三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

定年後の生き方

2012年12月11日 05時01分31秒 | Weblog


仕事での付き合いが長かったSさん。
この度、めでたく一流企業を定年退職されて、
実家で農業をやっていきます、という楽しいお知らせ。
で、幅広く営業人脈を開拓されていたので、
生産しているお米の販売について、全国各地に販売ルート(?)を自力構築。
いろいろな飲食店なども知り合いが多くて、
直売でさばいていっているようであります。
わたしも、個人の分をお願いしまして、先日30kg相当が届きました。
で、送金したのですが、
郵便局では「振り込み」ができないということを初めて知りました。
銀行業務を郵便局に認めるときの政治的駆け引きで
銀行業界に配慮した結果なのでしょうね。
しかし、面倒なのでやはり銀行から振り込むことにいたいたしました。

いろいろなリタイアメントのかたちがそれぞれにあります。
わたしの年代なので、ことしはとくにそういった話を聞くことが多い。
まぁ、わたし自身は死ぬまでではないまでも、
元気な間は頑張っていきたいと思っていますが、
サラリーマンを選択してきたみなさんにとっては、
やはりこのリタイアは大きな人生の転機。
ただ、高齢化時代を考えると、一概に年齢による退職というのは疑問ですね。
感覚的で申し訳ないのですが、
昔の、60歳以上の年齢人口が極端に少なかった時代とは
まったく時代が変わってきているのですから、
もう少し、弾力的な体制を考えた方がいいのではないか。
どうも年齢って、いまの60歳って昔、というか20~30年前で言えば、
ようやく40~50歳くらいのものではないか。
いまや人生80年時代なのですから、社会システムも変わるべきなのではないか。
自分自身で考えると、たしかに休養は必須で、
1日14~15時間の労働はきついなぁと思うのですが、
それでも、朝は早くパソコンに向かって2時間は仕事してから
事務所に出て、おおむね9時間は働いている。
さすがに朝が早い分、夜はまったくダメで、休養~早寝は必須という生活。
考えてみれば、10時間近くは働いている計算(笑)、ではあります。
まぁ、もう少しペースダウンはしていくでしょうが、
体力的には、自分自分をコントロールしながら働いていく方が、
社会全体として考えても、有意義なのではないかと思えてなりません。

そんななかでは、Sさんは
まことにうらやましい環境条件をお持ちだと思います。
宮城県北部の農家という、しっかりした社会的基盤があり、
健康に留意しさえすれば、労働していけるというのですから、
大変素晴らしい。
大いに第2の人生を有意義に愉しんでいただきたいと祈念しています。

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造作家具の移動~大掃除

2012年12月10日 06時39分28秒 | Weblog



さて、そろそろことしも残り少なくなってきました。
土曜日に坊主から机を交換したい、という申し出があり、
朝一番の雪かきをいっしょに片付けた後、さっそく作業に掛かりました。
なんですが、珍しく雪かき、一生懸命にマジメに取り組んでいて
やや、疲労困憊気味の坊主は、疲れ切ってしまって、
後回しというか、「もういいや」状態。
やむなく、シコシコと父ひとりで取り組み始めた。

