三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

あまちゃんロストから2週間

2013年10月11日 09時00分19秒 | Weblog


いやぁ、幅広いファン層でブームを起こしたあまちゃんですが、
わたしのような中高年でもすっかりハマっていたことは、
ブログ読者のみなさんはご存知の通り。
で、放送終了から2週間経過しましたが、
よく言われている「あまロス症候群」に罹患しております(笑)。
あまちゃんについては、いろいろのとらえ方がされているのでしょうが、
わたしは、特段「アイドル」というものに思い入れもなく、
やはり宮藤官九郎さんのストーリーテリングの面白さに引き込まれた部分が大きい。
年代が違うので、「アイドル」というものへの知識含有量に圧倒的な違いがあって、
むしろ、そういう深い部分で「アイドル」を探求していることに
まるで異星人を見るようで、興味深かった。
しかし、やはり主役の能年玲奈ちゃんや、小泉今日子・薬師丸ひろ子、
さらに宮本信子さん、脇を固めた役者さんたちの魅力は大きかった。
そのなかでもやはり、「アイドル」というくくりでの
小泉今日子・薬師丸ひろ子から、能年玲奈ちゃんたち世代への
バトンタッチ的なテーマ部分について、
そういったことに深い思い入れと愛着を持ってこの物語は作られていることに
非常に、世代論的な面白さを感じたのですね。
まぁわたしのような世代からすると、
こういったことが、世代を切り取るフィルターとして機能していることに
新鮮な驚きを持たされた気がするのです。
で、提起されたそういった視点について、
いやそれはけっして、クドカンさんたち世代だけの感受性ではなく、
わたしたち世代でも、たとえば夭折した夏目雅子とか、
いろいろあったと思えるのです。
いわば「美人論」とでもいうべき文化ジャンルは存在する。
歌舞伎を創始したのが、出雲の阿国という魅力的な女優さんであったことは、
ほぼ間違いがないと思うのですが、
大衆社会状況が日本を覆い始めてからは、
繰り返し、このジャンルが生き延び続けてきたのだと思います。
ある時代での吉永小百合さんは、つねに存在し続けてきたのでしょう。
で、その現在形で、NHK朝の連続ドラマ枠で、
現代の一番可能性のあるヒロインとして、能年玲奈ちゃんが飛び出した。
彼女のあまちゃん以降のメディア露出で、
やや「コミュニケーション障害」的な、独特の天然ぶりが表出するに及んで
ちょっと、不思議な感覚に陥っているのが、
この「あまちゃんロスト」症候群の本質ではないかと思うのです(笑)。
まぁこっちは、こういうネタにはまったくの素人なので、
好き勝手に楽しみながら、事態の展開がどうなっていくか、
可愛い娘や孫の行く末を、ハラハラしながらも、
固唾をのんで、あたたかく見守っている、
っていうのが、いまのところでしょうね。
ひとつの社会ブームにまでなる「力」を持っているワケですから、
その彼女がどんな成長を見せていくのか、楽しみであります。
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効率よく人と交流する

2013年10月10日 08時11分55秒 | Weblog


きのうは朝から東京に移動しまして、
中野で開かれていた「YUCACO研究会」のオープンセミナーに参加。
15時から直来の懇親会まで,都合5時間以上、ぎっしりしたスケジュールで
多くのみなさんの発表を聞き、
さらに懇親や情報交換をすることが出来ました。
参加者・発表者のなかには、
見知ったみなさんがたいへん多かったのですが
でも北海道からの参加者はわたしひとりのようでした。
国交省が肝煎りで省エネ基準を改定し、
設備機器についての考え方を先導するようになって来て、
住宅の性能進化ということも、それらのトータルとしてのものになってきた感がある。
もちろん、最大の要素技術は「断熱」であることは疑いないのだけれど、
そしてそれが決定的ではあるのだけれど、
そのベースの上に立って、さらに追うべき目標が出てきているように思います。
そういう意味では、むしろいまは温暖地でのいろいろな動きこそ
面白みがあるのかも知れません。
とくに温暖地には「土壁の家」伝統工法の支持者、
というか、それを金科玉条にして
「有力政治家」まで動かして、住宅性能を高める基準に
反対したい、というような動きが強いのですが、
そういうなかで、断熱と土壁づくりのハイブリッドを目指している作り手の発表など
非常におもしろく、先端的な活動も確認することが出来ました。

