ラッシーママのひとりごと

仕事を辞め好きな事に一日を費やしている主婦です。

伊豆長岡旅行2!

2015年02月17日 | 旅行

2日目は朝食を食べて9時には宿を出ました。
この日の予定は「伊豆の国パノラマパーク」でロープウェイに乗り、1日遊ぶつもりでした。
山頂は空中公園になっており、展望台から360度の眺望が見たいのです。

 

 

カーナビに行き先をいれて出発
行く先がおかしいと思ってたら三島駅まで来てしまい、此処まで来たなら「三島大社」に寄り
お参りして行く事にしたのですが、東京の姉は日帰りツアーで何度も来てるようですし
ラッシーパパは昔1度来た事があるそうですが、私は未だ来た事が無かったのです。


カーナビで教えてくれた駐車場は狭くて10台位しか停めれないし空いてない
三島大社の正門の前に大きな駐車場があるのに、其処に行く事が出来ず
仕方なく一寸放れた駐車場から歩く事にしました
その駐車場から三島大社に行く道が2通りあって、何気なく歩いた道が正解でした。

 

 

この桜川の遊歩道が「三島 水辺の文学碑」の通りだったのです。

 

 

 

 

 

 

一つ一つを読みながら三島を沢山の文豪達が訪れていたんだ・・・
凄く得した気分
今迄に何人ものブログ仲間が三島大社の記事を載せてますが
この水辺の文学碑を乗せてる人は居たかしら・・・
と言う事は、この道を知ってる方は少ないのだわ。

 

 

 

この天然記念物の金木犀の樹齢は1200年位だそうで、9月上旬頃から全枝に黄金色の花を付け
10月上旬頃には満開になる、珍しい老木だそうです。


「三島大社」と言えば枝垂れ桜が有名で、これからのツアーでは三島大社の字を見ない事は無いです。
私も1度は見たいと思いながら観そびれていましたが、時期は違いますがこれなのですね。

 

 

この後に「伊豆の国パノラマパーク」に行きましたが、未だ早い時間だと言うのに何組かの人達が引き返して来るのです。
だと思いながらも行ってみたら「強風のため一日運転できません」の案内が・・・

 

 

朝、宿を出てくる時から強風だったので動いてるかな・・・と心配はしていたのですが・・・
此処に来る前に頂上で食べようと、コンビニでおにぎりを買ってあったのです。
仕方ないので、ネットで調べておいた「江川邸」に行くつもりでしたが
その途中に広い駐車場で、見るからに由緒ありそうな石碑があり
其処には「遺跡・蛭ケ子島(ひるがこじま)・源 頼朝公配流の地」と書いてある


伊豆に流されたのは知っていたが、その地が此処とは・・・

 

 

 

 

この民家は江戸初期から続く上野家の住宅だそうです。

 

 

 

この公園、あちこちにベンチが設置してあるのですが、天気なのですが強風で寒い。
傍に小屋があり「蛭ケ島小屋」無料休憩所と書いてあるのですが
小屋の一角で風があたらない場所にお弁当を広げ食べようとしていたら
中から、此処で働いてるのか?年配の男の方が中に入って休むよう言ってくれる・
遠慮をしたのですが何度も言われるので、お言葉に甘えお邪魔した。


入ると同時に3人にお茶を出してくれたのです。
外が寒かっただけに熱くて美味しかった・・・
働いてる人を見ると他に私と同年齢の女の人が二人、
干し柿を食べようと3個持っていってたのをお礼に差し上げたが
皆さん決まって言うのは、こんなに大きい干し柿なんて高くて買えない・・・
非常に喜んでくれるので作った私としては嬉しいですね。

 

  

 

その茶屋さん、軽食出来るようにメニューが張ってあり、どれも値段が安いのです。
ラッシーパパが甘酒が飲みたいと言うので私の分と二つ、姉はお汁粉を頼みました。
熱くて火傷しそうな甘酒をフーフーしながら口に入れると甘さが口一杯広がり美味しい・・・


これから何処に行くのか訊かれたので「江川邸」に行くと言うと
年配の男の方が喋りたくてしょうがないのか、江川邸の歴史を教えてくれて
今は43代目だそうだが、36代目の方が「韮山反射炉」を作ったそうです。

 

 

 

江戸時代初期に建てられ関東一円を統括してた江川邸です。

 

 

入場料を払い中に入ると、無料で案内してくれると言うのでお願いして説明して貰った。
土間?には当時使った物がそのまま置いてあります。

 

 

  

 

この天井ですが、高さはビルの3階位だそうですが木を組むのに釘は1本も使わず
木を組み合わせて(何と言うのか分かりません)建ててるそうです。

 

 

 

中でも凄いと感じたのは学習塾を遣っていて、私達が社会科で勉強した明治維新にする為に活躍した
人達の名前が沢山いて、本来ならば潰されたであろう江川邸を教え子達が守ったそうです。
今、NHKの大河ドラマの吉田松陰みたいな方だったのですね。
知れば知るほど凄い方達なのですね。

 

 

この36代目の方が始めて乾パンを焼いて保存食として戦場に持って行ったそうです。
見せてもらったパンは2枚あって、2枚を叩いてカチカチと音はしますが割れませんでした。
1年間は持つそうですが、実際は4,5年は食べられるそうです。

 

 

外に出ると井戸が残ってました。
江戸時代の江川邸の家紋は井桁の菊でしたが、天皇家の菊の御紋なので
以後、使う事は禁止されたそうです。
(そういう事は、天皇家の方が後から作った御紋でしょうか?)

 

 

 

江川邸から撮った「富士山」です。

 

 

この後、「韮山反射炉」に行きましたが長くなるので次回にね。 

 

 

 

コメント (12)
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