わが家は、家具類はほとんど「造作家具」ですので、
移動に便利な既製品の家具はあんまりない。
で、以前事務所兼用の時に造作していた事務用デスクを再利用することに。
これまで姉娘が利用していたデスクにチェンジすることにしたのです。
ただ造作なので大きく固定しているため、外すことから始めなければならない。
そのうえ、ぴったりの家具配置にしているので、
玉突き的に、ほかの配置も換わって行かざるを得ない。
だんだん、プチリフォームの様相を呈するようになって来た。
デスクの上の本棚収納を取り外した頃には
様子につられて、坊主もようやく悟って作業に加わり始める。
ただし、デスクトップだけで本棚はいらないという希望。
娘の部屋は、主が家を離れるようになって6年。
ほぼそのままにしていたのですが、
ついに、こういうきっかけで大改装・大掃除に突入です。
作業のプロセスを書いてもたぶん、まったく理解できないでしょうが(笑)
掛かった時間はおおむね4時間。
まずは大量の紙類の整理整頓。
これは、いるかいらないか、判断しながらの分類であります。
本当は本人がやらなければならないけれど、
逆に本人だとさっぱり進まなくもある(笑)。
まぁ、娘のものを父親が整理するというのは、妥当性もあると思いますね。
しかし、教科書や参考書の類をはじめ、大方は廃棄妥当と判断できる。
なかに本人の写真や記載したもの、および友人からの私信類など、
痕跡の明確なものは、大切なものにきれいに分類。
女の子なので、ぬいぐるみの類はこれも大量に存在する。
これは「捨てるな」と書かれた段ボールも含めて保存することに。
そういった「整理整頓」に続いて、大物の造作家具の分解、再配置。
それにあわせて、ソファやベッドの配置転換。
っていう力仕事は、比重的にはそう大きくもないし、面倒でもない。
むしろ、スカッと変化していくので、一番楽しい作業ですね。
やっぱり、娘の尊厳も考えた整理作業がいちばん気苦労だなぁと実感です。

ということで坊主の部屋には、大きな平面のデスク空間が誕生。
心置きなく、勉強に集中して欲しいなぁ、というのは
さて、叶う夢なのでしょうか(笑)。
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札幌中央卸売市場での買い物

2012年12月09日 06時09分38秒 | Weblog



このところ、市場での買い出しにハマっております。
札幌中央卸売市場にいくワケなんですが、
やっぱり見ているだけでも、わくわく感があって楽しい。
とくに冬場になって来て、鍋料理が恋しくなってきて、
かきをメインにした鍋をたらふく食べたい、というのが
カミさんの希望なんです。
ということで、市場の場内にまで入り込んでいって、
「お、おおお~~」
とか、歓声を上げながら見て回っている。
めぼしいやつを買い込んで来るのですが、
だんだん慣れてきて、様子がわかってくると一層、楽しさが湧いてきます。
お魚は、季節の変化につれて徐々に魚種が変わってくるのですが、
そのなかでも仲買さんの個性を反映するのか、得意領域がおのずと決まるのか、
お店によっても、取り扱い品目がそれぞれ違いがある。
貝類ばかり集めているような店があるかと思うと、
かにが専門で、種類も豊富に満艦飾に飾り立てている店もある。
サケ専門で、見たこともないような大ぶりのを扱っているような店もあれば、
毎日のようにまぐろの解体ショーをやっている店もある。
まぁ、サカナ類のメリーゴーランドツアーのようなんです(笑)。
やっぱりこんな楽しい場所も、めったにはないのではないかと思えます。
とにかく徹底的に胃袋を直撃する。
だんだん、生き物としての人間の本然に目覚めさせられていくんですね(笑)。
あれもうまそうだ、これもサイコーだ!の連続感。
それが毎週毎週、主役のサカナたちの品種が変化していくわけで、
まず、飽きることってないと思われるのです。
しかも、ひと言二言からですが、
サカナの専門家のみなさんから、最新情報も教えていただける。
老後のライフワークとして、こういう情報を全国のみなさんにお知らせするというのも
楽しいかも知れない、などという不埒な妄想も湧いてきております。

帰りには、お店で揚げている薩摩揚げのおいしいお店があって、
そこで1枚88円という大ぶりのあげを購入して
朝食前のおやつで、クルマの中でほおばりながら帰ってくるのが定番コース。
これがたまらなくおいしい!
野菜をなかに入れたヤツが大人気でして、
きのうはタッチの差で、前のお客さんにすべて買い占められてしまっていた。
「う~~~、くやしい~~!」
「えへへ、悪かったな(ニコ)、あ~うまそ!」
っていう会話も、まぁ楽しく行き交っております(笑)。
よし、来週はもう1時間早く出掛けるぞ!!
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イヌも歩けば・・・なんでも起こる

