三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

宮城県石巻市北上小学校へ

2013年05月21日 05時23分15秒 | Weblog



きのうは、Replan北海道25周年・通算100号を記念した
被災地への支援活動として、「スマイルプロジェクト」での作品送呈のために
宮城県石巻市北上小学校へ行って参りました。
このスマイルプロジェクトとは、



目的
私たちが1人でできることは限られていますが、100人の想いを合わせれば、それは大きな大きな力になります。そして、言葉の力、アートのパワーは、人を癒し、元気づけ、笑顔にしてくれると信じています。3校が統合して、新しい小学校へ生まれ変わる宮城県石巻市の新・北上小学校。スマイルプロジェクトはみなさんからのメッセージと参加費をもとに、言葉を使ったアートの力で支援することを目的にしています。
内容
Replan北海道創刊100号を迎えるにあたり、NPO住宅110番とReplan北海道はsachi&Akiコーポレーションが取り組んでいる「スマイルプロジェクト」に賛同。被災地の子どもたちに向けておくる100人分の応援メッセージと参加費を募集します。
一人ひとりに小さなお花を持ち寄っていただくように皆さんの言葉を集めて、カラフルな色彩で一枚の絵に仕上げます。緑は大地の色、青は海の色、ピンクはお花の色、黄色は光、オレンジは活気ある町を表現。被災地に、応援したいみなさんの言葉と心と、綺麗な色を届けます。

という取り組みでした。
モノでの支援の段階から、徐々にこころの支援の段階へ、
そんな願いから、被災地のこどもたちに美しい色彩と、
多くの北海道のひとたちのこころのこもった言葉で
作り上げられたアート作品を贈呈したかったのです。
幸い、宮城県の建築家・佐々木文彦さんの協力が得られて
こちらの3校が統合して新設された小学校に
このアート作品をお届けし、受け取っていただけたのです。
みなさんのお気持ちを受け代表して、
作家の田中さんとともにこどもさんの代表に手渡せました。
ちょうど校庭で今週土曜日に予定されている運動会の練習中の時間を割いて、
セレモニー的に受け入れていただけたこと、
ありがたくて、言葉もありませんでした。
やはり被災後の復興の一番の力はこどもたちの明るい笑顔ではないでしょうか。
子どもたちが元気であれば、それを見守る親たちもがんばれる。
そういう小さなことが地域に希望の力を生み出す。
子どもが生まれたり、育ったりすること。
ごく当たり前の力に、実際に触れて、本当に実感します。
校長先生に伺うと、実にさまざまな家庭事情をもった子どもたちが多いということ。
それでも、運動会練習に取り組む姿は神々しい。
こういう時間をいただけたことに深く感謝したいと思います。
ありがとうございました。

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北海道の省エネ住宅なう。その2

2013年05月20日 06時34分13秒 | Weblog

きのうの続きであります。
引き続いて向かったのは、北海道のQ1.0運動の中心的存在の
武部建設さんの住宅見学であります。
建築途上の住宅と、ごく近くには3年前に建設された「アースチューブ」埋設住宅もあって
2件を見学いたしました。
上の写真は、このアースチューブ空気取り込み口の風量測定中の前真之先生です。
こちらの建物はごく普通の第3種換気の採用ですが、
でありながら、たいへん大きな風量が確保されているということ。
武部さんでは、上下階を貫通する気道が住宅縁辺で数カ所確保されていて
それが役立っているのではないかという推測でした。
しかし、こういう風力計などの測定機器が手品のように登場してくる(笑)。
どうも弁慶の七つ道具のようで、
このほかにもコンパクトデジカメタイプの赤外線カメラなど、
研究者としての必要不可欠な機器を常に持参しているようですね。
またまだ若いので、床下点検口などでは、ガバッと、
身軽にどんどん入っていったりする。
研究への態度、まことに真摯だなぁと気付かされます。