なんですが、講演や、参加されていた顔ぶれには
すっかりお馴染みのみなさんがたくさんいまして、
たいへん「効率がいい」ことに気付かされておりました。
また、そういうひとから新たに知り合うひとも紹介されるので、
たんへんショートカットして人脈が広がっていく。
わざわざ、北海道から仙台に来て、
そこからまた足を伸ばして東京往復したわけなのですが、
そういった手間を掛けても、いっぺんに多くのみなさんと
共有できるテーマで会うことができるというのは、
やはりメリットが大きいことだと思います。
さて、本日は本日でふたたび仙台市内で取材活動であります。
東京日帰りって、それなりに疲れますが、
帰ってきた先も、一応出張中の場所であります(笑)。
考えてみると「仙台に帰ります」と、面倒だからひとに言っている自分に
ときどき気付いて、笑いをこらえてもいます(笑)。


<写真は無関係の盛岡旧市街マップ>
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日本建築学会会長をお相手に講演

2013年10月09日 05時35分22秒 | Weblog


きのうは、以前から依頼を受けていた東北フォーラムでの講演。
東北フォーラムの理事長は、日本建築学会会長の吉野博先生。
ということで、まことに畏れ多いのですが、
先生を前にして、講演させていただく栄に浴しました。
建築専門の方であれば、非常に緊張されるシチュエーションなのかも知れないのですが、
そこは一ジャーナリズムとしての視点でお話しできる気楽さもあって
たいへん楽しく講演させていただくことが出来ました。
先生からも、講演中になんども質問が飛んできまして、
こちらも、どうせなら先生のような方からわたしの講演について
いろいろな指摘をいただけるほうが、いっそスッキリとして楽しいワケです。
講演のテーマは、北海道の家づくりの歴史的・巨視的な把握と
その現代的な意味合い、というようなものでした。
まぁ、北海道を発祥として、東北でも出版活動をしている
わたしどもとしては、いちばんハマっている部分だと思います。
約2時間の講演時間をずっと立ち続けで、
ちょうど、約5分ほど前に終わられて、若干の質問や、
聞いてくださった方たちとの交流もできました。

考えてみると
北海道の総体としての家づくりの性能面とデザイン面と、
そのトータルなご紹介って、なかなか機会もないので、
講演の構成は、ゼロベースで新規に創ってみました。
写真のように、司馬遼太郎さんの著作から、
日本がなぜ、寒冷地対応の住宅技術を持たなかったのかについて
取材しまとめられて発表された部分を枕にしてお話を展開しました。
やはり北海道の人間が他の地域の人に、
説得力を持ってお話しできるのは、
エスタブリッシュメントの言説を導入的に使っていく方がわかりやすい。
同じ日本人的な感受性の共有者・表現者のことばを利用するのがいい。
そんな意味合いから、前振りに使ってみた次第です。
まぁどうやら作戦成功で、
先生からの活発な質問に結びついていったなぁと思います。
講演ですので、聞いてくださったみなさんの
なんらかのインスピレーションを呼び起こすのが
最大目的と考えれば、講演後、いろいろ交わさせていただいた会話から
なんらかのお役には立てたかも知れません。
おかげさまで、先生のような方に聞いていただけて、
本当に、うれしく楽しい時間を過ごさせていただきました。
深く感謝したいと思います。

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集合美の木造デザイン

2013年10月08日 05時12分32秒 | Weblog


写真は、この夏に取材してきた飛騨高山の古い街並みから。
やはりことし見てきたなかでも出色のデザインレベルの高さだと実感しています。
高山というのは、天領である飛騨支配の中心都市であり、
奈良や京都の街並みをデザインしてきた
「飛騨の匠」たちが、その故郷に都で吸収してきたデザインセンスを
いかんなく残し続けてきた街並みなのだと思います。
ひとつひとつの木造建築は、それぞれに素晴らしいのだけれど、
それらが折り重なって見えてくる景観の美しさは、
まさに圧倒されざるをえない。
こうした「集合美」は、特段の「街並み協定」があったわけでもなく、
いわば、職人的な良心の部分で、相伝的に伝統として残ってきたのに相違ない。
そのように考えると、それもまた素晴らしい社会制度装置だと思える。
独立的な建築というのは、宮殿であるとか城郭であるとか
そういったものであり、庶民が暮らすとか、住まうというのは、
所詮は、共助的に相互に依存しながら生きていくということであり、
その場としての住居、建築には、集合美というような要素が不可欠だと思う。

