昨日は元同僚の親戚が経営する民宿「ちかつゆ」にお世話になりました。
その日にはスイス人夫妻も泊っており、翌朝、私たちよりも早く出発しましたが、出発前に、このお二人が持っていた菅傘に書かれている文字の意味についてマスターに聞いていました。
たまたま小生もその現場に出くわしたことから書かれている文字を一緒に解読しましたが、この文字、行書で書かれているので日本人でも読みにくいものでした。
更にそれを英語で説明しなければならず、マスターと二人で単語を並べて説明したところ、ある程度は理解した様子でした。
スイスの自然の方が素晴らしいと思うのですが、外国の人がこのような田舎の古道を歩きに来るとは世界遺産の力ですね。
・お世話になった民宿「ちかつゆ」です
・民宿の横を流れる日置川(ひきがわ)です。
一昨年の台風12号による紀伊半島豪雨の時には、水位がこの堤防を超えて庭に流れ込んだそうです。
建物には被害はなかったとのことでした。
昨日、足を痛めたU氏も今朝は元気になり一緒に歩くことになりました。
二日目のスタートは、昨日の終点、「大坂本王子」を下った所の国道に面している「道の駅」からです。
私たち全員は2班に分かれて、そこまで民宿のマスターに送ってもらいました。
・朝8時過ぎの清々しい古道です。牛馬童子を目指して暫く上り坂が続きます。
歩き始めて暫くすると珍しい植物「マムシグサ」を見つけました。
マムシグサはサトイモ科テンナンショウ属の多年草で、有毒植物です。
分布は関東以西の本州、九州で、山地や原野の湿った林床に生えるそうです。
「一里塚」
ここにも一里塚がありました。
ここの一里塚には「和歌山から26里」と書かれており、昨日ご紹介した「十丈王子」の先の一里塚は「和歌山から25里」と書かれていたので、そこから一里先と言うことになります。
「箸折峠」
牛馬童子のある箸折峠です。
箸折峠のこの丘は花山(かざん)法皇が御経を埋めたところと伝えられ、お食事の際カヤの軸を折って箸にしたので、箸折峠と名付けられたそうです。
「牛馬童子」
牛馬童子は高さ50㎝程度の小さな石像です。
文字通り牛と馬の2頭の背中の上にまたがった像で、中辺路(なかへち)街道の中でも人気のスポットとなっています。
この「牛馬童子像」は一説には延喜22年(922年)に熊野行幸を行った花山法皇(かざんほうおう:天皇在位:984年11月~986年8月)の旅姿を模して明治時代に作られたとされています。
童子は弁財天に仕える16童子のひとりとされ、牛と馬の背にまたがった像の横には役行者(えんのぎょうじゃ)像が並んでいます。
ニュースでご存知だと思いますが、熊野古道のシンボル的存在であるこの「牛馬童子」の頭部が、過去2度に亘って外れた状態で見つかっています。
何者かにより故意に壊されたのかと思われましたが、田辺市教委の調査で犯人は、「急激な冷え込みなどの自然現象」によるもの、という結論に達したそうです。
・牛と馬の2頭の背中にまたがる愛らしい姿が人気を集める「牛馬童子」と右は「役行者」像です。