三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

中国と日本

2008年05月28日 06時44分45秒 | こちら発行人です

札幌に22年間在住されている、札幌大学・張偉雄先生のお話を聞いてきました。
中小企業家同友会の「中国ビジネス研究会」の会合です。
わたしはこれまですれ違いが多くて、中国関係のお付き合いがなかったのですが、
今回はじめて参加させてもらった次第です。

「比較文化論」的な立場から、両国の文化の違いを教えていただきました。
ひとつ印象に残ったのが、
「日本では、無防備にすべてさらけ出すのがウケるけれど、
中国では、あくまで論理的に説明しなければ、無責任と取られる」という部分でしょうか。
無防備にさらけ出す、というのがどういう具体的なことを指すのか、
言及はなかったのですが、
まぁ、何となく理解できました。
(こういうあいまいな理解が、日本人的ということでしたけれど(笑)・・・)
また、ちょっと気付きにくいポイントでしたが、
老人問題のことで、
日本ではすぐに福祉政策のことになっていくけれど、
中国では、「公園の整備」というアプローチが現実的に機能している、という部分。
張さんのおかあさんは広東でひとりで暮らされているそうですが、
心配して電話したら、
「なんも、公園に行けばいろいろなひととお話しもできるし、
生きていくのに役立つ具体的な情報も得られるから、不自由もしないよ(笑)」
ということなんだとか。
おや、というような発見でした。
確かに、老人問題には色々な側面があり
健康や医療の問題、その費用というような部分にばかり目が行きますが、
ひとつの解決手法として、
豊かな老人間のコミュニケーション社会を形成する、というアプローチ。
自助的に、お互いに情報交換することで、解決していこうというのですね。
そのために公共的空間、公園を活用させようという考え。
たとえば老人の、体調が悪いというテーマに対しても、
「それなら、こういう体操がいい」とか毎朝の太極拳や気功で解決する
というようなアプローチが、自然的に行われていると言うこと。
まぁ、気持ちよく過ごせる公園という社会的なコミュニケーションの場を整備して
そういう社会資産を上手に使うという考えだと思うのです。
確かにそのように言われると、日本では公園について、
そのような積極的な役割について論議されることは少ないし、
ひたすら、公共的な手助けが必要だ、
介護保険制度が必要だ、というようなアプローチばかりになってしまう。
このあたり非常に示唆的なお話しだったと思います。

オフ会では、中国から来られて開業しているという
中国料理店でたいへんごちそうになってしまいました。
って、まぁ、会費制なのですが、
紹興酒は飲み放題だし、食べ物は次々と出てきて、
とても会費の枠を超えていることは明白。
お腹いっぱいになりまして、帰りは転げるように帰った次第。
ごちそうさまでした。お礼に、今度また行きます(笑)。

<写真、ケータイだったのでピンぼけでした・・・>

コメント
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