松島というのは、「日本三景」のひとつに数えられます。
マツの生えた島並がつづく「多島海」という景観が
おだやかな海の景色を生み出している。
縄文以来、日本列島の中でもこの「多島海」というのは、
瀬戸内海地方など、好まれてきたのだろうと思います。
そうした景観美が日本人的嗜好にいたくマッチしたのでしょうか?
縄文文化をゆりかごのように持っている日本人には
なにか深い海への郷愁を呼び覚まさせる存在だったのか、
なぜここが長く、日本人に愛され続けてきたのか、
文化論からも、探求する必要があるでしょうね。
芭蕉さんの諧謔かとも思える俳句には、かれの感受性が見えない。
たぶん、そういった意味合いの方にこそかれの真実はあるのでしょう。
王朝以来の文学世界テーマであったことが、
ある種の虚名になっていること自体は
昔も今も変わっていないのかもしれない。
ただ、考えられるのは、盆栽を楽しみと感じる感受性に
この地域景観は、非常に近いように思えること。
王朝文学世界の独特の「見立て」文化にとって
こういった自然景観には、
多くの仮託するという情動は感じさせたに違いない。
ただ、そういった見立て文化は、その後、
どうも衰勢に向かっているのではないかと思われます。
ちなみに、世界遺産には登録を目指していたそうですが
まだそうした状況には至っていない。
インターナショナルには、なかなか心性理解が難しいのかも。
ただ、周囲に「鹽竈」~しおがま~という地名があるように、
この松島湾地域は、縄文時代すでに製塩の盛んな地域とされる。
製塩独自の土器がいろいろな地域で発見もされているそうです。
マツというのは、海岸地域などでも生育しうる樹種。
製塩にはなによりもその条件として、
大量のバイオマス資源が不可欠であり、
それには、この地域はぴったりの条件だったとされる。
むしろ、そういう命を支えてくれた物資へのリスペクトの心性が
岩塩の出ない日本列島社会では、よき景観とされたのかも。
最近、そんな妄想を抱いてきております。
さて本日から東京出張であります。3泊4日の行程。
早朝出発なので、さっそく準備開始であります。ではでは。