三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

注文戸建住宅群がつくる文化のない街

2015年11月09日 05時49分12秒 | Weblog
きのうの「戸建注文住宅って日本の独自文化?」の
拙ブログには、いろいろなご意見が寄せられました。
戸建注文住宅という文化が、他国では一般的であるのかどうか、
「情報をお持ちの方、ぜひ教えてください」と投げかけたところ、
秋田の建築家・西方里見さんからもコメントをいただきました。
以下、要旨抜粋。
「あちこちを見てあるいて聞いてみて、庶民クラスが
自由設計で工務店や住宅会社に自分で注文する国は無いと思います。
良い意味でも悪い意味でも。
ヨーロッパでは庶民は街中や近隣の集合住宅、
中の中で郊外のテラスハウス、戸建は郊外で中の中の上クラス
それも企画住宅を買う。戸建注文住宅は中の上以上と考えられます。
しかもスイスやスウェーデンのような豊かな国です。
文明国は住宅を社会資本とし国レベルで計画しますが、
戦後の日本は満州などの大量な引揚者や帰国民の住居政策ができなく、
個人に任せたのがバラックですが
それが庶民自由設計注文住宅の始まりと考えます。」という投稿。
さらにアメリカ西海岸在住の方からも以下のようなメッセージ。
「こちら米国でもユニークなデザインは嫌われますね。 
まず中古物件が戸建ての主流であるため、
個人が特殊な設計をしたりしたら売れにくくなるのに加え、
下手するとコミュニティを醜くした、と問題になったり、
「家主会」によっては工事許可を出さなかったりします。 
コミュニティ全体で1つのブランド感を醸し出すのが普通なので、
1つの家だけ「ブランド・イメージ」と合っていないのはまずい。  
企画住宅のほうが売りやすいし問題も少ない、
という事で人気があります。」というもっともな指摘。
こういうのが「世界標準」であろうことは間違いがない。

やはり推測通り、日本庶民の過半以上が戸建注文住宅であるのは
世界的に見てきわめてレアなことであるのは、明らかなようです。
戦争で焼け野原になった首都東京をはじめ大量に帰還してきた
外地からの引揚者の人々に促成で住む家を提供しなければならない、
というきわめて特殊な要因が、公営住宅などの国の住宅政策が
きわめて貧困な中で、野放図なバラック住宅を生み、
個人の自己努力にすべてを委ねるしか住宅建築が出来なかった現実。
国家としての明確な「住宅政策」を持ち得ないなかで、
個人主義の野放図な拡張のままに、住宅が建ち続けた。
それが結果として、戸建注文住宅というきわめて特殊な建て方が
日本に於いて優勢になった経緯なのでしょう。

さてそうであるとして、次にわき上がってくる疑問は、
そうした日本人に、よき注文住宅の生活文化伝統はあるのか、
そしてそれは、よき街づくりにつながるのか?
という誰もが持つであろう疑問です。
国家や権力機構の関与がそれほどでなく、市場に委ねられている
ということ一般は、けっして悪いこととは言えない。
しかしそれは、充実した住宅建築・都市生活文化があればこそ。
さてどうなのか、という疑問は結局、現在のわたしたちの街の光景が
すべてをあきらかに表していると言わざるを得ない。
個人主義の伝統文化もないなかで、野放図な自由が放置されれば
いまわたしたちが目にしている街が出来上がる。
このように出来上がった街並みは、サスティナブルでしょうか?
世界的にもすばらしい注文戸建て住宅が実現し、
みんなが「好きな家を自由に建てられる」ようになっている社会は,
さて、美しい街並みを実現させているでしょうか?
わたしたちのいまの街は、後の世でどう評価されるのでしょう。

<写真はスウェーデンの木造多層階集合住宅>

コメント
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