台風7号は関東地方、特に千葉県が豪雨や強風で警戒するように言ってましたが
思っていたほど被害も無かったようで良かったです。
我が家の庭に「たかさごユリ」が咲いてるのですが、その高さが3メートル位あって見上げるようです。
そして街路樹の空き地では「パンパスグラス」が咲き出し、秋の気配を感じます。
先日の私の記事で、6000人のユダヤ人を救った、「東洋のシンドラー」とも呼ばれた外交官の杉原千畝さんの「六千人の命のビザ」の本の事を書きました・・・こちら
杉原千畝さんの事をもっと知りたくてネットで調べてる内に、杉原千畝さんより1年半も前に同じくユダヤ難民を20000人も救った樋口 希一郎さんがいる事を知りました。
海外旅行に行って感じる事は、日本人で良かったと再認識させられますが、更にこのような立派な人がいる日本に生まれて
何と素晴らしいんでしょ
「ユダヤ難民を救った男 樋口 希一郎」
外交官の杉原千畝さんの事は知れ渡ってるのに、何故、このような立派な事をした樋口 希一郎さんの事は殆どの人が知らないでいますが
それは樋口 希一郎さんは陸軍軍人で、ドイツと日本の間の国際問題となり
軍務機密として処理された為に外部に漏れなかったようです。
その証拠として、北海道石狩市に「樋口希一郎記念館」は2020年9月に開設されたばかりです。
こんな立派な方がいた事を、皆さんに知って貰いたくて記事にしました。
ナチスドイツに追われたユダヤ難民を、樋口 希一郎は軍人の域を超えた外交官的素養の逸材であり
ユダヤ難民を独断専行で救出した通称「オトポール事件」など多くの難問の中に身をさらし
勇気と決断を持って、自己の信念を貫いた将軍である。
日独伊防共協定下に起きたオトポール事件に際し、ヒトラーの恫喝に対して自己の正当性を主張して
動じる事は無かった。
相手国との外交関係への配慮から伏せられてきた為、今日まで日本人の多くは知らないできた。
ユダヤ難民について杉原千畝の「命のビザ」は世界中に知られるが、オトポール事件のついては
ナチス・ドイツから厳しい抗議を受け、軍事機密扱いとして伏せられた・・・本のはじめにから抜粋
終戦後にソ連軍が占守島を奇襲、スターリンは参戦にあたって、トルーマン米大統領に対し
日本の降伏条件として千島列島全部と、北海道北半分の占領を要求してたそうです。
八月十五日に終戦が発表され、米軍はこの日を持って戦闘を停止してるので
日本軍は戦争は終わったものと思っていた。
ところが八月十五日の当日、ソ連軍は南樺太・千島列島・その先にある北海道への侵攻作戦を発令という暴挙に出た。
トルーマン米大統領に対する要求を実現する為、実力行使に出た。
日本軍では一斉の戦闘行為を停止する、但し止むを得ざる自衛行動は許すと・・・
樋口希一郎の日本軍は、ソ連軍と激しい戦いをして、日本兵強しをソ連軍首脳部に与え
北海道北半の武力占領を思いとどまらせたそうです。
このように知れば知る程、凄い仕事をした方なのですね。
もし、北海道が占領され半分にされていたら、東西ドイツや朝鮮半島にのようになっていたかも知れませんね。
もう1冊の「アッツ島とキスカ島の戦い」は次回にね。
先日「みいやんさん人形」を送ったら、みいやんさんが独身の頃に和裁教室で羽織を縫った赤い絞り地の生地を解いて
他の生地と、可愛い靴下を送ってきてくれた。
着物を解くって面倒なのよね、ありがとうございます。
手芸の時に利用させて頂きますね。
思っていたほど被害も無かったようで良かったです。
我が家の庭に「たかさごユリ」が咲いてるのですが、その高さが3メートル位あって見上げるようです。
そして街路樹の空き地では「パンパスグラス」が咲き出し、秋の気配を感じます。
先日の私の記事で、6000人のユダヤ人を救った、「東洋のシンドラー」とも呼ばれた外交官の杉原千畝さんの「六千人の命のビザ」の本の事を書きました・・・こちら
杉原千畝さんの事をもっと知りたくてネットで調べてる内に、杉原千畝さんより1年半も前に同じくユダヤ難民を20000人も救った樋口 希一郎さんがいる事を知りました。
