旅行2日目、朝8:30に奈良の姉宅を出て、「平城宮跡」には9:00過ぎに着いた。
「平城宮跡資料館」にはボランテァの女性がいて、案内をお願いした。
710年に新しく造られた「平城京」に都が移され
長岡京に都が移る784年までの75年間を奈良時代と言い
50年の調査をもとに、建物模型や発掘のジオラマ模型などを使い分かり易くなってますが
木簡や当時の食器、装身具などの出土品が展示されており
ボランティァさんの説明で、更によく分かりました。
いよいよ世界遺産の「平城京」の観光だが、兎に角広い
大極殿は宮殿の中でも最も重要な建物で、即位の儀式や元日の朝賀に使われた。
の右の写真は、天皇皇后両陛下は平成22年10月「平城宮跡」を
ご訪問になった時に歌をお詠みになりました。
研究を重ねかさねて復元せし 大極殿いま目の前に立つ
どの位広いか写真に撮ってみました。
この大極殿には天皇・皇后と二人に付き添うお付きの人のみ許された。
囲いの中、四方1キロメートルは貴族の方200名位が此処に立ち
これより外が官僚達の集る場所だった。
平城宮の正門が「朱雀門」で、この前で外国使節の送迎を行ったり
大勢の人が集まって歌会などをした。
この写真は「朱雀門」の前から「大極殿」に向けて写したものですが
いかに広いかお分かりになるでしょう。
この他にも第二大極殿や内裏・東院庭園など観れるが
奈良の姉は前に来ており、トラムで廻らないと広過ぎて無理なようです。
ここで、細かく説明をしてくれたボランティァの女性にお別れしたのですが
お礼は絶対に受け取らず、その替わりに「平城旧跡」を宣伝して下さい
と言う事で、顔出しOKでの写真です。
細かい説明、ありがとうございました。
「平城旧跡」面白かったです。
すぐ傍に「平城京歴史館」があり
平城京に都がおかれた時代は「遣唐使」と共に
歩んだ歴史で、日本の国づくりの礎となる為、はるばる大海を渡り
唐のすぐれた制度や技術・文化を満ち帰った遣唐使や留学生・留学僧たちの
苦労と努力が、平城京で見事に花開きました。・・・パンフレットより
この船、遣唐使達が乗った船を復元したもので、中を7ツの部屋に区切り
見学出来るようになってましたが、残念ながらぞ間がなくて観れませんでした。
他に遣唐使シアターが見られ、遣唐使達が命がけで大海を渡って運んだ物が
奈良時代の日本の国づくりや文化の発展を支えた事を紹介してます。
平城京シアターは、在りし日の平城京の姿を映し出しているのですが
私達は椅子に座って見ているのですが、目の前一杯に広がる映像に
椅子が上がっていって、高い所から見下ろしているような錯覚を起こさせる程
精巧な写し方に、感動してしまいました。
皆さんも「平城京資料館」に行かれるのでしたら、「平城京資料館」は無料ですが
折角行かれたのですから、有料ですが「平城京歴史館」に立ち寄り
当時の面影を大スクリーンで堪能して下さい。
もっとゆっくりと見たい所が沢山あったのですが、奈良の姉が昼食を頼んであり
その時間が迫っていると言う事で、タクシーで釜飯屋さんへ
この店、美味しくて安いので評判になり、予約してないと入れない事もあるそうです
此処で奈良の姉が、普段一緒に来てる人と逢い偶然を感じる。
タクシーで「二月堂」迄来たが、修繕の為拝観できず
「東大寺」では中を覗いたのですが
沢山の学生と、シカがいたのかしか覚えてない
東大寺南大門の仏像で“阿吽像”を私も観たのですが
この仏像興味の無い人でも観れば圧倒されるそうで
この日は光の都合上か殆ど観えず、奈良の姉も黙って通り過ぎたそうです。
そのくらい私は仏像の良さが全く分からないのです
疲れてきたので、此処でいつものアレです。
この後、「東大寺」から「興福寺国宝館」はすぐなのですが
雨が降り出したと思う間もなく物凄い雨で、「興福寺国宝館」に逃げ込んだ
奈良の姉が、此処は絶対に観せたい仏像だったそうですが
私の頭の中では、どの仏像が何処のお寺のなのかシッチャカメッチャカです
此処を出た頃には雨も上がり、此処からホテル迄は歩いて何分もかかりませんが
「興福寺」の中を歩いて行きます。
の写真、素晴らしいでしょ
奈良の姉が、ベストポジションの場所まで教えてくれたのです。
今日泊まるホテルでのディナーは、このホテルで姉が食べて美味しくて
友人達にも食べて貰ったら美味しいとの事で、絶対に此処のディナーを
私達に食べさせたいと、このホテルを予約したそうです。
「おばな」の会席料理です。
雰囲気も落ち着いた中で、1時間半掛けて美味しい料理を戴きました
お料理も美味しいけれど、器も素晴らしかったです
そして、この料理を含め、ホテル代、奈良の姉の招待でした。
本当に美味しかったし、ご馳走様でした