三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

交易による政治経済活動痕跡

2007年09月23日 07時59分56秒 | Weblog



次兄から、膨大な資料を借り受けました。
かれは、ライフワークのようにしてわが家の家系の調査をしています。
北海道に渡ってきた人々にとって、そのルーツ探しっていうのは、
失われたなにか、を求めようとする心理の発露であって、
深く共感させられるものがあります。

そんななかで、わが家の家系探し資料の文書類を見ていて、
古代から中世にかけての、瀬戸内海を中心とする交易活動のありように
強い印象を受けてきています。
日本の歴史のなかで、基本的に2つの流れがあったと思います。
ひとつは農業生産力の向上をひたすらに追求する方向。
基本的には、土地所有にこだわり続ける「一所懸命」の方向。
そしてもうひとつは、平家の隆盛を支え、足利義満の経済的成功をもたらした、
「交易立国」としての方向性。
東西で分ければ、日本は常にこの2つの方向性のなかで、
揺り動きながら歴史を紡いできたと言えるでしょう。

どうも、ご先祖さんたちの様子の記録の背景に、
日本人の、この「交易活動」へのただならない執着を感じてなりません。
こうした交易活動は明瞭なかたちで残されたものは少なかったようですが、
近年、水没して幻の街といわれてきた
古代から中世にかけて存在した広島県福山市近郊の、
「草戸千軒」の遺跡発掘などで、
その経済活動のありようが、くっきりと明瞭になってきたといわれています。

<以下、http://www.mars.dti.ne.jp/~suzuki-y/intro.htmlより>
「草戸千軒」の町は、海上交通・河川交通・陸上交通の交わる芦田川の河口近くにありました。そのため、芦田川下流域から福山湾岸にかけての地域経済の拠点として、さまざまな物資がこの町に持ち込まれ、取り引きされていました。また、漆塗りや鍛冶などの手工業生産に従事する職人も、この町を活動拠点にしていました。こうして、多くの物や人が集まる町には、お金も集まってきます。お金を貸して利子を取る、金融業に携わる人もいました。
 このように、草戸千軒の町は商工業の盛んな、にぎやかで活気あふれる町だったのです。

ひたすらにコメと土地を血みどろに争った側面ばかりではない、
こうした、広くアジア世界と繋がった交易による富の追求活動も
もっと、スポットを当てて行かなければならないのだと思います。
こうした経済活動が、政治的表現として、
日本の歴史で、平家の隆盛などを生んだ背景にあったのだろうと考えます。
どうも、わが家の家系はそういう世界で生きてきた感じが濃厚なんですね。
しかし、資料はけっこうな分量になるもので、
とりあえずは目を通してみたのですが、
詳細に見て行くには、相当の期間がかかりそうです。
でもまぁ、興味は尽きることなく広がっていきそうで、
ちょっと、コワいなぁ、とも思いますけれど・・・。
コメント
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