唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

洋州 武定軍節度使

2012-07-18 10:11:17 | Weblog
・山西節度使の一州の洋州に置かれた方鎭。
・光啓元年[885年]新書方鎭表では設置されたとされるが不明。
・光啓2年宦官田令孜の失政から、僖宗皇帝は再び京師を棄てて興元に奔った。
邠寧朱玫は新帝を擁立してこれを攻め攻防が続いた。
・光啓3年邠寧將王行瑜が裏切り朱玫が誅せられたことにより、僖宗皇帝は鳳翔まで戻ることが出来た。
・正月皇帝軍の功將李茂貞が領武定軍節度使[赴任しなかったもよう]となった。
・8月茂貞は叛した鳳翔節度使李昌符を隴州に誅して鳳翔節度使に昇進した。
・その後宦官楊復恭の仮子守忠が武帝節度使となった。
・景福元年[892年]8月茂貞に攻められ守忠は敗走した。茂貞領となりその子繼密が占有した。
・天復2年[902年]節度使李思敬が王建に降りその領有するところとなった。
・建配下の王宗綰が節度使となったもよう。