「壺坂・高取を歩く」と題して連日アップしています。
私たちは標高300メートルの丘に建つ壺坂寺を後にして、標高584メートルの高取山頂に残る高取城跡を目指して険しい山道を登りました。
高取城跡は日本三大山城の一つと言われている典型的な山城ですが、その詳細については明日アップすることにします。
今日は、高取城跡に上る山道である「五百羅漢遊歩道」をご紹介します。
・「五百羅漢遊歩道」を経て、高取城跡へ辿る分かれ道です。
この分かれ道から「高取城跡」方面へ暫く行くと、香高山の大きな岩山いっぱいに彫られた石像群『五百羅漢岩』があります。
「五百羅漢」
五百羅漢は室町時代に作られたとされ、山肌に無数の仏様が掘られています。
山肌に掘られた仏様は20ヶ所ほどに散在していますが、地元では五百羅漢としてあがめているそうです。
五百羅漢とはインドの仏典に出て来るお釈迦様の500人の弟子のことを指します。
これらの五百羅漢は高取城を築城した際につくられたとする説が有力なのだそうです。
「阿羅漢」
阿羅漢とは、仏教の修行の最高段階、また、その段階に達した人のことで、たくさんの石仏が並んでいました。
「十一面尊」
五百羅漢の周辺の岩に三尊像や、五社大神、来迎如来、施無畏像、護法大黒など、たくさんの磨崖仏が刻まれています。
その磨崖仏の一つ、十一面尊です。
十一面尊は観世音菩薩の代表的な変化身「六観音」の一つで、六観音においては六道のうち修羅道の衆生を救う存在とされています。
・風雨にさらされて風化が激しく、仏様のお姿がよく分かりません。
「三社尊」
この三社尊も磨崖仏の一つです。
三社尊の「三」は仏教の三尊から来ているのかも知れません。
三尊仏とは、西方極楽浄土の三尊で、阿弥陀如来を中尊とし、その左右に左脇侍の観音菩薩と、右脇侍の勢至菩薩を配する三尊形式です。
観音菩薩と勢至菩薩は,菩薩と称されていますが、阿弥陀仏の化身ということで仏と解釈され,三尊仏と称されるそうです。
・苔に覆われて仏さまのお姿がよく分かりませんがこの石に三尊が掘られています。
「冥救地蔵」
このお地蔵さんも磨崖仏の一つです。
・こちらもお姿がよく分かりませんが、この岩にお地蔵様が掘られた形跡は確認できました。
五百羅漢の横の険しい山道を登るメンバーたちです。