牛馬童子の次は私たちが宿泊した民宿のすぐ近くにある「近露王子」を目指しました。
「近露(ちかつゆ)」
近露という地名は、花山法皇が尋ねた言葉が由来と言われています。
即ち、皇位を追われた花山法皇は、わずかな供を連れて熊野に向い、その途中、この峠(箸折峠)までやって来たとき、ちょうど昼時で、食事をしようとしたが、箸を忘れたことに気が付きました。
そこでやむなく供の者が茅を折って箸代わりに上皇に捧げたところ、茅の茎から血のようなものがしたたり落ちたそうです。
いぶかしく思った上皇は供の者に「これは血か、露か」と尋ね、 以来、その峠を「箸折峠(はしおりとうげ)」と呼び、峠を下ったところにある里を「近露(ちかつゆ)」と呼ぶようになったと言われています。
「近露王子」
牛馬童子が祀られている箸折峠を越え、近露の盆地を南流する日置川(ひきがわ)を東に渡れば左側に王子跡の森があります。
この王子は滝尻王子と同様、熊野に参詣する者のみそぎ場であり、心身を浄める水垢離を行った後、王子に参拝することが慣わしだったそうです。
近露王子は明治の末期まで小ぎれいな社殿があって上宮と呼ばれていたそうですが、明治41年、神社合祀で取り払われ、境内にあった十数本の杉の木も伐採されたそうです。
今ある碑は、元の社地に分祠された際に建立されたものだそうです。
「乙女の寝顔」
近露王子から25分~26分歩くと「乙女の寝顔」の標識が立っていました。
その方向を見ると確かに乙女が横たわっていました。
これがその「乙女の寝顔」です。
言われてみるとそのように見えるから不思議です。
昨年11月にご紹介した、一ノ瀬王子から鮎川王子へ向かう途中にも“乙女の寝顔”の山がありましたが、今回と合わせて、熊野古道沿いには二人の乙女たちが寝顔を見せてくれています。
紀州には“眠れる森の美女”ならぬ、“眠れる美女の森”があるようです。
・乙女の寝顔です。
難所の楠山坂を過ぎた、道しるべ「31」近くの古道です。
今朝8時のスタートからここまで約2時間要しましたが、次の比曾原王子まではあと僅かです。
この日も日照りが強く、天気予報では最高気温が28度まで上がるとのことでした。
スタートからずっと上り坂だったので、故障者が出ないように、途中何回も休憩と水分補給をしながらここまでやって来ました。