現代に建てられている住宅って、
そのような集合美というようなことは、ほとんど考えられていない、
というよりも、
「俺の家は、ほかとは違うんだ」というような「個性表現」にだけ意識が向かっている。
世界にひとつだけの、わが家だけの幸せを、みんなが目指すような家。
できれば塀があった方がいいとみんなが思っているような家、街づくり。
このような社会規範は、たぶん欧米的な「郊外型住宅」が
そのモデルになっていると思われるのですが、
広く日本人が個人主義を受け入れてきた結果としての選択なのか。
しかしどうも、この先のことを考えていくと、
そのような家づくりの方向性を、本当に日本人は望んでいるのか、
わからないのではないかと思っています。
そんな疑問に思う気持ちが、写真のような街並みとしての美しさ、
こうした地縁的な社会での暮らしへの憧憬を
どうも心理的に支持しているものなのかも知れません。
こうした写真のような街並みからは、
向こう三軒両隣的な「地域共同体」の匂いが色濃く感じられ、
常に個人は,社会のなかの一成員であるという実感が感じられるのではないかと。
農家住宅でも、集村の街並みの方が、
より親近感を感じる。
どうも、だんだんそんなふうに思うようになって来ております。

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土地や地域が生み出す精神性

2013年10月07日 06時36分38秒 | Weblog


小さいときに、繰り返して見ていた夢があります。
それは、ちょうど小学校時代でして、
そのクラスメートたちと開拓に従事して、その開拓地での暮らしを豊かにするように
なにくれとなく、工夫を巡らすというようなもの。
それは食料生産であったり、仕事をするということであったり、
北海道にはまだないものを生み出す、というようなことだったりした。
繰り返し、繰り返し、執拗にそういった夢を見続けていた。
後年、どうしてそんな夢を見続けていたのか、
考えてみても、自分自身には思い当たる節はない。
まだまだ「開拓期」の余韻が色濃い札幌の街の雰囲気が
そんな妄想を少年のこころに投影した、としか考えられない。
考えてみると、それは北海道開拓という民族的な大事業の気風が
独特の精神性を醸しだし、その空気感・雰囲気のようなものが
さまざまな事象の中に投影されていて
そのようなメッセージを感受性の強い少年の心に
ピンナップされ続けていたのだ、というように推論することが可能だと思い至る。

司馬遼太郎の「太閤記」だったか、
「国盗り物語」だったか、忘れてしまったけれど、
その冒頭で、愛知県・尾張地方の土地の特徴と、それが人情に投影する
その必然性を書いた文章に出会ったとき、
そのことが、親近感を持って感覚することが出来たのは
こういった体験を持っていたことに由来している。
いま、仕事の機会で全国あちこちに出掛ける機会があるけれど、
そのような「土地柄」というようなものに探求の目が向かう。
で、やはり、司馬さんも「北海道からどんな人間が生まれてくるか、
その土地柄というようなものは、どんな形になるのか、興味が深い」
というような文章を書いていた。
いま、住宅の仕事をしていて、
北海道が全国のどの地域とも違う、一番大きなポイントは
住宅の作られようだということを目的的に取材し続けている。
そんな視点から、なにかの見方が出てくることを、日々念願している。
それがきっと、北海道を生み出してくれた日本文化への
大きな「フィードバック」なのだと思っています。
さて、どうなんでしょうか?


