きのうは夕方まで葬儀があって、ギリギリの時間になって
大急ぎで飛行機で仙台に移動しております。
このブログでも触れた義父の葬儀だったのですが、
献体というちょっと変わったプロセスでの死から、葬儀にかけての流れだったので
死亡から8ヶ月目でようやく、葬儀を行うことが出来た次第。
そんなことで、案内送付からも時間が経っていて、
はたしてどれくらい出席していただけるか、見当が付かなかったのですが、
大変多くのみなさんにお集まりいただいて、無事葬儀を終えられました。
まぁ、ほっとする暇もなく飛行機移動してきたので、
バタンキューで寝てしまっていまして、朝、ようやくひと息です。
献体、というのは死亡直後、なるべく早い時間に遺体を保存させ、
その体をこれから医学を志す学生さんや、若い医療スタッフのために提供するもの。
義父の場合、24時間以内の早期献体を希望したので、
葬儀は遺体が返還されてから、ということになったのです。
死亡後、8ヶ月が経過していたので、とくに葬儀委員長などを立てず
自分たちの口から、義父の死の様子や生きざま、
そして献体のことなど、つつみかくさずお伝えした方がいいと思って
そのように家族で決めました。
義母と、義弟が淡々と自分の言葉でお伝えすることが出来ました。
わたしもはじめて聞くような義父の生きてきた軌跡が語られ、
こころのなかに染みいってくるように、その生きざまが伝わってきました。
義父は、こういうように遺されたものに、こころの整理をしっかりつけさせてから
挨拶できるように、この献体ということを選んだのかも知れないと、
思い至るような気さえしました。
献体という義父の希望をつつがなく叶えることが出来て、
遺されたものたちとしては、ようやくほんのすこし肩の荷が下ろせました。
ひとは必ず死ぬ。
これから多くの死に向かっていかなければならない年代になってきました。
ちょっとかわったおくり方でしたが、
なにか、こころに印象深く刻まれるおくり方が出来たような気がして、
満足感も感じられています。
そんな経験をさせてくれた義父に感謝したいな、と思います。 合掌。