海外旅行に行って感じる事は、日本人で良かったと再認識させられますが、更にこのような立派な人がいる日本に生まれて
何と素晴らしいんでしょ
「ユダヤ難民を救った男 樋口 希一郎」
外交官の杉原千畝さんの事は知れ渡ってるのに、何故、このような立派な事をした樋口 希一郎さんの事は殆どの人が知らないでいますが
それは樋口 希一郎さんは陸軍軍人で、ドイツと日本の間の国際問題となり
軍務機密として処理された為に外部に漏れなかったようです。
その証拠として、北海道石狩市に「樋口希一郎記念館」は2020年9月に開設されたばかりです。
こんな立派な方がいた事を、皆さんに知って貰いたくて記事にしました。
ナチスドイツに追われたユダヤ難民を、樋口 希一郎は軍人の域を超えた外交官的素養の逸材であり
ユダヤ難民を独断専行で救出した通称「オトポール事件」など多くの難問の中に身をさらし
勇気と決断を持って、自己の信念を貫いた将軍である。
日独伊防共協定下に起きたオトポール事件に際し、ヒトラーの恫喝に対して自己の正当性を主張して
動じる事は無かった。
相手国との外交関係への配慮から伏せられてきた為、今日まで日本人の多くは知らないできた。
ユダヤ難民について杉原千畝の「命のビザ」は世界中に知られるが、オトポール事件のついては
ナチス・ドイツから厳しい抗議を受け、軍事機密扱いとして伏せられた・・・本のはじめにから抜粋
終戦後にソ連軍が占守島を奇襲、スターリンは参戦にあたって、トルーマン米大統領に対し
日本の降伏条件として千島列島全部と、北海道北半分の占領を要求してたそうです。
八月十五日に終戦が発表され、米軍はこの日を持って戦闘を停止してるので
日本軍は戦争は終わったものと思っていた。
ところが八月十五日の当日、ソ連軍は南樺太・千島列島・その先にある北海道への侵攻作戦を発令という暴挙に出た。
トルーマン米大統領に対する要求を実現する為、実力行使に出た。
日本軍では一斉の戦闘行為を停止する、但し止むを得ざる自衛行動は許すと・・・
樋口希一郎の日本軍は、ソ連軍と激しい戦いをして、日本兵強しをソ連軍首脳部に与え
北海道北半の武力占領を思いとどまらせたそうです。
このように知れば知る程、凄い仕事をした方なのですね。
もし、北海道が占領され半分にされていたら、東西ドイツや朝鮮半島にのようになっていたかも知れませんね。
もう1冊の「アッツ島とキスカ島の戦い」は次回にね。
先日「みいやんさん人形」を送ったら、みいやんさんが独身の頃に和裁教室で羽織を縫った赤い絞り地の生地を解いて
他の生地と、可愛い靴下を送ってきてくれた。
着物を解くって面倒なのよね、ありがとうございます。
手芸の時に利用させて頂きますね。
樋口希一郎、知りませんでした。
早速調べますが、今、また世界が、不穏になってる中、勇気ある人の存在が薄らいで行きます❗️
一人一人が、本当の平和の意味を考えるために、日本の教育にも、こんな話は、積極的に載せて欲しいものです🙆
みいやんさん、生地、、本当に着物をほどくのが、大変で、私も母の黒留袖、縫い直すのを頼んだら、ほどき賃と言うのを別に取られるんですね。
もう25年も前で、3000円でした😅
母が、ほどいてくれた夏物の生地で、のれんを作りましたが、簡単に洗えない❗️
手芸などに使って貰えるのは、有難いですね😃
樋口希一郎、知らないですよね、私も最近まで知らなかったですから。
偶々、私が杉原千畝さんの事をネットで調べていたら、ユダヤ難民を20000人も救った日本人がいて
それも杉原千畝さんより1年半も前と言うのに
何故、皆が知らないのかと不思議に思い、本を取り寄せ読んでみました。
杉原千畝さんの後に引き継いだ小辻節三さんという方も、ユダヤ難民を助けた人達の名前が書いてある黄金の碑「ゴールデン・ブック」に載ってるそうです。
他にも100年前に800人の難民を助けた船長がいるそうですが、今、詳しく調べてるそうですが
こんなのを知ると、益々、日本って凄いと思って嬉しくなります。
着物を解く件ですが、私も先日のチェニックを作った生地が、私の着物地を解いたので大変さが分かります。
