三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

経済・軍事の要衝、尾張犬山城

2015年09月12日 06時26分01秒 | 歴史探訪


出張に出ると、やはり疲れがたまります。
1日寝ただけではやはり完全回復はせず、2晩寝てようやく復活感。
新住協の総会と言うことで、関係の深いたくさんのひとと、いっぺんに会える。
こういった会合のすばらしいメリットですが、
一方で、どうしても疲れは溜まり込まざるを得ない。
本日は土曜日なので、仕事関係は小休止で、
見学した古建築から、国宝・犬山城であります。

国宝だということなのですが、
本当は、織田有楽が作った茶室「如庵」のほうを見学したかったのですが、
なかに入れるのは月に1度くらいだそうで、今月は日程が合わなかった。
その日は茶を喫したりして、中に入られるのだそうであります。
もちろん、茶の作法なども身につけておりませんので
その点でもやや気後れ感はいなめないのですが、
まぁ、やむを得ない、ということで、代わりにこちらの国宝を見学。
国宝に指定されたのは、天守という城郭形式の端緒に近い建築という
意味合いが強いのだろうと思われます。
歴史的には、秀吉と家康が戦った小牧長久手の戦いで
秀吉が、小牧山に陣を敷いた家康に対抗して入った城であり、
1枚目の写真で小牧山が正面に対峙していました。
しばし、秀吉側の視点も得られた感を持てた次第であります。
なんですが、やはり城を実際に体験すると、
これは明らかに経済的な要衝の位置に建築されていることが実感できる。
日本有数の穀倉地帯である濃尾平野から、より日本全域への
広域交易可能な伊勢湾に向かっての要衝に立地している。
すぐ下を流れる木曽川の大河は、尾張の大動脈と言って過言ではない。
日々、物資の流通がこの大河を使って集積分散されたことは明白。
その上、東西の陸路・東海道のポイントにもなっている。



いわゆる城下町が開かれていて
その街並みが観光スポットにもなっていますが、
この地の経済的な重要性が端的に理解出来ます。
あんまり調べてはいないのですが、
織田氏という存在は、信長の時代になって「兵農分離」が可能になった。
それまでの軍団編成が農民をかり集めた軍団だったのに対して
専門化した軍団を編成していたとされるのですが、
そのことは、経済力が背景として豊かでなければ不可能。
楽市楽座というかたちで、それまでの商業結社・座の権益を
武力で奪い取って「城下町」に権益を集中させることで、
それが可能になった。
そういった背景的な事実が、この城からは伝わってくる気がしました。
信長を輩出した「織田氏」というものが、
中世を通じて培ってきた経済力の実質が見える形になっている
そんな強い印象を抱いた次第です。



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