけなんです。
あのときは、あと半年ほどで「夫婦50割引」が使えるとわくわくしていました。
今朝、「はなまるマーケット」に出演した華道家の假屋崎省吾さんが「美しいものにはパワーがある」と言ってました。
「オペラ座の怪人」で美しい曲、声、演出に触れて、假屋崎さんの言葉どおりだなと思いました。
今夜はこの余韻を抱きしめたまま眠りたい気分です。
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チョコ塚

2005年02月22日 | 清水ともゑ帳
チョコレートが大好きです。
特にピーナッツやアーモンド、マカダミアナッツが入ったチョコが…。
食べすぎないように箱入りのものを買えばいいものを、ついつい徳用袋を買ってしまいます。
買うとき、いつも心の中で唱えるのです。
「これを何日間かに分けて少量ずつ食べよう」…と。
そして、少しずつ口の中で溶かして食べようと思うのに、いつも一気にカリカリっと食べてしまいます。
あっという間に包み紙が山になっていくのです。
そのつど、ゴミ入れに捨ててしまうと、自分の食べた量が把握できなくて、とめどなくなってしまいます。
それで、こうして目の前に積んでおくことにしています。



ときどき、空の包み紙を数えては、いくつ食べたのかチェックしています。
袋の裏に記載されている1袋の量におけるカロリーも目にしておきます。
チョコに関しては一層、食欲が暴走しちゃって止まりません。
古代人が貝を食べたあとの殻を集めたところが貝塚なら、私のはチョコ塚となりそうです。

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本宮籐子さん

2005年02月21日 | 清水ともゑ帳
♪ゆらゆらゆら 心は揺れる キラキラキラ 時はかがいてる♪
…で、始まる小田和正さんの「キラキラ」を口ずさむ時、私の目の前には「籐子さん」のかわいい姿が現れてきます。
3年前のちょうど今ごろ、フジテレビで放映されていた「恋ノチカラ」は大好きなドラマでした。
本宮籐子は、深津絵里さん扮するこのドラマのヒロインです。
去年もやはりこの時期に、夕方、再放送されていました。
冬の夕日が富士山やこのあたりに見える建物をオレンジ色に染めて風景がキラキラと光るとき、私はこの歌とドラマで元気になっていました。
そして、また、本宮籐子さんや貫井さんに会いたくて、昨日はビデオを借りました。
何度見ても、やっぱりいいです!
他のドラマでは決してこんなことはありませんでした。
それは、私自身が初めて一生懸命取り組み長続きした写植オペレーターという仕事で、
広告とかかわってきたことをこのドラマに投影して見ているせいかもしれません。
物語は、大手広告代理店にいたGデザイナーの貫井が独立し、「貫井企画」という会社を
立ち上げるところからドラマは始まります。
私がいた広告代理店も貫井企画のように小さくて、社長と社員合わせて4人でやっていました。
貫井企画のようにオシャレじゃありませんでしたが…。
ドラマの中で、籐子が赤ワインを気取らずにおいしそうに飲むシーンもすごく好き。
テレビのこちら側の私も、飲みたくなってゴクンとなってしまいます。
寒さを忘れてしまうようなパワーが作品全体に感じられます。
レンタルビデオでは物足りず、DVDを欲しくなってしまいました。
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好きな道

2005年02月20日 | 静岡
私にとっての「無印良道」がここ。
「無印良道」とは、作家の林望氏が「JAF Mate」というJAFの会員向け雑誌に連載している記事のコンセプト。
残念ながらこの企画は3月号をもって終了してしまう。
林氏が日本全国の名もなき道、名もなき風景を旅をし、写真と文章が掲載されてきた。
文字通り、名前がついてなくてもすてきな道がたくさん紹介されていた。

最終号を飾ったのは、北九州市周辺で門司から小倉あたりまでだった。
その中で、抜粋したい部分があった。

これらの風景をご覧になって「いったいどこにこんな見事な景色があるんだろう」という思いを抱かれた方も少なくないことであろう。けれどもそう思っておられる皆さまがたのすぐ足下の、ちょっと一路地曲がったすぐそこにも、かかる風趣はかけそく鎮まっているのである。