みいやんさんが羽織を作って1度も手を通さないのを解いてくれたそうで、手芸で利用させて貰うわ。
杉原千畝氏は外交官でしたが、この方は軍陣さんでいらしたのですね。
ドイツと同盟をむすんでいたあの当時としては大変な勇気のいる行動であったでしょう。
早速読んでみたいと図書館にその本があるか検索してみましたが、おいてありませんでした。
それほどに無名の方なのかと残念に思います。
樋口希一郎さんも軍人さんでありながら、それ以前に、20000人ものユダヤ難民を救っていたのですね。今の時代を考えても、信念を持って、困っている人達を救うことは大変な事ですよね。
北方領土がソ連に占領された経緯も、ママさんのブログから知りました。返還要求をしても、今も、返還されないですものね。
北海道が2分されていたらと思うと、その功績はとても大きなものですね。
みいやんさんの思い出の羽織、赤い絞り地、とても綺麗で、他にも素敵なハギレが、ママさんの吊るし飾りや人形作りに生かされていきますね。
軍属の高官であるにもかかわらず、ユダヤ難民を2000人も助けたなんて、にわかに信じがたい出来事です。
それもドイツとの密約で歴史的事実からは葬り去られていたなんて!!
ヒトラーの恫喝にも屈しなかったとは驚きの人物です。
この時代にこんな方がいたとは。紹介有難うございます。私も本を探してみますね。
着物を解く・・・・大変さが良くわかります。
解く度に、こんな細かな縫いの技術あるのかと驚かされます。
みいやんさんの一度も手を通していなかった羽織もラッシーママさんの手で生き返りmナスネ。
樋口希一郎、知らないですよね、私も偶然知った程ですから。
でも、この方がいなかったら、北海道が分裂してかもしれないし凄い仕事をした方なのです。
「樋口希一郎記念館」が2020年9月に開設されたばかりですので、やっと皆に知れ渡りそうです。
この本を読むと、ユダヤ人の人道的立場を貫いたのは世界でも日本だけだったのが分かり
益々、日本人に生まれて良かったと思いました。
この本、図書館にもなかったですか、それほど出回ってないって事ですね。
子の本を読みたいという方がいらして、その方にお貸ししてしまいました。
「樋口希一郎記念館」が2020年9月に開設されたばかりと言う事は、国がやっと公にして良いとの方針になったのでしょうから
皆が知らないのは当然ですね。
そうなのです、この方がいなかったら、北海道は2分割されてたようです。
知れば知るほど、日本にとって素晴らしい活躍をしてる軍人さんでした。
みいやんさんから送って頂いた赤の総絞りの着物地、未だ1度も手を通さなかったご自分で仕立てた羽織を解いて
手芸に役立ててと、嬉しい気持ちを戴きました。
樋口希一郎さん、やはり知らなかったですか、とにかく素晴らしい人なので皆に知って貰いたいです。
ユダヤ難民を救ったのは2000人ではなく、20000人ですから驚きです。
この本を読んでると、ユダヤ難民を助けるのに、他にも沢山の人が出てきます、本当に日本人って素晴らしい。
銀河さんほど着物を愛してる方はいらしゃいませんから、着物の素晴らしさを一番知ってますものね。
私も手芸を通して、自分の着物地や帯地で可愛い作品が作れたので、この戴いた着物地も何かを作りたいと思いました。
戦後しばらくはその功績を広く知らされていなかったのですよね。
樋口希一郎さんが知られていないのも
>陸軍軍人で、ドイツと日本の間の国際問題となり
軍務機密として処理された為に外部に漏れなかったようです。
↑のような理由からうなずけます
お二人のような立派な行いを公にしなかった日本政府の態度には疑問あるのみです。
杉原千畝さんは政府の方針に逆らったとされ、戦後に外務省をクビになりましたが
樋口希一郎さんは上司が東条英機で、ドイツとの同盟はしたが人道上とは別問題と正当性を主張し
東条英機も話しの内容に納得して、ドイツからの苦情を無視したそうです。
この本を読むと、他にもユダヤ難民を助ける為に大勢の人が出てきますので、益々日本と言う国が好きになってしまいました。