さて続いて、こっちはグラスウール300mm断熱の建築中現場。
建築中で、この見学日程が組まれた1カ月ほど前には、
「ああ。あそこ、ちょうどいいはずだわ」ということだったのですが、
ご存知のように、今年の北海道は冬が長く居座り、
雪もなかなか消えていかなかったので、
全般的に工事は遅れ気味。
こちらの現場もご多分にもれず、まだ断熱工事までは遠い状況。
というようなことで困っていたら、
なんと、一部だけ300mm断熱をモデル的に施工してくれることに。
システム的に作業手順がもっとも合理的なように考えた納まりを見せてくれました。
充填する壁の100mmの外側に防湿シートを貼り、
外側に200mmグラスウールを付加断熱している。ちょうど1:2になることで、
熱環境的に、きわめて有効な納まりになる。
また、防湿層が構造材充填の100mmの外側に配置されることで
内部での電気配線工事などが格段にやりやすくなる。
付加断熱のグラスウールを保持するための木枠の構成も、
合理的な施工方法が工夫されている。
まぁ、いろいろなノウハウが詰め込まれていましたが、
とくに先生が着目したのは、やはり暖房設備にエアコンを考えている点。
ここでは床下とも言い切れない微妙な位置に納められるのですが、
外壁・屋根、基礎や床下の土間の断熱仕様と合わせて、
いったいどのような温熱環境的ふるまいを見せるか、
先生もきわめて興味津々になっておりまして、
ぜひ温度取りの設置など、調査研究対象としたい、という話の展開に。
ここでも換気、室内気候のコントロールのためのいろいろな工夫が行われており、
そういった実験性にも、強い興味を持たれたようでした。
どちらも最先端に近い施工実践者と、研究者。
話もなかなか尽きずに、次々と展開していって面白い。
新住協は、こういう現場的な創意工夫が数限りなく実践され検証されてきたことが、
最大の組織的な成果なのだったと思いますが、
そういう意味でも、なかなか興味深い取材同行でした。

で、先生一行が千歳へ向かわれた後、
武部さんと、やや遅れた昼食のラーメンを食べながら、
なぜか、還暦祝いとかの「Kバッチ」(還暦の頭文字K)を夫婦ふたり分
ボランティアで購入させられました。(計2000円也)
~わたしは去年だったのですが、特段御祓いしなかったので、ま、いっか~
ことしも頑張っている川俣正さんの三笠プロジェクトへの支援です。
でも、わたしもこういう支援活動というか、芸術活動、大好きであります(笑)。
喜んで購入させていただきました。
あ、わたしが2コ購入したら、残りは1コになっていまして
この最後の1コ、気になりました。
地元、市来知(いちきしり)神社の神官渾身の祈祷が込められている。
その「残り物」であります。
たいへん御利益たっぷりそうでありました(笑)。
ただ、わたしはカミさんに持っていったら、案の定、ブーイング。
かと思いきや、そこはできたカミさんで、
いつでもつけられるように神棚に上げて置きましょう、というご託宣(笑)でした。
わが家にも、多少の御利益を期待したいと思います。
ちなみに市来知(いちきしり)神社って、
わたしの母親の生まれ故郷のすぐ近くなんですね。
大切にありがたく、使わせていただきたいと思います。

