開元二十年 西暦732年
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正月乙卯,信安郡王禕為河東河北道行軍副元帥,以伐奚、契丹。
三月己巳,信安郡王禕及奚、契丹戰於薊州,敗之。
奚・契丹の反乱を一応抑えました。まだまだ鎮圧ではありません。
九月乙巳,渤海靺鞨寇登州,刺史韋俊死之,左領軍衛將軍蓋福慎伐之。
渤海が勢力を拡大し始めました。
玄宗は潞州・太原・汾陰と遊び歩いて京師に戻りました。
開元二十一年 西暦733年
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三月乙巳,宰相裴光庭薨。
甲寅,尚書右丞韓休為黄門侍郎同中書門下平章事。
一応功績があった光庭がなくなり、諫言好きの休を起用しました。
閏月癸酉,幽州副總管郭英傑及契丹戰於都山,英傑死之。
契丹は突厥と結び反撃し、唐軍を破ります。
九月、京師に戻りましたが、水害のため關内の食糧問題は深刻で、
東都に戻らねばなりません。裴耀卿は根本的な解決策として江淮か
らの漕運の強化を提唱します。
十二月丁巳,蕭嵩、韓休罷。裴耀卿,張九齡:同中書門下平章事。
頑迷な休と嵩は論争することが多く、すっかり嫌になった嵩は辞職
します。玄宗はついでに休も辞めさせます。実務は耀卿が担当します。
開元二十二年 西暦734年
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正月己巳,如東都。
食糧対策に東都へ向かいます。
五月戊子,佞臣李林甫が相となります。
武惠妃と通じています。財政的能力はありませんが、人事に通じています。
六月壬辰,幽州節度使張守珪俘奚、契丹以獻。
乙巳,張守珪及契丹戰,敗之,殺其王屈烈。
守珪は契丹の実力者可突干を滅ぼし、北邊を安定化することに成功しました。
七月、裴耀卿為江淮、河南轉運使,于河口置輸場。
京師食糧問題の解決に向けて本格的に漕運の強化に励みます。
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正月乙卯,信安郡王禕為河東河北道行軍副元帥,以伐奚、契丹。
三月己巳,信安郡王禕及奚、契丹戰於薊州,敗之。
奚・契丹の反乱を一応抑えました。まだまだ鎮圧ではありません。
九月乙巳,渤海靺鞨寇登州,刺史韋俊死之,左領軍衛將軍蓋福慎伐之。
渤海が勢力を拡大し始めました。
玄宗は潞州・太原・汾陰と遊び歩いて京師に戻りました。
開元二十一年 西暦733年
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三月乙巳,宰相裴光庭薨。
甲寅,尚書右丞韓休為黄門侍郎同中書門下平章事。
一応功績があった光庭がなくなり、諫言好きの休を起用しました。
閏月癸酉,幽州副總管郭英傑及契丹戰於都山,英傑死之。
契丹は突厥と結び反撃し、唐軍を破ります。
九月、京師に戻りましたが、水害のため關内の食糧問題は深刻で、
東都に戻らねばなりません。裴耀卿は根本的な解決策として江淮か
らの漕運の強化を提唱します。
十二月丁巳,蕭嵩、韓休罷。裴耀卿,張九齡:同中書門下平章事。
頑迷な休と嵩は論争することが多く、すっかり嫌になった嵩は辞職
します。玄宗はついでに休も辞めさせます。実務は耀卿が担当します。
開元二十二年 西暦734年
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正月己巳,如東都。
食糧対策に東都へ向かいます。
五月戊子,佞臣李林甫が相となります。
武惠妃と通じています。財政的能力はありませんが、人事に通じています。
六月壬辰,幽州節度使張守珪俘奚、契丹以獻。
乙巳,張守珪及契丹戰,敗之,殺其王屈烈。
守珪は契丹の実力者可突干を滅ぼし、北邊を安定化することに成功しました。
七月、裴耀卿為江淮、河南轉運使,于河口置輸場。
京師食糧問題の解決に向けて本格的に漕運の強化に励みます。
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