◎バーナデット・ロバーツの第三夜-2
(2006-08-30)
バーナデット・ロバーツは、自己の中心が消え、そこに残った空虚と沈黙と歓喜こそ神自身に違いないと踏んで、その内部を見つめていた。
『ある時このように喜びを求めて内部を見つめたところ、突如この空虚が急速に拡がり始め、今にも爆発しそうになりました。
そのとき私はエレベーターで100階も落ち続けるような気分を胸元に感じ、生きている感覚がなくなってしまいました。落下し尽くして底に着いたときに、はっきりと分かったのは、人格的な自己がない時は、人格的な神もなく、この二つは互いに相伴うものだということでした。その二つがどこに行ってしまったのかは、ついにわかりませんでした。』
(自己喪失の体験/バーナデット・ロバーツ/紀伊國屋書店P20から引用)
これ以後、彼女からは、「生きている」という感覚が失われ、内部がないということを知ったので、内的生活は終りになった。夕食の支度をしても動作がひどく機械的でロボットになったようであり、自分で自分が何かをしているという感じがなく、すべて条件反射で動いていた。
「生きている」という感覚が失われる状態は、神との合一の前段階として、しばしば現れるものであるが、生の感覚を確認するために自傷・リストカットする人もいて、それが単に精神病の一症状に過ぎないケースもあることはいうまでもない。
自分の内部に何もなくなった彼女は、次に外を探し求めることになった。