三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【多島海で生きてきたニッポン的感性とは?】

2017年08月08日 05時52分20秒 | Weblog
本日はやや住宅テーマを離れてみたい。
ときどき、住宅ばかりではないことも考えたり想起したくなる。
当たり前でしょうね、人間は「ばっかり」ではいけない。
米ばかり食べていてはバランスが取れない、おかずの多様性が柔軟な健康を生む(笑)。
というこじつけ論であります。

今回の九州ツアーでも、鹿児島県の起伏に富んだ山岳地域を走った後、
九州西部海岸、天草から八代海をクルマで走ったのですが、
予備知識なく、この多島海の景観に遭遇して、
なんともニッポン感に満たされておりました(笑)。
日本は世界第2の「多島海国家社会」だそうです。以下、Wikipedia抜粋。
〜多島海で構成された国としては、インドネシア、日本、フィリピン、ニュージーランド、
イギリスがあげられる。そのうち最大の多島海がインドネシアである。
島嶼部性(海岸線の距離を陸地の面積で割ったもの)観点からは、7000以上の島からなる
フィリピンが島嶼部性1位で、次いで6000以上の島からなる日本が2位である。
日本は6,852の島で構成される島国。日本の領土はすべて島から成っている。〜
そういえば、と気付くのはなぜ松島が日本三景とされるのか、です。
芭蕉さんは松島に来てやや諧謔的表現で日本人の定型心理を表したのでしょうが、
ああいった多島海景観には、きっとこの国土で過ごしてきた民族の
心象世界を支配するなにかの感情が込められているに違いない。
ながく日本人の歴史の中心であった瀬戸内海。
わたし的には、わが家の家系伝承もあって、ふるさとの揺りかごのような、
そういう心理に大きく満たされてしまう部分がある。
ああいった景観が、深く刷り込まれてきているに相違ないと思うのです。
わたしは母親を三十年以前に亡くしていますが、母が死んだときに想起したのは
「海はひろいな、大きいな」という、たぶん、いちばん初めに憶えた旋律。
あるいは浦島太郎のお話は、いかにも多島海での暮らしが身近な人間に
似つかわしい心象世界を垣間見せてくれる。
東南アジア地域の海洋民族の説話にもまったく同様の伝承がある。
まったく整理できないのですが、
こうした心理の根底にあるものは、間違いなく多島海社会でのものでしょう。
こういう多島海の景観にくるまれて暮らすうちに、
人の生き死に、人生の起承転結がその景観に投影される心理構造ができている。
そんな気がしてなりません。みなさんはいかがでしょうか?
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