昨日ご紹介した丹生都比売神社から高野山までは車で20分~30分で行けます。
K氏に運転していただいて連れて行って頂きましたので、今日は「高野山・奥の院」をご紹介します。
説明書によれば、高野山は、約1200年前の816年(弘仁7年)に弘法大師空海が開いた真言密教の修行道場であり、全国に広がる高野山真言宗の総本山です。
標高およそ900mの山上の盆地に、壇上伽藍と称する聖地があり、そこには様々なお堂や塔が立ち並び、仏像や曼荼羅が参拝者を迎えてくれます。
また、うっそうと老杉の茂る奥之院には、太閤秀吉から太平洋戦争の英霊まで、二十万基超えるあらゆる時代の、あらゆる階層の人々のお墓が立ち並んでいます。
「一の橋」
この橋は弘法大師御廟に向かう参道入り口で最初に渡る橋なので一の橋と言われます。
正式には大渡橋(おおばし)と言われ、昔から大師様が人々をここまで送り迎えしてくれると言い伝えられ、今でもこの橋の前で合掌一礼してお参りします。
・奥の院への参道入口の「一の橋」です。
一の橋から奥の院までの約2㎞の参道両脇には樹齢数百年の杉の巨木と20万基を越すと言われる墓碑や石塔群が並んでいます。
「中の橋」
この橋は一の橋と御廟橋の中間にあるので中の橋と言われます。
正式には手水橋(ちょうずばし)と言われ、平安時代にはこの場所で身を清めていたそうです。
ここを流れる川は、昔から金の河と呼ばれ、金は死の隠語を表し、死の河、、つまり三途の川を表しているそうで、この橋を渡るとこれから先は死の世界に入ると言う意味になるそうです。
・三途の川を表していると言われる「中の橋」です。
「杉の巨木」
奥の院まで続く参道は樹齢数百年を越える杉木立が続き、数多くの歴史にゆかりのある人物の墓石や供養搭、祈念碑、慰霊碑が霊的な雰囲気をかもし出しています。
・このように三股や二股に分かれた杉の巨木がたくさんありました。
「御廟橋」
この橋を渡ると大師御廟への霊域に入ります。
この橋を渡る人は橋の前で服装を正し、礼拝し、清らかな気持ちで霊域に足を踏み入れます。
この橋は36枚の橋板と橋全体を1枚として37枚と数え、金剛界37尊を表していると言われ、橋板の裏には仏さまのシンボルの梵字が刻まれているそうです。
・この橋から先は霊域に入ります。
身なり、服装を整え、帽子は脱ぎ礼拝してから橋を渡るのが作法だそうで、もちろん、この先はカメラ等での撮影は一切禁止、飲食、喫煙も禁止です。
「燈籠堂」
燈籠堂は真然大徳(しんぜんだいとく)によって建立され、治安3年(1023年)に藤原道長によって、ほぼ現在に近い大きさになったと伝えられています。
堂内正面には千年近く燃え続けていると言われる二つの「消えずの火」があります。
一つは祈親上人(きしんしょうにん)が献じた祈親燈(きしんとう)。もう一つが白河上皇が献じた白河燈です。
この祈親灯のことを、祈親上人のすすめで貧しい生活の中、自らの髪を切り売ってまで工面したお金で献灯したと伝わるお照の話に因んで、「貧女の一灯(ひんにょのいっとう)」と呼ばれ、それに合わせて白河灯の事を、「長者の万燈」呼び、貧女の一灯、長者の万燈の伝説が残るお堂です。
燈籠堂の後ろには弘法大師御廟があります。
「水向け地蔵」
多摩川の清流を背にして金仏の地蔵菩薩や不動明王、観音菩薩が並んでいます。
奥の院に参詣する人々は、御供所で水向塔婆を求めて、このお地蔵さんに納め、水を手向けて御先祖の冥福を祈ります。