先日、堺市へ出かける用事があったので旧堺港周辺を歩いてきました。
「旧堺港」
堺港の歴史は、源平合戦時代が起源と言われ、南北朝時代を経て対明貿易の中心地として発展し、室町、安土・桃山時代には朱印船、南蛮船等の往来が活発となりました。
戦国時代には、今日の中国、フィリピン、ポルトガル等との交易により「堺商人の堺港」として全盛を極めましたが、徳川幕府の鎖国主義とともに衰微しました。
現在は堺泉北港として、大阪湾東部沿岸に位置し、堺市、高石市、泉大津市の3市、約14キロメートルにわたってまたがる港湾となっており、昭和44年3月に特定重要港湾の指定を受けています。
旧堺港には、「旧堺燈台」と「龍女神像」が建っており、この一帯はプロムナードとして整備されて、思い思いの時間を過ごすことができる新たな親水ゾーンとして親しまれているようです。
・旧堺港です。
「呂宋助左衛門之像」
呂宋 助左衛門(るそん すけざえもん)は、戦国時代の和泉国堺の伝説的貿易商人で、本名は、納屋助左衛門(なや すけざえもん)と言います。
堺戎町の豪商で文禄2年(1593年)小琉球(呂宋:現在のフィリピン諸島)に渡航、珍奇の貨物を仕入れて翌年帰国し、堺代官石田政澄を介して豊臣秀吉に唐傘、真壺などを献上しました。
特にその壺は公家・武将間に茶の湯が隆昌を極めていたことから珍重され、かつ高価な茶器として秀吉に愛蔵され、呂宋壺の名で諸大名や家臣にも分配されたことから、競って買い求められるようにもなり,助左衛門は呂宋壺を主とした貿易により巨利を占めたと伝えられています。
・旧堺港に建つ呂宋 助左衛門の像です。
「龍女神像」
堺旧港の北波止突堤に龍女神像が建っています。
像の高さは10m、台座の高さは16mとかなり大きな像で、「乙姫さん」と呼ばれて港のシンボルとなっています。
この像は港の内を向くように設置されており、停泊する船や港を訪れる人々、さらには港の奥に広がる堺のまちを見守っているのだそうです。
「旧堺燈台」
旧堺燈台は堺旧港南波止場に明治10年築造された高さ11.3mの六角錘形の灯台です。
埋め立てが進み役割を終えた後、堺のシンボルの一つとして現地に保存されており、現存する日本最古の木造洋式灯台として国指定史跡になっています。
旧堺港は、室町時代から安土桃山時代にかけて海外貿易港として発展しました。
その南波止場に、明治10年(1877年)堺の人々の寄付などにより高さ11.3mの六角錘形の木造洋式灯台が築造され、およそ1世紀にわたって堺港に出入りする船の航海の安全を守ってきましたが、周辺の埋め立てが進んだ昭和43年(1968年)にその役割を終えました。
・これが六角錘形の旧堺燈台です。
「工場の壁画」
旧堺燈台の対岸にある工場の壁面には、南蛮貿易が栄えていたころの堺の街並みが描かれていました。
この壁画は平成25年に描かれたようであり、設置されている壁画の説明板には「浪漫やさかい~…」と紹介されていました。
大阪弁の「~さかい」と「堺」をかけたダジャレで説明しているところがいかにも大阪らしい趣向となっています。
・工場の塀に描かれた大作です。