2012年12月08日 06時06分52秒 | Weblog



きのうは、宿泊先の釧路から朝、出発して
前日悪天候で撮影がうまくいかなかった撮影のやり直しに。
それが終われば、札幌まで帰還すればいいや、と気楽に思っていました。
で、スタッフの運転に任せてのんびりと思っていたのですが、
前日の荒天の影響が残っていて、撮影地から国道までの道路状況は最悪。
みぞれ交じりの雪というか、雪が降ってから雨になって
そういう路面がそのまま凍ってしまっている。
しかし、陽が当たっている場所はそこそこ乾いてもいる。
しかし、日影では恐怖のツルツル路面。
それが交互にやってくるような路面状況でありました。
「すごい。こんなの初めてだ!」の連続であります。
冬の北海道、危険はいろいろあるのですが、さすがにこういうのは
スタッフ全員、見たこともないような路面状況であります。
で、国道に復帰後しばらくは順調でしたが、
釧路圏から十勝圏に変わる寸前の、浦幌の手前付近はその路面状況が最悪。
運行中、何台も道路から路外に転落しているクルマが多数。
「げげげ、恐ろしい・・・マジかよ~~」
そうなのに、大型車両はあまり滑らないのをいいことに、
速度を落として走っている車両にプレッシャーを掛けながら追い越したりもしていく。
なんとか十勝圏に入って路面に積雪が安定した状態の地域で、
ようやくにして安定した走行に戻ることが出来ました。
同乗者としてどうしてもハラハラするので、つい言葉に出てしまう。
それが運転するスタッフの緊張感を高めてしまうので、
疲労も倍加させる。そういう意味でもなかなか難しい悪循環であります。
しかし途中、何台も何台も警察や消防の緊急車両も出動していましたので、
きのうの釧路ー帯広間は、「通行止め」寸前ではなかったのではないかと思いました。

で、そうこうしているうちに本日送稿の仕事の校正やり取りが
モバイルのiPhoneだけでは収拾つかないような状況に進展。
やむなく昼食後、途中の最大市街地・帯広でわたしだけ下車して
そこで約2時間ほど、じっくりとパソコンとWifi通信でデスクワークを処理。
ちょうど駅前に「とかちプラザ」という公共的な施設があって、
デスクを使ったりも出来るようになっているのですね。
本当に便利な時代になったものだと実感させられますが、
一方で、どこでも仕事できると言うことで、緊張感は増さざるを得ない。
そんなこんなで、なんとか段取りにメドがついたので
帯広から札幌まで、JRにて帰還しようとチケットを買い求めたら、
なんと、知人の設計者・Mさんとバッタリ遭遇。
聞いたら、仕事の打合せで帯広で2件片付けてきたということ。
その上、わたしもそうだったのですが、休前日で指定席が獲れず、
自由席での乗車切符とのこと。まったく偶然の道連れ道中であります。
まぁ、世間は狭いですね。
で、いろいろ仕事のことなど話し込みつつ乗車していたら、
斜め前方の方の席から、かわいい坊やがこっちをチラチラ見ている。
ちょっと声を掛けると、大喜びでわたしと遊びたがってくる。
こういうのにはまったく無抵抗のように弱い(笑)。
すっかり坊やと仲良くなって、札幌直前まで楽しい孫との道中(笑)。
1歳半だというその子、抱っこまでさせてもらえたのです。
チョーうれしい! 久しぶりの小さい子の触感・・・。
言葉にはならないけれど、いろいろ感情表現豊かで、おかしい。
なんですが、その間もひっきりなしに仕事進行の電話やメールのやり取り。
坊やの笑顔で癒されながら、複雑なやり取りも一方で進行するという
二律背反の世界で、不思議な時間を過ごさせていただいておりました(笑)。
札幌直前の千歳で坊やは下りていったのですが、
もうわたしのことはすぐに忘れていくようで、
握手した後は、後ろもふり返らず、
後ろにお母さんとお兄ちゃんを従えて、さっそうと下りていきました。
男の子は、まことに元気でたくましい(笑)。