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北海道の省エネ住宅なう。その1

2013年05月19日 06時57分07秒 | Weblog



さて、連休中からの東大工学部講義プレゼンデータ作成、講義、
さらにその交流相手先である
東大工学部・前真之准教授の来道、講演取材と一連の流れがあって、
通常の仕事も進行するし、ほかにもどっさりの課題があるのですが、
とりあえず、日々対応していくという毎日が続いておりました。
で、きのうはその締めくくりのように、北海道の先端的住宅事例2例に先生をご案内。
本日ご紹介する1件は建築家・山本亜耕さんの最新住宅。
こちらは写真のような住宅で、南面大開口によるパッシブな受熱、採光を図りながら、
同時に日射遮蔽をどう実現するのか、
また、外部からの視線制御をどうするのか、
さらには、基本的な断熱仕様では、グラスウール300mm断熱、
換気については、パッシブ換気と熱交換換気を両方実装して
同じ暮らし方で年ごとに交換してその効率と実効性を検証しようという住宅です。
まぁ、まことに盛りだくさんの試みを行っている建物ですが、
札幌版次世代住宅にエントリーしたけれど、
不採択になってしまって、これでも性能仕様はダウングレードしたのだそうです。
まぁ、この札幌版次世代については、
トップランナー基準がQ値で0.5というレベルになっていて、
現実的には窓の性能進化が著しく遅れている日本では
現状ではコスト的な制約が大きすぎる嫌いはある。
要求された性能を実現するには、開口部を極小化させるしか、
コスト的には方向がなくなるのですね。
ドイツや北欧では、窓メーカーの競争も激しく、格段にコストも下がっていて、
いわば「透明な断熱材」というようなレベル目前になっている。
この建物ではQ値で0.7に下げているのですが、
かかるコストアップに比較すると生活実感的には、意味があるとも思われません。
まぁしかし、自治体公共がそのような発表をしたことで、
日本の窓メーカーが、ある程度開発に本腰になった、という話は側聞するので
大きな意味はあったとは思いますが・・・。
この住宅での設備的な取り組みは別として、
一番面白かったのは、この南面大開口です。
で、結局日射遮蔽とかを考えていくと、京町家の伝統デザインである
タテ格子がもっとも合理的という気付きに繋がり、
その配置密度によって、それぞれの建築環境要素を実現していました。
採光から、外部視線遮断、日射遮蔽まで、
格子というのは、「木漏れ陽」という自然の見事な回答を
人工的に実現させるものなんだなぁと、改めて実感させてくれます。

前先生にも、北海道での取り組みの現在位置を
実感していただけたかなぁと思われた次第です。
さて、つぎに・・・。
<その2は明日公開します。>
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東大・前真之准教授の講演

2013年05月18日 06時34分00秒 | Weblog



きのうは朝から、先日講義をさせていただいた東大工学部の
前真之准教授が、わたしどもの事務所に来社されました。
おとといは旭川で北総研の研究発表会があり、
それへの参加と合わせ、ある業界団体で講演されることになって来道されたもの。
最近お付き合いが頻繁になって来た次第ですが、
やはり国の「住宅設備機器選択技術」についての最先端的な研究者なので
実に興味深いお話を展開されていました。
2時間ほどの講演なんですが、
スライドが500枚ほど用意されていると言うこと。
その講演に先立って、わたしどもの事務所を訪ねていただけた次第。
さすがに工学部、それも住宅建築の研究者らしく、
事務所に入ってこられても、全然椅子に座らないで、
あちこち、興味深そうに見入られ、写真もけっこう撮られている。
まぁ、ローコストに作っている事務所なので、
そんなに見どころがあるわけではないのですが、
先生が興味を持たれるツボは、一般人には計り知れない部分もあるので
どうぞご自由に、と思っておりましたが、
それからほんの2時間後、それも昼食時間を挟んでですので、
正味が1時間もない時間なのに、先生の講演が始まったら、
なんと、そのわたしの事務所での様子が、バンバンと講演スライドに登場する(笑)。
さすがに先生らしく、そのスライドも「設備機器」に照準が定められている。
存分にネタとしてわかりやすく料理されていくので
本来冷や汗もののこちらも笑わされて、やがて納得させられました次第。
まぁ、最初に
「このプレゼンで扱っている個人のみなさんを誹謗中傷する意図はありません」
という言葉が流れていたので、脱帽せざるを得ません。
才気煥発なユーモア交じりの講演内容には、深く納得させられました。
しかし、その後、懇親会の席もあったので、
先生からの善意に満ちたエールに、敵わぬまでも少しはお返しさせていただきました(笑)。

なんですが、これまで断熱の先進地と言うことで
本州地域から北海道に来られる建築環境の先生たちも、
やや抑えたトーンの発言の方が多かったと思うのですが、
先生のお話はまことに明解・痛快に北海道に直言されていると感じました。
中央と地方、見方にも違いがある中で、
本音に近く意見を交わし合えるという意味で、
同席した北海道の住宅技術研究・実践者のみなさんと
この直言にどのようにお応えしていくべきか、
考えていきたい、応えていきたいと思わされた次第であります。

さて本日はまた、先生に札幌周辺の先端的な住宅の見学をご案内します。
写真撮影には十分に注意して、注視していきたいと思います(笑)。


<写真は記事とは無関係の江戸時代の江戸一円古地図です>


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博物館の魅力

2013年05月17日 05時23分29秒 | Weblog



わたし、上野の国立博物館が大好きであります。
大体、特別催事はチェックしていまして、
これは、と思える企画については見学を欠かしておりません。
まぁ密かな趣味生活、というか、
生きていく上で欠かせない知的エッセンスを受け取る機会だと思っております。
できれば札幌に移転して欲しいと思っていますが(笑)、
まぁこういう施設が東京にあるのは、やむを得ないでしょうね。
定期的に東京の空気を吸っておく、ということも
現代の経営者としては必須だとも思っているので、
いい趣味ではないかとも思っている次第(笑)。

日本人は、真善美という価値観の中で、長く、というか明治以来、
美術がもっとも価値が高いというように信じてきたように思います。
なんといっても西洋美術が最高の「芸術表現」であるという刷り込みが
一貫して為されてきた。
博物館と言うよりも、やはり美術館という志向性が高かったと思います。
しかし、当然ですが美術というのは、人間が行ってきた営為のごく一部にすぎない。
美術だけではなく、もっと幅広い活動が人間の本然である、
という意味では、やはり博物館の方が幅広く感受性を刺激してくれる。
博物という概念は、非常に幅広く人間活動の全域にわたっていくので、
より自由に、知的好奇心が躍動する感じがある。
わたしは、ある種のジャーナリズムが職業であるので、
そういう意味では、空間ではなく、
時間を超えた「取材活動」ともいえるのだと思っています。
で、博物館という施設の展示企画を検討するみなさんの仕事って
まことに面白そうだなと思う次第です。
まぁ、こういうのは一種の「波長」のようなもので、
わたしの場合、上野の博物館とは知的好奇心が合っているなと、思う次第。
今回の「大神社展」は、出雲や伊勢という神社での
「式年遷宮」という年に当たっていることが契機になっているそうですが、
まことにタイミングもいいと思いました。
ただし、出雲の協力は得られていないのかも知れません。
出雲はその成立からして、大和朝廷とは違う出自を感じさせ、
いまでも、皇室が訪れても本殿には入れないのだと聞きました。
神社というと、国粋主義的な戦前的価値観がクローズアップされがちですが、
むしろ出雲も含めた広がりで考えると、
その民族としての精神的資産価値はまことに深く面白い。
日本には、世界宗教の受容としての仏教文化がありますが、
こちらも、何度もその文化が権力側から全否定されてきて歴史的継続性が薄い
中国などと比較して、むしろ本家に近いような宗教文化になっている。
そして、それとはまったく別にながく民族の尊崇を集め続けた
この神社文化って、やはり日本であることのなにごとかを表していると思います。
そういう意味でも、まさに「博物」ということにふさわしい。
すばらしい展示企画だったと思います。
そして見学しながらときどき、まわりの会話を側聞するのも楽しい。
今回は、相当にお金持ちと思われる女性たちのふとした会話で
仰天するような趣味生活の私的な企画の相談がされていることを
小耳にはさんだりしました。
すごい、自由で広大無辺なひとびともいるなぁという驚きも得られます(笑)。
いろいろな意味で、国立博物館って、面白いですよ。
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郷に入らば、沖縄そば

2013年05月16日 06時36分15秒 | Weblog



沖縄は、今回久しぶりでした。
たぶん、かれこれ7年ぶりくらいでしょうか?
なのですが、やっぱりあの蒸暑と人情に触れると
独特の心情が沸き起こってきます。
ひとは、その土地に対していろいろな感じ方があると思うのですが、
わたしの場合は、その地域の土がその地域の気候条件の中で空気中に放散される
「匂い」が、まず心情を揺さぶってきます。
東京も、8年以上過ごしていたので、
それぞれの季節感の中での土地の香りが、すぐに感覚を刺激してくる。
沖縄はそこまでは感覚が鋭敏にはならないけれど、
それでも
「あ、この感じだよなぁ」と、沖縄に入った実感がある。
で、そうした空気感に触れると即座に
ビールはオリオンが欲しくなるし、
麺類は、なんといっても沖縄そばを食べたくなる。
滞在4日間だったのですが、ほとんど毎日食べておりました(笑)。
あ、一回はソーキそばでした。
でもまぁ、同じですよね。

沖縄そばは、なんといってもつゆのうまさでしょうか。
比較的、食べ応えのある麺と
軽さのあるつゆのコンビネーションがいいですね。
麺は、やはり食感が独特。
この食感が沖縄そばならでは、というところなんでしょう。
で、今回は名護周辺の名店でも食べてみたのですが、
そこではソーキそばだった次第。
これらの食べ合わせの豚肉料理、写真では3枚肉なんですが、
これも、やはり独特の旨みと食感で胃袋を攻めてくる。
とくにそのソーキは、格別の旨みがあったし、
口中でまるで、牛肉のような肉の別れ方を見せていて、
思わずビックリもさせられました。
やはり土地の味は、その場所に似合っているなにものかがあって
その部分を賞味し、こころに染みわたってくるのでしょうね。
ただ、いつもいる場所では、
いろいろな食品への興味が湧いてくることも多い。
やはり旅人として、トラベラーズハイのなかである刺激に浸っていたい、
というような心情が、襲ってくるものなのでしょう。
沖縄を離れると、沖縄そばを食べてみたいという気分はまず起きない。
人間の食感って、不思議なものだと思います。

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戦国末期のAKB48

2013年05月15日 04時56分23秒 | Weblog



先日観てきた、国立博物館「大神社展」に展示されていた
豊国社に遺された屏風絵の抜粋画、というか一画面。
あまりの見事さに驚嘆してしまいました。
戦国末期・秀吉の死後、祀られた豊国神社での祭礼時のにぎわいを描いたもの。
これは「風流踊り」とも「浮流踊り」とも名付けられた様子を描いている。
この時代には、出雲の阿国による「ややこ踊り」など、
女性による芸能が広く展開していた。
その後、江戸幕府によって
阿国さんが創始したとされる、女性による「かぶき」芸能が禁止されるようになるのは、
なにごとかを表しているのかも知れませんね。
そこから男性だけが出演を許される「歌舞伎」が成立していくようになり、
女形というような芸能領域が出現する。
出雲の阿国さんのことを知りたいと思っても、
なかなか記述された記録には表れてこないようです。
一説では、性倒錯的な筋書きで、
男装した阿国さんが女装した茶屋芸者さん役の男性役者と
「茶屋遊び」するシーンがある舞台が
「定番」演目になっていた、と伝わっています。
まことに人間の本質に根ざしているともいえます。
想像ですが、たぶんこれらの女性芸能は、
大寺社や、権力機関の女性による管掌機構・大奥などが
庇護し監理していたのではないかと思っています。
この豊国社での祭礼も、淀君などの女性による権力機構が、
祭礼の華やぎ演出のために監理して
動員された芸能者グループが存在したのではないか。
まぁいわば、戦国AKB48のような華やかな意匠をまとった女性たちの
コーラスダンスのような催事が行われていたと想像するのですね(笑)。
この時代の美意識は、茶室であるとか、
絵画などでも、まっすぐに現代に繋がってくるものが感じられるのですが、
このようなきらびやかな描写に出くわすと、
そこに展開したであろう情景の空気感のようなものが
直接的に伝わってくる感じがあります。
若い女性たちによるコーラスときらびやかな色彩の衣装による
幻惑的な陶酔感を誘うダンスが生気を持って香り立ってくる。
日本女性の美しさのある普遍的表現には違いないと思い至らされます。