まさしくそのとおりだなと思った。
車や自転車で、ほんの一瞬で通りすぎてしまう風景も、歩いてじっくりながめて見ると趣のあるいい場所が多い。
忙しさの中で見落としてしまっているだけなのかもしれない。
今歩いているこの道が「いい!」と思ったら、それが「無印良道」なのだ。

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珍回答

2005年02月19日 | 清水ともゑ帳
子供の珍回答には、ただただ笑ってしまうものが多い。
と、同時に、こんな柔軟な頭があったらなぁとうらやましく思うことがよくある。

先日、友人が家に来たときに、娘さんのこんな話をしてくれた。
国語のテストで、どうしても書けなかった漢字の問題が二つがあり、それは「湯」と「神社」だったそうだ。
テストの提出時間が迫る中、苦し紛れに彼女は書いた。
まず「湯」は、三ずいにマークを書いたそうだ。
もう一つの「神社」は、示すへんに鳥居のマークを書いたという。
友人は、娘さんの解答用紙につけられた大きな赤い二つのバッテンを見ながら、
お腹を抱えて笑いつつ、複雑な心境だったそうだ。

かなり前だけれど、別のところで小学生のこんな話も聞いたことがある。
「次のカッコの中にこたえを書きなさい」に対して、答案用紙の( )の中すべてに
「こたえ」「こたえ」と書いてしまったこととか、
「りんごが5コありました。3コ食べました。いくつのこったでしょう」に対して、
「おいしかった」という答え。
どの答えも私はすごく好きだ。

この前も子供のちょっとした言葉にはっとさせられた。
私の住んでいる静岡市には「千歳町」(ちとせちょう)という地名がある。
その住居表示を見た子供が、「この町の人は千歳まで長生きするの?」と訊いてきた。
この地名が「せんさい」とも読めることすら、私の頭にはなかったので、子供の質問の意味が
すぐにはわからなかった。
北海道の「千歳空港」、七五三の「千歳飴」、「ちとせ」以外の読み方を
私はしてみたことがなかった。
ふだんあまり子供と接することがない私には、とても新鮮な出来事だった。
子供ってすごい!
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冬の病

2005年02月18日 | 清水ともゑ帳
私の冬の病のひとつに「能登に行きたい病」がある。
他の季節にはさほど思わないのに、冬のいちば~ん寒い時に限って、厳寒の能登へ行って波の華を見たくなる。
能登の「 Caf'e Manhattan」さんには、ステキなマスターがいて、私はいつもそちらのHPにおじゃまさせていただいている。
カフェの正宗っちさんがBBSに画像をUPしてくださるのをながめていたら、ますます能登に行ってみたくなった。
能登に住んでいたのは、もう20年ほど前。
しかも、私にとっては一番苦しかったころ。
生活費というより生存費そのものがなくて、精神的にも辛かった。
…けど、年月はそういうものまできれいな思い出に変えてしまうのか、年を経れば経るほど、
とても懐かしく感じる。
じゃぁ、あのころの生活をもう一度してみるかと言えば、もう二度としたくはないんだけど…。
でも、なんというか、そういう辛いときに一番温かい思いをしたのも能登なのだ。
あのころ、私の周りで支えてくれた能登の人たちの心が本当にありがたかった。
吹雪の日にやさしくしてくれたおばあちゃん、祭りの日に見も知らない私を家に迎えてくれていっぱいご馳走してくれたどこかのおばちゃんたち。
寒い日に能登に帰りたくなるのは、たぶん能登の人の温かい気持ちとのコントラストなのかな。
うまく言葉にならないけど…。
あのころ、20年後にこんなふうにネットが普及して、自分自身までもが機械を扱うなんて考えも及ばなかった。
今、ネットを通じて、また、能登を身近に感じさせてくれるCaf'e Manhattanさんに感謝。
「能登へ行きたい」と夫に言ったら、「家の掃除でもしてろ!」と却下された。
結婚して16年も経つというのに、夫もまだまだ甘いものよのぉ。
反対すればするほど、私は手をつけられなくなるというのに…。
和倉温泉の「女性お一人でもどうぞ」という宿をさっき探したところだ。