で、札幌到着後、事務所で仕事の整理整頓をひとしきり。
聞いたら大きな地震もあったということ。
そういえば列車はあちこちで停車を繰り返していたので、
そういった影響があったのでしょうか?
帰るだけと思っていたのが、多事多難に遭遇して、
大変不可思議な一日を経験させていただいた次第であります。

<写真はやや不明瞭ですがiPhoneで撮影の野生のタンチョウ鶴>
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釧路湿原の美

2012年12月07日 05時57分57秒 | Weblog



きのうは朝早くに札幌を出発し、
荒天のなか、釧路近郊の鶴居までクルーで出張。
久しぶりに北海道内の住宅取材に同行しました。
ある住宅の取材撮影がメインの要件でしたが、
その後、その住宅の構造設計を題材に日本有数の木造架構研究者・増田一眞氏を
囲んでの講演会・学習会が行われ、参加しておりました。

なんですが、久しぶりの釧路出張、
ラムサール条約に登録された世界的な湿原・釧路湿原との再会。
こころが浮き立つような思いが致します。
大好きなんですね。
擦文期の遺跡とされる北斗遺跡から眺望する釧路湿原は、
こころを鷲づかみにされるような美しさなんです。
この湿原の美には、北海道の人たちよりもやはり本州地域のみなさんの方が鋭敏で
よくそのような移住者のみなさんの住宅を取材させていただきます。
住む、ということの価値観の部分で、共有できるモノを感じる。
で、きのう訪れた住宅の建て主さんもそういった方。
大空間を希望され、そのような住宅を建てられたのですが、
そこに飾られていた絵から視線が放せなくなった。
この絵は、釧路に在住の画家・小向昭一さんという方の作品で、
こちらの建て主さんが購入されたモノ。
100号という大作で、わたしは一目見て、釧路湿原の一瞬の美を表現したものと
理解させていただきました。
風景画という具象でありながら、抽象画と言っても通じそうな
空と太陽、雲と湿原、川面が織りなす、
ある一瞬の釧路湿原の放つ光彩が、見事に切り取られている。
空のダイナミックな移ろいと、川面の一瞬の光芒が
見る者の、内的なある部分を刺激してやまない。
しかもそれが100号という大画面いっぱいに叩き付けられていて
圧倒的な迫力を感じる。

こういう美に包まれて暮らしたい、という
建て主さんの思いに、深く共感を覚えます。
その土地で暮らす、ということ、
愛着を持って生きていく、ということの具体的なかたちが見えてきます。
大きな再発見をさせていただいたようで、
建て主さんと楽しく、ため息をつきながら、この絵をじっくりと鑑賞。
ご了解をいただいたので紹介させていただきました。
楽しかったです。
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洞窟と木造の混合・大谷観音

2012年12月06日 04時35分27秒 | Weblog

きのうブログを書いていて、
木造の架構の始まりというか、洞窟住居との対比を考えたのですが
思い起こしていたのが、宇都宮市郊外の大谷観音。
蝦夷の英雄・アテルイを奉ったに違いない「達谷の窟」と同様に
横穴的な洞窟に木造架構が覆い被さっている建築は同様。
創建伝承では、弘法大師空海が出てきていますので、
800年代ではないかと思われます。
そういった時代的なものとしては、同年代だと思います。
この地方の代表的な産物である「大谷石」は
帝国ホテルの建設に使われた素材であり、
フランク・ロイド・ライトが好んで使用した素材として知られるのですが、
石の産出自体は、こういった年代までさかのぼるのですね。
思うのですが、当時の宗教指導者たちというのは、
最新文化である中国の文化を全身で吸収して帰朝する最先端文化導入の体現者。
さまざまの「文化」や「技術」の指導者という側面が大きかったのではないか。
大谷石という素材を切り出して造形や建築に使うという
そういった建築文化を含めて、空海さんたちが各地で「指導」したのではないか。
東北各地で慈覚大師・円仁さんの開基になるという寺院が多いけれど、
それは、当時の国家最高水準の「文化指導者」が
各地の国司や郡司といった地域有力者の勧請で、
「地域興し」的な活動を行ったことの痕跡として残されているのではないか。
空海さんは各地に88箇所を勧進して歩いているし、
円仁さんは関東から東北各地にその足跡伝承が残っている。
海を渡って北海道の有珠・善光寺にまで足跡が伝えられている。


