ラッシーママのひとりごと

仕事を辞め好きな事に一日を費やしている主婦です。

インド旅行記おまけ編!

2010年02月03日 | 旅行

一昨日夜から降った雪は早朝迄降ってたようで、通路に積もり
ラッシーパパは朝早くより雪掻きしてして歩き易くしていた


前々より昨日(雪の降った翌日)は
月1回のリューマチのクリニックに行く予定にしていたが
雪が降り、道路の雪も未だ残っていそうなので
クリニックに行くかどうするか迷ったが、結局行って来た。


以前の私なら雪の降った翌日に出かけるなんて
足元に力が入らず、怖くて出歩くなど考えられなかったけれども
最近の私は、足が丈夫になったのが、自分でもはっきり分かるのです


私の考え通り、こんな日にクリニックに来るのは足に自信のある人で
リューマチはそれ程悪くない人だけが来てるように思えました。


普段なら9:00には午前中の受付を締め切ってしまうのですが
私自身が家を出たのが遅かったせいもあって、クリニックに着いたのが9:05
待合室には10人もいず、私の後に一人来ただけでした。


クリニックに通い出して4年が過ぎましたが、こんなに空いている事は初めてです。


いつもなら先生と顔を合わせるのも2,3分ですが
毎月採血して貰い、その数値を“リューマチパスポート”に記入してくれ
その数値から的確なアドバイスをしてくれるので安心なのですが
昨日は患者さんが少なかったせいもあり
先生がゆっくりと話をしてくれた。



 

 

 

 

リューマチパスポートのノートも二冊目になり、その中の項目に
関節破戒度の数値を入れる場所がある。


上下のノートの右から二番目が破戒度の数値を書いてくれてるが
注意しなければならない数値には、129,8や117,4のように赤丸で囲んでくれる。
この数値は去年6月、8月に調べた数値ですが
下の数値の84,1や59,4は去年11月、12月のものです。


先生もビックリなさったくらい、数値が良くて
私も最近特に足が丈夫になったと自分でもはっきり感じてましたが
数値が物語ってるのですね


   

 

先日、インド旅行記を何回かに分けて書いたが
私にしては余りの長編だったので、書く事を止めてしまったが
後からどうしても面白い記事なので、再度書きたくなった


インドの土産は何にするか迷っていたが
何処の観光地でも、バスから降りるや現地の大人や子供迄が
観光客めがけてしつこく売り込み、傍を放れないので
いらない時は「NO]を繰り返して逃げるのだが
日本人は良いカモらしく、後を追って来る。


「千円」「千円」を繰り返すのだが、現地人はセンエンが言えずに
「シェンエン・シェンエン」と追って来る。


バスの中に逃げ込めばセーフなのだが
奈良の姉は孫の土産を考えているので、声を掛けられると
すぐに反応してしまい、そんな姉を見た物売りは
これぞとばかりに傍を放れない


姉も困っている様子だったので、最初は腕を取ってバスの中に引き入れたが
次の観光地でも又しつこく付き纏われてる。


姉もいつ買ってもいいようにと、千円札を一枚ポケットに入れ歩いている
姉によれば、値段も安いので失敗しても構わないしという事で
2,3箇所の観光地で、孫への土産を買ったようだった。


私というと、旅行会社が連れて行く土産物屋で
“絹のスカーフ”と絹と綿半々の“ソファーカバー”を買って来た。


 

 

 

 

私が買ったの土産物など面白くもないが
最終日ジャイプールのアンベール城に行った時の事です。


アンベール城の観光も終わり、バスが待っている所迄又ジープで戻ります。
その時も、往路と同じに物売りがしつこく傍を放れません。


私も物売りから千円なら買ってもいいかなと思い、千円をポケットに入れ
歩いていたのですが、案の定「シェンエン・シェンエン」と品物を二つほど見せる。
「NO]と言うと品物が三つになり、「NO]今度は四つになりました。


それでもいらないので「NO]と言いながらジープに乗ったのです。
そしてジープは走り出しましたが、ジープに乗る時に足を乗せる
小さな足掛けに乗ったまま、体半分以上をジープの中に入れ
必死になって、品物を5個出し「シェンエン・シェンエン」
私も欲しくも無かったのですが値段が値段です。
「OK]と言い、ポケットから千円札を渡しました。



 

 

これ全部で千円です。
信じられない安さ、驚きです

 



 

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起雲閣!

2010年02月01日 | 伊東の家

29日から31日迄「伊東の家」に行っていたが
30日(土)に非公開の岩崎別荘、今はなき住友別荘とならび
「熱海の三大別荘」と賞賛された「起雲閣」に行ってみた


1919(大正8)に海運王・内田 信也が別荘として建てたのを
鉄道王の根津嘉一郎が別荘として買取り、洋館を建てた。
1947(昭和22)年に旅館として生まれ変わり、熱海を代表する宿として
日本を代表する文豪達に愛されたが、1999(平成11)年・旅館を廃業
2000(平成12)年・熱海市が取得。


熱海市の文化と観光の拠点として「起雲閣」開館


 
 

 

 

 

 
                   玉姫の間

 

 

 

  文豪の間

 

 

 

             

 

            

 

           

 

 

 

私達に馴染み深い文豪達が、この旅館を愛していたのが分かります

 

  

 

 

 

 

 

 


 


入場料500円で緑豊かな庭園、美しくたたずむ建築
熱海にこのような素晴らしい建物がある事を始めて知りました。


読書家の“だんだんさん”や“夢路さん”いらした事ありますか?
未だいらしてないなら是非いらして下さい。
興味をそそられる事請け合いです

 

   

 

「伊東の家」にいると、パソコンも置いてなく
何もやる事がないので、食事の支度をするのが楽しいのだが
今回は友達から借りた「大地の子」の上を二日間で読んでしまった。



 


“だんだんさん”や“夢路さん”から今迄読んだ本の中で
一番可哀相で号泣してしまったと言っていたが
本当に中国残留孤児の為、次から次へと試練が圧し掛かり
可哀相でならないが、本の面白さで夜を通して読んでしまった。  


 

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