閑古錐
2016-03-07 | 雑学
掛け軸などにもよく書かれている言葉に「閑古錐〈かんこすい〉」があります。
閑古錐は禅の言葉で、「閑」には、「ひま」とか「静かに落ち着いている」という意味があり、「錐」は大工道具の「きり」のことで、「古錐」は、古くなって先が丸くなってしまった「きり」のことです。
閑古錐は字の如く、先が丸くなって使われなくなった「きり」のことを指します。
買ってきたばかりの真新しいきりは、先もするどく、容易に穴をあけることができますが、反面よほど注意をして使わないと、指先を傷つけることもあります。
ところが、使い込まれて先の丸くなってしまったきりは、その胴も黒く光り、何ともいえない風格が感じられ、また人を傷つけることもありません。
人間も、若くて意欲的な時には仕事がばりばりとできるかわりに、時には利害がからんで人を傷つけてしまうこともあります。
そんな若者も年と共に円熟味が増し、穏やかな人柄と重厚な存在感をそなえるようになっていく人は多くいます。
閑古錐は、正にこのような人の事を言っているのです。
禅には、悟後の修行ということがあるそうです。
文字通り、悟りを開いた後の修行の重要性を説いているのですが、悟りを開いたばかりの時には、悟りにとらわれ、それが鼻の先にぶらさがっているから、悟りを開いたということ自体を超越しなくてはならないと教えているのだそうです。
人は老境にさしかかると、目指すべきはこのような閑古錐の円熟味ですが、仏の教えのようには参りません。
しかし一歩でも二歩でも近づけるよう努力し、魅力ある穏やかな熟年になっていきたいものです。