7回に亘ってご紹介しました「壺坂・高取を歩く」シリーズは今回が最終となります。
今日は高取城の城下町「土佐街道」の武家屋敷など、その一部をご紹介します。
「土佐街道」
「土佐街道」は6世紀、大和朝廷の労役で土佐の国からここに召しだされたものの、任務が終わっても帰郷できなかった者が住み着いたことからこの名前になったそうです。
寛永7年(1640年)植村氏が藩主として高取城に入りましたが、山上の高取城では日常生活が不便なため、藩主をはじめ家臣の屋敷は街道筋に移されました。
そして次第に城下町が形成されていき、全盛期には500棟もの商家が並んだそうです。
現在でも連子窓を持った家が並ぶ街並みとなっています。
・土佐街道です。
「植村家長屋門」
案内板によれば、植村家長屋門は文政9年(1826年)の建築で、一重入母屋瓦葺造り、門内の東西に各四室の部屋がある。
江戸時代には高取藩に仕える中間(ちゅうげん)たちがそれぞれの部屋に住んでいた。
当時は城代家老の役宅であったが、現在は旧藩主植村氏の住居となっている。
「田塩家武家屋敷」
長屋門をそのまま残す武家屋敷です。
案内板では、300年経っているそうです。格子が横向きの与力窓を二つつけた「長屋門」で、両袖に物見所と馬屋を持つ武家門のある屋敷です。
門を入ったところ、玄関脇に格子をはめた「監視窓」つきの塀があり、表口を警戒する構えは他では見られない珍しい遺構である。
門を入ったところの玄関脇にある格子をはめた「監視窓」つきの塀です。
「松ノ門」
松ノ門は高取城内にあった建築物の一つです。
明治4年の廃藩置県により、高取城が廃城となった際、多くの建築物は取り壊されましたが数棟は移築されました。
その中の一つ「松ノ門」は明治25年に土佐小学校の校門として移築されました。
「夢創館」
夢創舘は、城下町観光の拠点として、大正時代には呉服屋として栄えていた旧山崎邸を改修し、平成14年にオープンしました。
町の観光案内所無料休憩所として、ギャラリーや資料の展示・地場産品販売など行っています
「人面石」
人の顔に似た石が置かれていましたが、説明板がないので、高取城や土佐街道との関連は不明です。
壺坂・高取を歩いてきましたが、もう少し登山ルートを整備すれば家族連れなどが気軽に行けるよいハイキングコースになるのではないでしょうか?
行政の対応によっては、近い将来、大和路のマチュピチュとして高取城跡に観光客が押し寄せるかもしれません。