<上の写真は、達谷の窟>

そんな想像力が沸き上がってくるのですが、
そうしたことから、石を使った造形のシンボルとして
石造の観音像などが今日にまで残される結果になっていくのではないか。
その全体としての文化の伝播の象徴として、寺院建築が遺されていく結果になる。
どうもそんな気がしてなりません。
で、ここでは「達谷の窟」とは違って、
そういう石の造形技術をこの地に残すというのが
この寺院建築の目的だったと思われる。
写真撮影禁止のご本尊は千手観音なのですが、
細かい石への造形技術の見本のように感じられる次第です。
達谷の窟が、けっこう呪術的な感じだったのに比較すると
やや、ユーモラスな造形感覚も感じられた観音さまでした。
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木の架構の美しさ

2012年12月05日 06時22分51秒 | Weblog



縄文、あるいはそれ以前の旧石器時代、もっと前からか、
人間は、洞窟のような定住的な場所から、
もうちょっと移動可能な住居として、木による架構の建物を作ってきた。
いつの頃からか、というのは定かではない部分がある。
坂上田村麻呂が征伐した蝦夷の英雄・アテルイが本拠としたのは
現在、「達谷の窟」と呼ばれている場所らしい。
そこには現在、坂上田村麻呂建立になると伝えられている寺があり、
まるで、その洞窟住居を覆い隠すように木造建築が建てられている。
洞窟に突き刺さるように造作されている珍しい建築。
で、そのような洞窟をアテルイが使っていたとすれば、
竪穴住居と、洞窟住居は並列的に使用されていたのかと思われる。
かれが活躍していたのは、800年代なので、
木造架構に完全に移行していったのは、それ以降なのかも知れない。

写真は、宇都宮郊外の縄文遺跡再現建築。
三内丸山とそれほど差がない大きさの大型建築です。
再現にあたっては考古学的・建築的検討が
十分に為されて復元されているのでしょうから、
おおむねこういった空間が存在したことは間違いがない。
建築自体は、このような大きさが社会的に要請され、
その用途も必要性があって、このような建築仕様になっているのでしょう。
なんですが、今日に生きるわたしが見ても、
この架構の美しさには惚れ惚れとする。
規格的に空間を切り取ろうとする意志の強さを感じるし、
その目的のために動員される素材たちの規則的な配列、
その端部が個性豊かにさまざまな表情を持っている、という
自然素材の持つ美感、質感が十分に活かされている。
きっとこの建築の創建年代でも、
用を離れても、その美しさに惹かれた人たちはきっと多かったに違いない。
現代人は、移動手段まで含めて人工的空間でその人生の90%以上を過ごす。
切り取られた空間の中での生存が大半なわけですが、
こういった空間美は、それこそDNA的に刷り込まされている。

ひとがやすらぎを得る、ということの
本質的な部分って、やはりこういう空間性が大きい。
土間だったので、そこに寝転がったりは出来なかったのですが、
ワラでも敷き込んで、のんびりと1日の陽の光の周りようを体験したい、
そんな気分が強く襲ってきた場所でした。
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大谷君と日本ハムとの交渉

