らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

“熊野古道を歩く”第3弾(その2)糸我稲荷神社

2011-08-04 | 趣味

“熊野古道を歩く”シリーズ、2回目の今日は糸我稲荷神社(いとがいなりじんじゃ)をご紹介します。
得生寺から200~300mほどのところに糸我稲荷神社があります。

「糸我稲荷神社」
当社の伝記によると、第27代安閑天皇2年(535年)に、長引く凶作を憂えた村人が、高山に登拝し、数日にわたって供物を捧げ、豊作を祈念したところ、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)が降臨し、御神託を下され、その神託に従ったところ、豊作を迎えることができたといわれています。
そして、時移って第36代孝徳天皇の時代、白雉3年(652年)に、社地を正南森に遷座し、糸鹿社と改称し、現在の形を迎えたとされています。
この神社は日本最古のお稲荷さんとしての称号が与えられている神社です。稲荷神社の総本社である京都伏見稲荷大社の創建年(711年)よりも約60年も古く、社前鳥居に「本朝最初 稲荷神社」の額が上っています。
御祭神は本殿に倉稲魂神(うがのみたまのかみ)脇宮は左に土御稚神、右に大市姫命が鎮座しています。



「白河法皇みくるまよせたまひし旧跡」
糸我稲荷神社の前に白河法皇が駕籠を止めて休憩した旧跡があります。
ここの建てられている説明によれば、『古代から中世にかけて熊野三山の信仰が高まり、上皇たちがたびたび熊野に参詣されるようになり、楠の古木生い茂る当神社にたどり着き、ここに駕籠を止め休憩した証として有名』と記されていました。



「糸我稲荷神社楠の大木」
稲荷神社の楠の木は記録によると、明治13年までは4本あったとされています。現在は3本ですが、その配置から見ると境内の四隅に計画的に植えられていたことが窺えるそうです。
3本とも樹勢は旺盛でそれぞれの幹の廻りは5mから6.5mに達し、樹齢も500年以上だそうです。


「みぬさの楠」
この大楠の説明文によれば、上皇方が参詣の折り、奉幣(神に奉献するもの)。その弊を納めたところを「みぬさの丘」と称し、この大楠を「みぬさの楠」と呼んでいます。
この楠は樹齢600年とも800年とも言われ有田市の天然記念物に指定されています。


「みぬさの岡の旧跡」
ここに建てられている説明によれば、『熊野への道中、平忠盛をして白河法皇が旅の安全を祈願し奉幣された「みぬさの岡の旧跡」です』と記されています。