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少しずつ…

2005年02月17日 | 清水ともゑ帳
今日は郵便局に行ってきた。
ずっと気になっていたお年玉付き年賀状の当りハガキで、切手シートとの交換をしてきた。
ついでに余っていた年賀状を引き取ってもらって、切手と官製はがきに変えてきた。
昨日は、3月に予定している旅行についての文書を作り、参加予定者にFAXを流した。
どうってことないようなこういうことを、一つ一つ済ませていくなかに、ささやかな達成感を感ずる。
こんな小さなことの積み重ねが、私を肉体的にも精神的にも、快方へ導いてくれる。
少しずつ少しずつ、春の足音みたいに、三寒四温を繰り返し、行ったり来たりしながら、
前に進んでいくんだろう。
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スタンス

2005年02月16日 | 清水ともゑ帳
ほんの数日間、休んだだけ…と、自分では思っていた。
けれど、まだ、読んでいなかった新聞に目を通すと、あんなことこんなことが起こっていて、
世間が騒がしくなっている。
ブログの散歩に出かけてみる。
たとえば、一人の人が3回記事を更新しているとすると、10軒まわると30ほどの話題に触れることになる。
新聞もブログも、毎日目を通すとそれほどでもないことだけれど、こうしてみるとなかなか読み応えがあるものだ。

かつて、バブル全盛期、「空前の好景気」と言われていたころ、私自身の生活はそうでもなかった。
昼も夜も働いていた。
あまりに睡眠時間が短くて、現実なのか夢うつつなのか、意識がはっきりしない状態が
続いていた。
そんな生活を5年間ほどしたころに、バブルも下火になっていった。
後年、当時のことを振り返ってみると、好景気のころもその後も、
私の生活は夜働かなくなった以外は、ほとんど変わらなかった。
そのことを友人に話したら、彼女が、「周りに振り回されなかったのが良かったんだね」
と言った。
「ほ~、そういう見方もあるんだ」と思ったけれど、あのころの私は、
自分以外のことに興味がわかなかったのだ。

からだが元気を取り戻し始めるのと同時に、世の中の出来事から遠ざかっていた分を
勉強の遅れでも取り戻すように、新聞やテレビに引き寄せられていく。
時々私は、こうして時流にうまく乗れない自分に焦りを感じたり、社会から取り残されていきそうだと不安を覚えたりすることがある。
でも、もしかして、そんなにやっきになることもないのかもしれない。
世間のできごとに対する柔軟性を持つことも必要だけれど、自分の立っていたい場所、
進みたい歩幅など、頑固なスタンスも持ち続けていたいものだと思った。


やっと見~っけ!

2005年02月15日 | 清水ともゑ帳
やっと見つけました!
長まくら。
サイズは 43cm×100cm なんです。
抱きまくらじゃぁないんです。
この2年間、ず~~っと探し続けたのです。
いろんな寝具屋さんとか、デパートの寝具売り場とか、
とにかくそれらしきものがあるところをいろいろ。
長さや大きさだけでなく、ちゃんと心地いい枕になってるもの。

今日は、夫と西友に出かけました。
店内のエスカレーターを下ってくるときに、
ふと「無印良品」が目にとまりました。
もしかして、ここで、あの枕が見つかるかも…と、
売り場をのぞいてみることにしました。
2種類あったうちの一つが、まさしく理想形でした。
ピローケースも合わせて買いました。
うれしいことに、ピローケースは、800円が300円にセール中。
今まで、妥協せずに探し続けた甲斐がありました。
もう、ホントうれしい
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元気!

2005年02月14日 | 清水ともゑ帳
私が休んでいた数日間に、ユリカモメはみな帰ってしまったようです。
川面がさびしくなっちゃったなぁと思っていたら、こんな元気な姿を発見!