<写真は、江戸期の仙台藩領地図>



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ヒノキ風呂ふた購入

2013年10月06日 09時50分00秒 | Weblog


きのうは、ブログにも書いた「ヒノキの風呂ふた」を求めて
って、ついでにたまっていた買い物リストに基づいてカミさんと買い物サンデー。
まずは、ありそうだなぁと思われたナンバーワンの、大型郊外型DIYショップへ。
「風呂コーナー」には、たくさんのプラスチック製製品がありましたが、
木製品は全くなし。
念のために店員さんにも確認しましたが、
このショップでの取り扱いはないのだそうです。
で、店を出る前に、「除雪機コーナー」でつい足が止まってしまった。
だんだん加齢していって、このまま、トータル60坪相当の「雪かき」を
体力勝負で継続していけるかどうか、
そういう不安心理に、たくさんの展示実機が襲いかかってくる。
いろいろあるのですが、
価格的には自走式の油を燃料とするエンジンタイプだと、30~50万円前後。
ただしこれは、雪質や小石の巻き込みなど、
事故想定もたくさんあって、踏み切りにくい。
電動のタイプもあるのですが、この場合、作業中コードが邪魔になって
巻き込んだりするケースもあって、使いにくい。
融雪タイプは、融けるスピードに問題があって・・・、という悩ましいところ。
カミさんと話し合って、今年は除排雪の業者さんと契約しようかという結論に。
続いては、なにかと論議のある「低反発マット」の購入。
先日、使っていたヤツをわたしの方に持ってきてくれて「いいよ」と言っていた
カミさんですが、やはり自分も再度使いたい、ということで購入。
ニトリの売り場だったのですが、
低反発マット、市場的には微妙なところだと見受けられましたね。
で、店を出て、再度別のDIYショップが向かいにあったので、
入って「ヒノキ風呂ふた」を探したのですがなくて、
札幌中の「ホーマック」さんでの在庫状況を調べてくれたのですが、
やはり、扱われていないのだそうであります。
で、やむなく、ヒノキの板を探しても見たのですが、
こちらも、そういう需要はなさそうで、
一般的なツーバイフォー材やパイン材以外はない。

そんな買い物の途中で、勉強のために休みだけれど学校に行っていた息子から
自転車トラブルのヘルプミーコール。
荷台がはずれたということで、それを持ちながら自転車をこいでいた息子を救助。
それを自転車店に送り出しました。
その後、ふたたび、買い物サンデーに戻りました。
以前から購入したかった、魚焼き専用ロースターを買った後、
ふたたび、懸案のヒノキ風呂ふたにカムバック。
考えられる先はおおむねあたったけれど、
やはり、ヒノキ風呂ふたは、どこからも発見できず。
最後にはプラスチックでもやむを得ないか、と
物色してみましたが、わが家の風呂はちょっとオリジナルサイズに近いので
ぴったりのサイズがなかなかない。
ということで、仕切り直しで家に戻って、インターネット検索。
そうしたら、Amazonで、写真のようなタイプを発見。
ここまでで疲労困憊で、さすがにヒノキの板から仕入れてまでの根気は失せ、
即決で購入することに決めた次第です。
ヨドバシカメラには、「インターネット通販よりも高かったら、申し出てください」
というようなPOPも見受けられましたが、
実店舗とインターネット通販の戦い、店舗側はなかなか難しいですね。
しかし、だいぶ疲れました。やれやれ。


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ヒノキの風呂ふた

2013年10月05日 09時43分52秒 | Weblog


わが家のお風呂は、ユニットバスではなく、
左官仕上げで造作した上で、浴槽を据え置いたもの。
1991年新築ですから、22年経っていますが、
その当時流行っていたジャグジー噴射タイプのものです。
なんですが、実は工事の時にいろいろトラブルもあって、
仕上がってみたら、なんとジャグジー装置がメンテナンスできない場所に入ってしまっていた。
それが、コンクリートブロック造の部分で、修正するには
ブロック構造の一部を解体しなければならない、ということに。
「で、どうしますか?」と問われて、
「わかった、しょがないから、ジャグジー装置が壊れたら、諦める」
と、即決した覚えがあります。
まぁ、そのほかにも施工店のいくつかの失策があって、
一回、やり直してもいたのです。
なので、その上やり直しさせるのに忍びなかった、ということだったのです。
そういうことだったのですが、
このジャグジー、ヘタにさわれない設置だったことが幸いしたのか、
22年間、なんとか働いてくれております(笑)。
まぁ、ときどきはへそを曲げてウンともすんとも言わなくなるのですが、
2~3日すると機嫌を直してくれる。
しかし、さすがに最近は、暴走運転したりもしているので、寿命かもしれません。
でもまぁ、機械としては、長寿だったといえるのでしょう。

そんなお風呂でありますが、
むしろもっと単純な方がイカレてしまった。
プラスチック製の板と縁にゴムを回していた風呂ふたの
外周のゴム部分がはずれてきて、どうやら寿命であります。
まぁ、22年間ですから、人間の体もいくつかガタきているし、
やむを得ないでしょうね。
ということで、土日を利用して、風呂ふたをなんとかしようと思案。
で、思い起こしたのが、写真の風呂ふた。
福島県いわき市の、木造応急仮設住宅取材の時に見かけたヤツ。
これは、ヒノキ製でして、
被災者のみなさんが少しでも気持ちのいい生活を営めるようにと
北陸の方の木材生産者のみなさんがプレゼントしたもの。
取材時に、そのいい香りがなんともいえず癒されたことを
そのエピソードと共に、思い起こしたのです。
「あぁ、あんなヤツがいい」という方針に即座に決定しました。
ということなんですが、誰でも考えることは似ているようで
最近はDIYショップでも売っているという情報を得ましたので、
手作りで、という方針から、より簡便な方針にしたがって、
あちこち、買い物に行ってきたいと思います。
首尾よくゲットできるかどうか、うまくいったら、あすご報告致します。
ダメだったら、・・・さて。

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駆け足でやってくる寒さ

2013年10月04日 10時41分24秒 | Weblog


きのうの最高気温が、東京では30℃以上になった、
というようなニュースが流れている昨今ではありますが、
当地、札幌の朝は厳しい寒さに震えております。
発表された今朝の最低気温は、9℃ということですが、
札幌の気象庁観測点は、あまり札幌の実感気温を反映していないことで有名。
たぶん、5~6℃というのが実際だったのではないでしょうか?
わたしは、今朝5時半ころに中央区宮の森の北海道神宮境内をいつものように
散歩しておりましたが、体感的には東京の厳寒期並みの寒さ。
家を出るときにも、ズボンの下にもう1枚下着を着るかどうか
迷いに迷った末に穿かずに出掛けたのですが、案の定なかなかでありました。
散策中、お見かけするみなさんも、晩秋から初冬の装い。
気の早い方は、ダウンジャケットを着込んだりしている。
一方で、半ズボン姿の方もいるという混乱ぶりであります。

気温が下がってくると、
空気から伝わってくる「緊張感」のようなものも見えてきます。
やがて肌が硬質な感覚を察知するようになるのですが、
その予感のようなものが、全身を包んできます。
それでも徐々に太陽日射が木々の間から差し込んでくると
一気に冷気が消し飛んでいく。
太陽というのは、生命のすべての源と言うことを、思い知らされます。
で、ここんところ、広葉樹の近くを通りかかると
「ボトボト」っていう音や、舗装路面からの「カランカラン」という音が聞こえてくる。
かれら樹木が、世代交代の願いを込めて、
次世代のタネを地上に,雨のように降らせているのですね。
自然界で起こっていることには、
どんな小さなことでも、必死な種族存続のためのトライなのだと思わされる。
ドングリやなにやらの木のタネは、
一生に一度の輪廻の機会を、こんな小さな落下に賭けている。
運悪く、舗装路面に落ちたヤツは、無惨に人間の靴に割られて、
その運命のチャレンジを終えざるをえない。
運良く、柔らかな地面に着陸したヤツも、微妙な傾斜角度の違いでダメになる。
奇跡的な確率で、なんとか命を繋げられるような着陸を出来たヤツも
こんなふうに目立っていると、リスが食料としてゲットしてしまう。
なお残ったヤツも、やがて公園清掃のおじさんたちの手で片付けられてしまう。
まことに輪廻転生のドラマの壮大さを、感じさせてくれます。
こんなふうに、今年の季節も回っていくのでしょうね。


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北総研フォーラム「震災・住まい・建築」

2013年10月03日 10時51分54秒 | Weblog


きのうは、会社の会議と掛け持ちで
表題のフォーラム取材、あと取材をしておりました。
ということなので、会議に出て、このフォーラムに行って、
フォーラムが終わってからは、会議に一度戻って、その後、
会議の打ち上げの会食に顔を出してから、
ふたたびフォーラムメンバーのみなさんと「あと取材」的な飲み会。
ということで、「あまちゃん」並みの2元同時進行ぶり(笑)。
考えてみるとあまちゃんの浸透ぶりには、
この「ぎっしり詰まった」感が大きかったように思います。
なので、1日に何回も見るというようなフリークを大量生産した。
その口コミパワー、また、その口コミでの素材をふんだんに提供していた。
いま、ふたたびモノトーンのドラマに戻されてみると
そのリズム感が、からだに浸透していたのだなと思わざるを得ませんね。

おっと、全くの脱線でした(笑)。
こういった2元進行、そのどちらにも関わるというのは、
切り替えも難しく、なかなか頭が付いていかない部分がある。
残念ながら、TBSサンデーモーニングに出演されている造園家・ランドスケープアーキテクトの
涌井史郎さんの講演は聞き逃してしまいましたが、
国総研・小林英之さん、宮城県石巻の建築家・佐々木文彦さん、北総研・鈴木大さんの
パネルディスカッションは、拝聴させていただけました。
それぞれが、インドネシア、宮城県、岩手県の震災復興に直接関わっていて
その貴重な体験談が飛び交うので、
たいへん臨場感もあり、おもしろいお話に展開していきました。
震災以降、自治体や公共団体などのみなさんと関わることが増えましたが、
やはりそうした立場のみなさんの「志」の部分が
残っていく仕事に、如実に反映されているのだと思います。
今回の震災は、被災地域が広大であり、
そのポイントごとに、さまざまな動きを見せているものがあります。
公共の側にいるみなさんとの連携で、あらたな動きを胎動させたい、
そんな思いを強く感じさせていただきました。
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岩手県岩泉町・龍泉洞

2013年10月02日 09時54分46秒 | Weblog


いやぁ、たまげたものがこの世にはあるものとびっくり。
先日の東北三陸宮古周辺取材の折に、ひと足伸ばしてみた地底湖を持つ洞窟です。
日本三大鍾乳洞なんだとか。
以下、Wikipedia記載から抜粋。

龍泉洞(りゅうせんどう)は、日本の岩手県岩泉町にある鍾乳洞。岩泉湧窟(いわいずみわっくつ)とも言う。総延長約1,200m(日本の洞窟中第62位[注 1])。高低差約249mは日本の洞窟中第5位[注 2]。
秋芳洞(山口県美祢市)・龍河洞(高知県香美市)と共に「日本三大鍾乳洞」の一つに数えられる。
また、地底湖は龍泉洞地底湖の水として1985年(昭和60年)名水百選のひとつに選定された。

実際の全長は2.5km以上とも5km以上とも言われている(平成24年11月現在で3631mまで確認されている)が、1962年(昭和37年)に洞窟探検家が潜水事故を起こして以来、調査されていないので、あくまでも予測数値である。水深98mの第3地底湖、120m以上ある第4地底湖(未公開)等、全部で7つの地底湖を持っていることで知られている。
観光整備工事中の1967年(昭和42年)に龍泉洞入洞口の向かい側に新たに洞窟が発見され、龍泉新洞(りゅうせんしんどう)と命名された[3]。また、その洞内から土器・石器などが多数発見された[3]。トレーサー調査によれば、龍泉新洞は龍泉洞の下流部分にあたるとされるが、実際に水中部を潜り調査したことはない。龍泉洞の水が再度地下に潜り込み、本洞前の清水川の下を「第二の川」のように流れ、龍泉新洞の「泉」で湧いていることが分かっている。龍泉洞の潜流地点から龍泉新洞の「泉」まで、おおよそ5分ほどで到達していると言われる。
洞窟内には、キクガシラコウモリ、コキクガシラコウモリ、モモジロコウモリ、ウサギコウモリ、および、テングコウモリという、ココウモリ類(小翼手類)5種の生息が確認されており、これらのコウモリ類は、1938年(昭和13年)12月14日[4]、洞窟と共に「岩泉湧窟及びコウモリ」名義で国の天然記念物に指定された。
龍泉洞の水は世界でも有数の透明度を誇っていることで有名であるが、これは、地下深くに潜り込んだ沢の水が、地底湖で湧出するためである。良質の腐植土によって濾過され、また、地中の石灰質を多く溶かし込んでいるので、味がしっかりとしたものとなっている。


という概要です。
実際に足を踏み入れてみると
周囲からは気温自体、マイナス10度くらいあって、
カメラは、洞穴内外で結露しまくり。
やはり、「地底湖」の神秘さはまことに格別。
やはり人知を越えた自然の造形にまさに圧倒させられます。
新たに発見された「龍泉新洞」の方では、人間の居住痕跡も発見されたそうですね。
ヤマト朝廷と蝦夷の戦い、このような地の利も得て、
蝦夷が、神出鬼没に戦ったのではないかと、
そういった妄想もたくましく沸いてきておりました。
ただし、入り口付近で観光客向けにやっている「そば屋」さんには、
ちょっと、空いた口がふさがりませんでした(笑)。むむむ。


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