2012年12月04日 06時34分19秒 | Weblog


きのう、日ハムがドラフトで1位指名した大谷翔平投手と
栗山監督も交えての交渉を行ったそうです。
大リーグに行きたい、という強い希望を持っていて
ドラフト直前に「指名しないで」宣言をしたのですが、
わがチームは堂々と事前に公表の上、敢然と指名に踏み切りました。
ドラフト1位は昨年も菅野選手に行って、あえなく玉砕したのですが、
「その年のいちばんいい選手に」という基本方針は曲げず、
ことしも王道を行ったわけですね。
で、そこから徐々に交渉を積み重ねていって、
詳細な大リーグ挑戦のためのレポートも渡した。
このレポートって、なかなかスカウトさんたちの渾身の一発だったと思う。
冷静に、高校卒業の若者の視点に立って、
メリット・デメリットを分析してあげたものなのだと推測できる。
そのレポート以降、大谷君側の対応が目立って変化してきたと思う。
大人としての、お父さんにとくに効果があったモノと思われる。
息子の将来を考えるためのポイントがハッキリ明示されたのだと思うのです。
そしてそのことは、息子さんにも明確に冷静に理解できたのではないかと。
そこから、言わば、「振り上げた拳」を
どのように、常識ある人間として、周囲に配慮しながら降ろしていくか、
18歳の少年が人生でいちばん巨大な難問に直面しているのではないか。
自分の素朴な思いと、それに振り回されてきた大リーグ側の人たちの顔が
思い起こされて、懊悩しているのではないかと思う。

しかし、ことは野球版ではあるけれど、
TPPが事実上、こういう形を取って日本社会に見えてきているのではないか。
確かに厳しい競争にすぐに参加して
そこから這い上がっていくパイオニアのような存在になりたい、
という心情も理解できなくはない。
しかし、それは巨大な貧富の差のなかで、そのことを承諾した上で
いわば、貧しくなる自由も自覚した上で、巨万の富を得ようとする
アメリカンドリームを、世界に強制しようということと同義だ。
巨大な貧富の格差社会。
そして、それを「世界標準」という言葉でいいくるめるのだ。
社会システムとして、わたしたち日本社会はこういう社会に自ら進んでなるのか、
あるいは、相対的な自立性を保っていくのか、
どうもこの顛末には、そんなサイドストーリーが存在しているように感じています。
そんなことも含めて、強く願っています。
頑張れ北海道日本ハムファイターズ!

<写真はまったく無関係(笑)、白河のお城~震災で石垣崩落した>
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ドングリ

2012年12月03日 05時22分19秒 | Weblog



ドングリは、ことしは大豊作なんだそうです。
ということなので、ヒグマは一部地域を除いてあんまり人里には出てこなかった。
わたしたちは、今日、食用としては利用しませんが、
歴史的には、このドングリはDNAに刷り込まれるほど食べてきた。
Wikipediaを見てみると

~縄文時代においては渋抜きをして食用にしていたと考えられている。
その後も飢饉や太平洋戦争直後の食糧難時代によく利用されたのみならず、
米の栽培困難な東北山村などいくつかの地域では、
大正期あたりまで主食格の食品として重要であった。
ドングリの渋抜きの方法としては、流水に数日さらす方法と、煮沸による方法がある。
特に煮沸の場合、木灰汁を用いることがある。
日本においては、前者は主に西日本から広がる照葉樹林帯の地域で、
後者は東北地方や信州に広がる落葉広葉樹林帯で認められる。
また、渋みの少ない種の場合は、から煎りでもあく抜きになる。
北海道のアイヌ民族はドングリを「ニセウ」と呼んでいた。
秋にトゥンニ(ミズナラ)やコムニ(カシワ)の実を拾い集め、
何度もゆでこぼしてアクを抜いたものを
シト(団子)やラタシケプ(煮物)に加工して食べた。
北上山地の山村では、ナラ(ミズナラ)の実を粉砕して皮を除き、
湯、木灰汁などを用いて渋抜きした「シタミ粉」と呼ばれるものが作られていた。
シタミ粉は通常湯で戻し、粥状にして食べた。
長野県木曽地方等では、地域興しの一環としてドングリコーヒーを提供しているほか、
パンやクッキー等の材料としても用いられている。
熊本では、カシ類(イチイガシ)の実から採取したデンプンで作る、
「イチゴンニャク」や「カシノキドーフ」、あるいはシイの実を用いた
「シイゴンニャク」といった葛餅状の食品が知られている。
韓国では、ドングリ(韓国語で「トトリ(도토리)」)から採取したデンプンを、
「ムク(묵)」と呼ばれる葛餅ないしういろう状の食べ物にする。
元々は食料が不足していた時代や、飢饉の年に食べられた救荒食料だが、
一部の地方で受け継がれ、最近では健康食品として見直されたことにより、
大量生産されて市場に流通している。大衆食堂で副食として出されることが多いが、
最近ではクッパのように飯と一緒にスープに入れた
「トトリムク・パプ」が一品料理にもなっている。
また、以前は、皮を剥いてから、水さらしと加熱によって渋抜きをした
ドングリの実を用い、米と炊いたドングリ飯、また粉を用いたドングリ餅、
ドングリ粥、ドングリうどん、ドングリ水団なども作られていたようである。
縄文時代の遺跡からドングリが出土することがあり、
稲作以前にも日本に農耕文化があったことが示唆されている。~

