◎入息出息を鼻の先で見守る
OSHOのヴィパッサナーの三通りある方法の第三番目。
『そして第三の方法は、息があなたの鼻孔から入ってゆくとき、その入口で息に気づいていることだ。鼻の先端で感じるのだ。腹の対極で、鼻で、息を感じなさい。入っていく息は、鼻孔に一定の冷たさを感じさせる。それから、息が出てゆく・・・・・息が入る、息が出てゆく。これでもよい。
これは女性よりも男性にとって容易だ。女性はどちらかという腹を意識している。ほとんどの男性は腹まで呼吸することすらない。彼らは胸を上下させる。というのも、間違った体操が世界中に広まっているからだ。たしかに胸が熱く、腹がへこんでいれば、肉体はより美しく見える。男性は胸でしか呼吸しないため、胸はさらに大きくなり、腹は引き締まる。そのほうが彼をスポーツマンらしくみせる。
日本を除いた世界中のどこでも、すべての運動選手とその指導者たちは胸式呼吸に力点を置くため、胸を広げて腹を引き締めようとする。彼らの理想は、胸が大きく腹の小さなライオンだ。ライオンのようであれ---というのが体操選手や肉体に働きかけている人々の規範となった。日本は「広い胸、引き締まった腹」に注意を払わない唯一の例外だ。
腹を引き締めるには特殊な訓練がいる。だがそれは自然ではない。
日本は自然な道を選んだ。だから日本の仏陀の像を見れば驚くだろう。それこそ仏像がインドのか、日本のかを即座に識別できる方法だ。インドのゴータマ・ブッダ像は、まさに運動選手のような肉体をしている。胸はとても広く、腹は小さく引き締まっている。だが日本の仏陀はまったく別だ。彼の胸はほとんど沈黙している。なぜなら、彼は腹から呼吸しているからだ。だから腹のほうが大きい。みかけはそれほど良くない。というのも、世界に広まっているこの考え方は非常に古いものだからだ。だが複式呼吸のほうがより自然でくつろいでいる。
夜眠っているときには、胸でなく腹で呼吸している。だから夜とはそれほどにもくつろいだ体験なのだ。眠りの後、朝には、とても新鮮で若々しく感じる。というのも一晩中、自然に呼吸していたからだ・・・・あなたは日本にいたのだ!
これが二つのポイントだ。腹式呼吸、息の出入りへの注意が体操選手のような見かけを破壊すると恐れるなら・・・・・・・人々は体操選手のような見かけのほうに関心があるのかもしれない。それなら彼らにとっては、息の入る鼻孔のあたりで見守る方が容易だ。見守りなさい。そして息が出る時にも見守りなさい。』
(新瞑想法入門/OSHO/市民出版社P159-163から引用)
第三の方法は鼻孔のあたりで入息を見守って、また鼻孔のあたりで出息を見守りなさいというものだが、この文章の大半は、第二の方法である腹式呼吸の説明に費やされている。逆に第三の呼吸を見守る方法についてはほとんど説明がない。これで第三の方法のコツも効果もわからないままになっている。第三の方法こそ釈迦の覚醒メソッドのはずだが、ここでもその秘密が明かされることはなかった。
第二の方法の説明だが、呼吸において「女性はどちらかという腹を意識している」とは、女性は生まれながらに腹ができている、つまりスワジスターナ・チャクラが使えていることを意識しているのだと思う。オバサン・パワーとはスワジスターナ・チャクラの働きなり。
第一の方法は、醒めていること、意識化。第二の方法は腹式呼吸。第三の方法は鼻孔で呼吸を見守る。OSHOは三種同時にやってもよいというが、同時にやることに殊更にこだわることはないのではないか。
第一の方法は、最後には眠っている間も醒めているという、ヨーガで一つの到達点とされる境地を意識した奥深いものである。
第二の方法の腹式呼吸も、最後にスワジスターナ・チャクラの開顕となれば、大安心という一つの到達点がある。
第三の呼吸を見守るのも「呼吸による覚醒」という、そのものズバリのメソッドではある。
どの方法も窮極へのメソッドだが、このように説明が途中でそれまくるのが、OSHOバグワンの特徴なのだが、「禅」、「禅」と語るわりに、その教えがわかりにくいのは、話題が飛びまくることが、必要以上にいろいろな誤解を生んでいるせいもあるのだと思う。人はどちらでもとれる話を自分の都合のよい方に解釈しがちなものだ。