三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

戸建注文住宅って日本の独自文化?

2015年11月08日 06時21分09秒 | Weblog
わたしどもでは最近、韓国人のスタッフが入社しました。
日本語はペラペラでありコミュニケーション自体は問題ありません。
ただし、かれと話していて、戸建て注文住宅というものへの
想像力というか、そこからいろいろ話しております。
そういった経験から、わたしも不勉強なのですが、
どうも韓国では住宅というと、ほとんど常識として「買う」もので、
基本的には鉄筋コンクリートのマンションをイメージしている。
庶民にはそれが当たり前であって、日本のように
1戸1戸違う家を、「注文」を聞いた上で設計して建てるという
そういう文化は、ほとんど聞いたことがないという。
お金持ちにはそういった文化はあるかも知れないけれど
庶民感覚では、住宅の「テイスト」とはインテリア選択だけだ、
というように言われた次第なのであります。
まことに断片的な意見なので、一般化はもちろんできないのですが
そういえば、わたしの乏しい海外住宅取材体験でも、
日本的な戸建て注文住宅づくりプロセスと同様の取材経験は無い。
海外住宅はカナダやアメリカ、北欧でも、日本と比較して
格段に値段は安かったけれど、それはほとんどが建売だった。
たとえ高級住宅だとしても建売で、それは個人が好き勝手な家を
「注文」するのではなく、
住宅建築のプロが基本を構成デザインし、カスタマイズの範囲で
顧客の希望を取り入れるというものだったように思う。
そもそもこういった部分での興味で取材していなくて
ひたすらモノとしての住宅について、性能価格デザインと取材した。
建築打合せのプロセスについて比較検証はしていませんでした。

で、ふり返って見て日本の住宅生産では、
いかに細かい情報のやり取りが行われていることか。
ユーザーに差別化情報を提供するのに、
きわめて伝わりにくい住宅性能やデザインの見方まで伝えて、
選別眼を持って欲しいとまでアナウンスしている。
こういった実態は、究極的に進化した住宅取引であるのか
それともひょっとしてガラパゴス化ということであるのか、
自分自身でも検証してみたいと考えるようになって来た次第です。
戦後初期の住宅生産における
規格的な住宅大量生産の必然性から始まったことが、
一種のトラウマになって、そうではない
個別限定的な「注文住宅」という変わった文化を生んでいるのかも。
そういえば海外で、建築家がこんなに大量に、しかも多様に
戸建て注文住宅を設計デザインしている国って
ほとんど聞いたことはない。
まことに不勉強ではあるのですが、
このことについて情報をお持ちの方、お教えくださいませんか?

ということで、住宅取引の日本的特性から
さらに日本人の住宅デザイン選別感覚まで、
韓国人スタッフと情報共有するには、
かなり長く、わけわかんないプロセスがありそうな予感(笑)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする