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らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

加島屋と広岡浅子

2016-03-21 | 地元紹介

連続テレビ小説「あさが来た」の関連施設の一部をご紹介しています。
今日はドラマのヒロインあさのモデルとなった広岡浅子。彼女が創業した大同生命保険㈱で特別展示されている、『大同生命の源流"加島屋と広岡浅子"』をご紹介します。

大同生命大阪本社2階メモリアルホールの会場では、大坂の豪商「加島屋」の歴史や、七転び八起きを超える九転十起の頑張りで、「加島屋」を切り盛りし、大同生命を興し、更に日本女子大学校の創立にも関わった女性実業家の「広岡浅子」の波瀾に満ちた生涯が紹介されていました。
館内は撮影禁止だったので、人物と加島屋本家はパンフレットの画像を使用しました。

・大同生命大阪本社です。


大同生命の設立に関わったのは大阪有数の豪商、加島屋(広岡家)で、初代社長には広岡久右衛門正秋(浅子の夫の弟)が就任しました。
大正14年に定められた現本社地はかつては加島屋本家があった場所です。
この建物はヴォーリズの流れをくむ一粒社ヴォーリズ建築事務所と日建設計が設計したビルで、大阪都市建築景観賞受賞作品だそうです。

・大同生命大阪本社エントランスです。


・大阪本社2階の特別展示「大同生命の源流“加島屋と広岡浅子”」の入口に設置されているパネルで、正面が「加島屋本家」、右が大同生命旧肥後橋本社ビルです。


「広岡浅子」
大同生命は、1902(明治35)年、当時朝日生命(現在の朝日生命とは別会社)を経営していた加島屋(かじまや)が主体となって、東京の護国生命、北海道の北海生命との合併により設立されました。
江戸時代、大坂有数の豪商であった加島屋は、明治維新の動乱により家勢が傾きますが、その危機を救ったのが17歳で加島屋の次男・広岡信五郎に嫁いだ広岡浅子です。
浅子は、七転び八起きを超える「九転十起」を座右の銘とし、炭鉱経営等に参画。さらに中川小十郎(ドラマではへーさん)をはじめとする有能な人材を招聘し、大同生命の創業にも深く関わるなど、その手腕を遺憾なく発揮します。
加島屋を立て直した浅子は、夫・信五郎が亡くなった後、事業を女婿の広岡恵三(大同生命第2代社長)に託し、女性の地位向上に尽力します。
1919年(大正8年)、71歳でその生涯を閉じた浅子は「普段から言っていることが遺言」だとして、最期の言葉を残さなかったそうです。

・本が好きだった広岡浅子です。(1849年ー1919年)


「加島屋(かじまや)」
大同生命の源流である加島屋は江戸時代、経済の中心・大坂を代表する大商人であり、日本の経済史を語る上でも外せない存在です。
朝ドラでは白岡あさが嫁いだ加野屋という名前で登場する両替商は加島屋という実在した両替商です。
加島屋は江戸時代初期ぐらいからある豪商の一つであり、大坂のみならず幕府とも連携して日本経済を支える重要な民間企業でした。
元々はお米を扱う家だったこと、米相場や取引、蔵屋敷など専門的な当時の商売の習慣がパネルで解説されています。

・土佐堀川のほとりにあった加島屋本家です。


「大阪の豪商・加島屋」
江戸時代
大坂の豪商といえば鴻池善右衛門淀屋辰五郎を思い浮かべるかも知れませんが、加島屋久右衛門も、大坂では鴻池とならび称される豪商だったそうで、豪商番付がそれを示していました。