あぁ、本日のブログはおおむね転記で終了かなぁ(笑)。
とくにブナの森が旺盛な日本列島では、
歴史的にひとびとが食べ続けて命を繋いできたのは間違いがない。
そうであるのに、今日、ほとんど食べられることがないのは、
ややもったいないように思われる。
もちろん、人間は栽培植物を食べて、こうした野生の食品は
列島に生息する野生動物たちが食べ続けていくのが自然な流れなんだろうけれど、
どうも最近の政治・経済の動向を見ていると、
弱肉強食型の金融資本主義、主にアメリカ資本家階級のやりたい放題が
極まっていって、いったんは経済が破綻するのではないかと思われてならない。
そんな時代が来ないとも限らない危機感がある。
どうもTPPというのには、そういう危うさがあるように思う。
そうしたときに、この国にいま豊富に存在する「食べられるもの」を
サバイバル的に考えておくことは必要なのではないかと思うのです。
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この冬初めての本格的降雪

2012年12月02日 06時31分31秒 | Weblog


昨日寝る頃からずっと降っていた雪、
本日早朝に見たら、ごらんのような状態になっておりまして、
ハイ、これにて北海道はハッキリ真冬突入であります。
先日は室蘭市周辺地域で突風・吹雪による送電線鉄塔の倒壊があって
停電になってしまいましたが、これから真冬での節電も始まるのでしょうか?
現実的に北海道では、蓄熱式暖房器の設置家庭も多いので、
これからどういうことが生起してくるか、
やや、予断を許さないところがあります。
国の大きな進路として、やむを得ない選択ということもあると思いますが、
節電が、ひとびとの基本的な生活に影響を及ぼさないように
対策は十分に考えていくことは、絶対に必要だと思います。

さて、このような積雪になって参りましたので、
本日から、自宅と事務所の除雪対策、ふたたび発動であります(汗)。
まぁ当面は健康対策も考えて、汗を流し続けるのはいいことなんですが、
しかし、徐々に体力は衰えてくるわけで、
自分の体力と労働時間の内の除雪による体力消耗、本来業務とのバランス、
よく管理コントロールしていかなければなりません。
そのように考えていくと、除雪機などの導入も検討していくべきなのか、
なかなかに悩みどころであります。
イニシャルコストもさりながら、こういう除雪機って
メンテナンスに手間とコストも掛かる。
あれこれ検討を始めなければならないのに、
まぁ、大体が雪が降ってからしか考えないのですね(笑)。
で、こういう状況になってしまうと、
もうすでに除雪機は購入不能になっているケースが多い。
ということでまた来年以降の課題になってしまうのであります。
なにやら、トリ頭のそしりを免れませんね。
でもお隣ご近所でも、けっこうな高齢のみなさんが
冬のたしなみ、とでも言えるように
悠然・自然に、除雪に人力で立ち向かわれている。
やはりそのように今シーズンも
立ち向かって行くべきだと思い定めております。
さぁて、頑張らなくっちゃなぁ・・・。
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