栗林公園の見学コースには南側を回るコース(60分モデルコース)と北側を回るコースがありますが、私たちは当日の高松の気温が35度以上の猛暑日であったことから北側コースを諦めて、南側コースだけを見てきました。
このコースには、この公園の中で一番眺めが良いと言われている築山“飛来峰”があります。
「飛来峰(古富士)」
ここに立てられていた案内板によれば、"明治43年文部省発行高等小学読本(教科書)の文章中に、風致の美を持って世に聞こゆるは水戸の偕楽園、金沢の兼六園、岡山の後楽園にして、これを日本の三公園と称す。
然れども高松の栗林公園は木石の雅趣却ってこの三公園に優れり”と説明されていました。
・飛来峰への上り石段です。“飛来峰”という築山の名称は中国杭州にある名勝地から得た命名と言われています。
・飛来峰から眺めた南湖と「偃月橋(えんげつきょう)」です。ここからの景色が栗林公園の中で一番良いと言われています。
「芙蓉峰」
梅林橋あたりから見ると富士山のような形をしているので富士の別名である芙蓉の名がついたとされています。
・これが梅林橋から撮影した築山“芙蓉峰”です。富士山の形に見えるでしょうか?
・芙蓉峰から眺めた北湖と紫雲山です。湖の奥に見える赤い橋は梅林橋です。梅林橋の右側には屏風松と箱松も見えます。
「栗林公園古図」
説明によれば、この古図は色彩の状態や色使いから、作成時期は江戸時代後期頃と推定されていますが、延享2年(1745年)の大改修の際に設けられた北湖と西湖を繋ぐ水路が描かれていないことなどから、本図が表している景観年代は延享2年以前と思われているそうです。
“この図は5代藩主による大改修以前の姿を描いた絵図を元に作成された可能性があります”とも書かれていました。
「栗林公園の名前の由来」
栗の林と書く通り、江戸時代には北庭付近に栗の木が非常に多く植えられていて、下屋敷の名称が「栗林荘」と呼ばれていたことに由来します。
現在ではその後の作庭の影響もあってあまり栗の木を見ることは出来ませんが、庭園部分は大きく南庭と北庭に分かれていて、南湖を中心とした南庭は江戸時代初期の池泉回遊式の大名庭園となっており、それに対して北庭は、以前、江戸時代は鴨場として使われていたものを明治末期から大正初期にかけて造園作庭し改修した庭園となっているそうです。
・現在の絵図です。