掛け声とともに力強く、流れに逆らいながら、川上に向かっていきます。
彼らの視界には、梅並木は入ってないようですが……。



梅の花は、彼らに声援を送っているようです。


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テッパチ喰う

2005年02月09日 | 清水ともゑ帳
「あの子が鉄鉢喰ってっただよ」
と、義母がそのわけを話した。
それは、私たち夫婦2人がひと月で5kgのお米を消費するのに対し、
一人暮らしの義母が同じ量を2週間で消費したのが不思議だったからだ。
夫が義母に訊いたら、義弟(夫の弟)が母親のところに遊びに来て、
ごはんをいっぱい食べていったので、お米が早くなくなってしまったとのこと。

いつものことながら、「義母語録」は私には一度で意味がわからない。
「鉄鉢」とは、お坊さんが食を受けるときの鉄製の鉢のことで、
「てっぱつ」または「てっぱち」と言うのだそうだ。
ネットで調べたら、どんぶりよりずっと大きい。

「鉄鉢喰う」とは、「どんぶりいっぱい」とか「山盛りいっぱい」「てんこ盛り」より、
もっといっぱい食べたようで、なんともいい表現だ。
この言い回しが方言なのか、義母独特のものなのかはわからない。
でも、とにかく私はすごく気に入った。

ポポもこの前、義母が飼っているポメラニアンのごはんを鉄鉢喰ってきた。
うちじゃぁ、全然食べないのに。


アビちゃん、あたしにもごはんちょうだい

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薄紙を一枚一枚

2005年02月06日 | 清水ともゑ帳
「薄紙を一枚一枚重ねていくような努力でした」
と、おっしゃっていたのは、帝国ホテル料理顧問の村上信夫さんでした。
以前、TVで村上料理長がお話されたこの言葉と、
母が生前、口癖のように言っていた言葉が、私の中ではいつも重なります。
母は、「信用は少しずつ積み重ねてやっと築けるものだけど、一度でもなくすと、
次にもう一度積み重ねるのは容易なことじゃない」と、言っていました。
村上さんは、帝国ホテルに入社したばかりのころ、毎日毎日鍋を磨き続けたそうです。
そして、やっとソースが鍋底に残された鍋が、自分のところに回ってきたそうです。
当時は、先輩からなかなかレシピを教えてもらえなかった時代でした。


(私が16年間、愛用している、ケトルと鍋たち)

つい先日のこと、私にはとてもうれしいことがありました。
もう、20年以上前から、私がやってみたかったことについて、
思いがけずお話をいただくことができました。
最初は舞い上がってしまうほどの喜びでしたが、
やっぱり自分には無理ではないかと冷静に考えてみました。
でも、どうしてもチャレンジしてみたいと思い、させていただくことに決めました。
一度はあきらめていたこと、けれど、3年前から、再び心の中で
あたためてきたことでした。
それは、このブログのカテゴリー「好き好き、静岡」と、関連があることです。
今はまだスタートラインに立たせていただけるかもしれないという話ですが、
せっかくいただいたチャンス、がんばってみたいと思っています。

信用も努力も、少しずつしか積み重ねることができないもの。
そんなことを私は頭ではわかっていても、気がつくとたいした努力もせず、
おいしい結果だけを急いでいました。
先が見えない不安で、途中であきらめかけたり、くさったり、
うまくいかないことを周りのせいにもしました。
この3年間、こういった心の揺れと葛藤しながらも、そのことについては
どうしてもあきらめきれないものがありました。
…というより、自分が後味悪い思いをしたくなくて、
自分で自分にOKが出せるようになりたくて、
適当な妥協ができなかったという方が合っているかもしれません。

「好きなことを一生懸命やってみる」
これは大事だと思いました。
そして、今回のこの出来事で、私はこれまでの自分の半生を振り返ってみました。
どのワンシーンが一つ欠けても、ここには辿り着けなかったように思います。
「どうしよう?」と頭を抱えて困り果てたことも、実は喜びにつながる大事な名場面だった
と、今では思えるのです。

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