三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

ケプロンさんの経歴

2008年06月08日 09時31分08秒 | 歴史探訪

北海道の開拓期については、
北海道内の小学校でも触れられている(ハズ)ですが、
・・・って、いま坊主に確認したら、
「いや、そんなの習ってないよ」
という返事。
わたしが習った小学校低学年歴史教育のスタートは
「地域の歴史」のようなものでしたが、
そういうの、やっていないのでしょうか?

わたしたちのころには、いちばん初めの頃に
この人の名前が登場することになっていました。
北海道の開拓の基本計画を定めた人物として知られています。
大久保利通に連なる薩摩の本流政治家・黒田清隆が
初代の「北海道開拓使」次官(長官は宮様)になったとき、
北海道の開拓方針を諮問すべき人物として目を付けた人物。
当時、アメリカ合衆国の「農務局長」を務めていた。
明治維新政府にしてみれば、当時のアメリカを
ヨーロッパ移民による新開拓地として見ていたので、
当然、日本にとっての北海道をそうしたアナロジーで見ていたなかで、
基本的な開拓策として、北米の体験を輸入しようと考えたものと思えます。

司馬遼太郎さんの数少ない、北海道に関する記述が
「街道を行く」シリーズにあります。
わたしは司馬さんのファンなので、これまであんまり検証せずに
その記述を信用してしまっていたのですが、
どうも、司馬さんの認識違いかも知れない点を発見してしまったところ。
司馬さんの記述にはホーレス・ケプロンを「農務長官」と書いてあるのですが、
どうも、そうではなく、「農務局長」が正しいらしい。
わたしも何回か、講演などで司馬さんの記述に沿って発言したので、
ちょっと冷や汗、というところです。
当時のアメリカの政治・政府組織制度などを確認もしなければならない。
現在の常識で考えると、「農務局長」はいわば官僚機構のトップという響きであって、
大臣・長官という政治家ではないと、認識できる。
ただし、アメリカは現在でも政権が変わると、一気に実務組織トップも替わると言われる。
日本の常識とも違いがあるので、難しい。
というところで、やや袋小路に入ってしまいました。
さてさて、歴史に関する記述の確認って難作業ですね、ふ~。

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