天祐三年[906]
◎.正月 李簡は宣州を攻め、防衛体制ができない王茂章は錢鏐のもとに奔った。
◎. 茂章の反乱により、睦州で孤立した陶雅は歙州に戻り、錢鏐が睦州を取った。
◎.2月 陳璋も婺州を棄てて逃げ、錢鏐軍は婺州を取り、衢州を攻めた。
◎.3月 楊渥將陳知新は岳州を陥し刺史となった。
◎.4月 江西鎮南節度使鍾傳が卒し、子の匡時が嗣いだが、養子の江州刺史延規は不満で淮南に通じた。
◎.5月 昇州刺史秦裴が西南行營都招討使となり鐘匡時を討った。
◎.7月 秦裴は洪州を包囲し、饒州刺史唐寶が降った。
◎.8月 陳璋は衢州も棄て、將周本が迎えて撤退させた。
◎.9月 秦裴は洪州を陥し、鐘匡時を捕らえた。楊渥は鎮南節度使を兼任し、裴を洪州制置使とした。
天祐四年/後梁開平元年[907]
◎.正月 楊渥は驕侈で周囲の諫言を聞かなかった。左、右牙指揮使張顥、徐温は諫言が聞かれないので、起兵して渥の側近を殺害し、「兵諫」とし、渥の実権を奪った。軍政は顥、温の二人が握った。
渥は天祐五年8月に殺害され、弟の隆演が徐温の傀儡として嗣いだ。
◎.正月 李簡は宣州を攻め、防衛体制ができない王茂章は錢鏐のもとに奔った。
◎. 茂章の反乱により、睦州で孤立した陶雅は歙州に戻り、錢鏐が睦州を取った。
◎.2月 陳璋も婺州を棄てて逃げ、錢鏐軍は婺州を取り、衢州を攻めた。
◎.3月 楊渥將陳知新は岳州を陥し刺史となった。
◎.4月 江西鎮南節度使鍾傳が卒し、子の匡時が嗣いだが、養子の江州刺史延規は不満で淮南に通じた。
◎.5月 昇州刺史秦裴が西南行營都招討使となり鐘匡時を討った。
◎.7月 秦裴は洪州を包囲し、饒州刺史唐寶が降った。
◎.8月 陳璋は衢州も棄て、將周本が迎えて撤退させた。
◎.9月 秦裴は洪州を陥し、鐘匡時を捕らえた。楊渥は鎮南節度使を兼任し、裴を洪州制置使とした。
天祐四年/後梁開平元年[907]
◎.正月 楊渥は驕侈で周囲の諫言を聞かなかった。左、右牙指揮使張顥、徐温は諫言が聞かれないので、起兵して渥の側近を殺害し、「兵諫」とし、渥の実権を奪った。軍政は顥、温の二人が握った。
渥は天祐五年8月に殺害され、弟の隆演が徐温の傀儡として嗣いだ。
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