◎シャクティパット
(2019-09-21)
金ラメのNefertariタロットの「吊るされた男」は、逆さ吊りされていないので、破格である。「吊るされた男」の正位置、逆位置などとして意味を採る人には困ったことになる。
22枚の大アルカナの順序でいえば、「吊るされた男」は「死」という全体の直前であり、個の極みという位置にある。それからすると、逆転してもらわないと話は進まないのだが。
この図案は、神が人の頭を王笏かこん棒で叩こうとしているか、あるいはシャクティパットをしている図と見える。
シャクティパットとは何か。シャクティパットには2説あって、ダンテス・ダイジは口を切るだけという説明であり、OSHOバグワンは、何らかのエネルギーを注ぎ込むという説を採る。
オウム真理教では、1回30万円でシャクティパットを教祖がやっていて、初期には受けた弟子がその効果(正邪の程は不明だが)はあったと証言している。ところがある時期から、シャクティパットで教祖が非常に消耗、憔悴するようになり、シャクティパットをやめて麻薬入りドリンクに切り替えたことが複数の関連書籍に書かれている。
シャクティパットとは手かざし系のグループでは時々見られるものであって、オウム真理教オリジナルのものではない。シャクティパットでは、「気」が入ることもあるのだろうが、「気」を入れる方は生命力が減衰し、長期的には内臓を痛めることも知られている。気にも正気あり、邪気あり。
シャクティパットがエネルギー注入だとするOSHOバグワンは、注入に適当な時節があることを示唆する。精神をいじるというのは、神聖なものであって、一片の邪心も許されない。薬物も含めて外的な力で精神を操作しようとしても、精神はデリケートなものであり、容易にバランスを崩しやすいものだ。
禅でもクンダリーニ・ヨーガ系(密教、気功、錬金術など)でも最後の一歩は自分で踏み出すことが要求される。誰かがひっぱり上げてくれるものではないのだ。