三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

家系調査ー2

2007年09月19日 06時46分07秒 | 歴史探訪




先日書いた、家系調査の資料が古本屋さんのネットから届きました。
このシステムも便利で、Wikipediaか、なにか、忘れましたが、
歴史的な言葉やフレーズで検索したページからの
張られたリンクが、この全国の古本屋さんのデータベースサーバーに繋がっているので、
居ながらにして、京都の古本屋さんに在庫されている文献にアクセス。
その場で申し込んで、郵送で送られてきたのです。
代金支払いも郵便振替でOKなので、たいへん気軽に利用できる。
こういうシステム、ほんの10年前くらいまでは、想像だにできなかった世界。

ということで、送られてきたのが写真の書籍。
兵庫県の県指定文化財になっているという
わが家の縁戚とおぼしき住宅の記録です。
まぁ、縁戚とはいっても、かなり時代的には隔たっているようで、
たぶん、秀吉による播州英賀城の落城時に、
そのまま播州に残った流れの家の記録。
わが家の直接の家系は、その時点で毛利圏の福山市近郊の今津という
ところまで逃れて、そこに居着いたという一統。
ですから、同じ一族ではあるのは確かですが、
お互いに認識があったかどうかも不明です。
わが家の直接の家系も、江戸期には庄屋だったそうなので、
大庄屋として、藩の行政組織の一翼を担っていたというこの縁戚とは
よく似たような家ではあったようなのです。

しかし、この家の詳細な調査は、まさに活写されるがごとき、です。
江戸期の「庄屋」というのは、いったいどのような存在であったのか
まざまざと伝わってくるような記録の迫力が圧倒的。
日本の民俗学の祖であった柳田国男氏が、
この家系の当主と昵懇の間柄で、この住宅の蔵書を読みふけったことが、
柳田さんの仕事のベースになった、ということ。
そういう意味では、誇らしく感じられるものもあります。

しかし、戦国から江戸にかけての経済のありようが、
実に明瞭な想像力をともなって実感できる記述に巡りあった思いがします。
この書籍から感じられたこと、
これから、徐々に、ご紹介していきたいと思います。

コメント
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