文献記録では表現されていない
こういった部分までがわかりやすく伝わってくる絵画表現の力。
それが歴史であるのか、芸術であるのか
まことに境目のない表現物の開示が、博物館展示の魅力なのだと思います。
建築もいわゆるデザインと機能性の間をゆれ動いていると思うのですが、
人間が取り組んでいくものって、
結局そのような揺れ動きの中に、一瞬放たれてくる光芒のような部分が
その本質を伝えてくれるのではないかと思われてなりませんね。

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寒さに震える開花

2013年05月14日 18時26分14秒 | Weblog



さてすっかりブログの更新時間が遅れました。
きのう、沖縄から札幌まで帰って来て、
その後、いろいろな整理整頓作業があって、その上、来客もあって、
なかなか時間が取れませんでした。
さすがに5日間札幌を離れ、東京・沖縄と歩いていた感覚からすると
札幌との気候格差に愕然と致しますね。
沖縄では新たな発見で、沖縄に自生している植物、木のお話を伺っていて
どうも本土とは、樹種が違うし、種類も聞いたことがない木が多いなぁという
そういう漠然とした印象だったのですが、
これも、沖縄には明確な四季変化がなく、年輪ができないのだと聞かされて
今更ながら、驚愕させられたりしておりました。
そうなんですね。
で、やたり樹種が多くて、
紅葉もしないのだとか、まぁ当たり前のようなことを知らされる。
だから、広葉樹か針葉樹か、という
わたしたち北海道を含めた本土の人が持つ木への感覚が通じない。
広葉樹が年中、緑を絶やさないのですね。
まぁ、言われてみれば当然なのですが・・・。

で、札幌に一気に帰ってくると、
その彼我の違いに、これも圧倒される思いが致します。
極彩色とまでは言わないけれど、
豊かな緑と、花の色のグラデーションの世界が
一気にくすんだ色合いの世界になる。
飛行機に乗る前に購入した「さんぴん茶」の味も
こころなしか、淡泊に感じられてくるほどです。
でもまぁ、ようやくにして、サクラは開花したようです。
しかし、遅れたせいで、花と葉がいっしょになってしまっています。
曇りがちで、しかもまだ肌寒い気候もあって、
サクラの色合いも、全体として輝きが感じられない。
そんななか、もう雪解けから1ヶ月半ほど経って、
ようやく庭の花が開花いたしました。
このブログでも芽吹きだした頃に写真掲載しましたが、
ようやく開花であります。
北国の遅すぎる春に、なんともため息の出るような気分でいます。
せめて、ここまで遅れたのなら、
もっと美しい姿を見たかったサクラであります。
でも、こんなことを言っていたら、罰があたるかなぁ・・・。
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沖縄中城・中村家住宅

2013年05月13日 06時37分41秒 | Weblog



故あって、沖縄に来ております。
で、やはり住宅は基本的な興味分野と言うことで
もう何回も訪れているのですが、
沖縄中部の中城の旧家・中村家住宅を今回は2度訪れました。
何回観ても、その知恵の奥深さに圧倒される思いが強まる次第なのです。
しかも今回は、関西大学・環境都市工学部・建築学科による
住まいの温熱環境調査に基づく「中村家住宅のひみつ」というレポートも
手にすることが出来て、その最新の「住宅性能解剖」結果も
知ることが出来たのであります。
わたしは寒冷地・北海道東北での「住宅性能」の目、という
「科学する」視点というのが基本フィールドですが、
この蒸暑気候・沖縄での住宅にも同様のアプローチが試みられて
その最新知見が、この3月23日に発行出版されていたのです。
蒸暑地域気候条件下で、伝統的な住居はどのような
温熱環境的なふるまいを見せ、その具体的な手法はどうであるのか、
まことに興味の尽きない研究アプローチでして、
その労を多としたいと思います。
まぁ、そういう具体的な部分については、じっくりと読んでみてからとしたいのですが、
まことに「性能とデザイン」の精華を見せられる思いであります。
地域に生きて、その気候風土を読み取っていく中で
しかも伝統的な素材だけを使って、
パッシブに「住みごこちの良さ」を実現しているのです。

そして、独立王朝を持つ地域としての
本土社会や中国との建築的なコミュニケーションもかいま見えます。
家の作りようの基本は、畳による床が特徴的な
日本文化を感じさせますが、一方で
風水という、東アジアに広がった「環境解析技術手法」も
建築計画の下敷きに、しっかりと存在しています。
しかしながら、それがまた、中国からの輸入知識そのままではなく、
やはり日本的なアレンジが施されていて、
たとえば、建物配置などでは、中国的な定規で測ったような規格ではなく
やや融通無碍ともいえるような部分が見られます。
規格形・対称性重視から、やや不定形・非対称嗜好を感じさせられます。
やはり感受性の部分では、日本的といえると思います。
しかし、日射制御・熱環境コントロール手法については
まさに沖縄らしい独自の知恵がたっぷりと凝縮されています。
それが、みごとな意匠性をまとって、
強いエスニシティをもって訴えかけてきます。
素晴らしい、ほんとうにすごい迫力を感じさせられました。
中村家住宅、大好きであります(笑)。
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司馬遼太郎の日本北方住宅論

2013年05月12日 06時57分32秒 | Weblog



東大での講義で、紹介した司馬遼太郎の文章からの要旨。
わたしは現在の住宅雑誌を始める前は、ごく一般的な読書傾向にあり、
間違っても、そんなに建築の世界にのめり込むことなど
想像すらしていなかったのですが、
なりゆき的に住宅のことに深く関わるようになってきて、
ふと改めて、司馬遼太郎さんの文章の中から
自分の事業分野についての著述を探してみたのです。
そうしたら、多作な司馬さんらしく、あったのですね(笑)。
司馬さんの旅行記・風土記とでもいえる
「街道を行く」シリーズで、北海道も取り上げていて、
やはり寒冷地住宅について書き綴っている文章があるのです。
そのなかで、一番端的に語っているのが、この一節。
日本建築文化の寒冷への非対応ぶりについて触れて
「驚嘆すべき文化と言っていい」というすさまじさであります(笑)。
函館・湯ノ川温泉の和風旅館に泊まって、
数寄屋作りの贅をこらしたその建物で、夜寝る前にストーブに
薪をくべてくださいね、という宿の主人の忠告をうっかり忘れたら、
驚嘆すべき寒さの朝を迎えて、その想像を超えた寒さに閉口した経験を語っています。
まぁわたしのような昭和30年代に子ども時代を過ごした世代では
わりと共通した体験を持っていますが、
わたしたちは北海道にいる人間の立場であり、
司馬さんは、その北海道に対して文化を与える中央の側の視点をもっていた。
そういう文節の中での「気付き」だったと思いました。

こういう視点の違いって、
北海道に住んでいる人間からすると、
いろいろなことを学習させてくれるものだと思いますし、
「生きることのリアリティ」を垣間見せてくれる文筆家・作家の
フィルターを通した日本文化の実相診断として
まことにわかりやすく伝えてくれる。
で、こういうわかりやすい視点というのを
中央の側は、認めることについて率直さにかけていたと思うのです。
そうではなく、温暖気候の中での文化習俗を
中央から地方の垂れ流すことをもっぱらとしてきた。
わかりやすくいえば、日本の権威ある建築の賞を受賞した建築家が
寒冷地気候に対してまったくの無知であることを恥とも感じずに
「中央はこういう文化なのだ」と押しつけ、
作られた建物には巨大な氷柱ができて、
冬期間、人間が使用することが危険でできない、というような極端な現実も生んでいる。
また一方で、地方の側も自己主張できずに
「長いものには巻かれろ」的に中央に迎合し続けてきたのが
日本という国家社会だったのだということを明瞭に示している。

で、そういうことが是正されているのならいいのですが、
まだまだ、延々とこういう背景文化社会は続いていると思うのです。
どうするべきなのか、悩ましい現実だと思います。


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