三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【日本史にきらめく中世都市・堺と利休】

2018年04月09日 06時05分07秒 | Weblog


一昨日も堺の「灯台」について書きましたが、
関西に頻繁に来るようになると、どうしてもこの街が気になる。
日本史をまなぶと、多くの時代のポイントとして
この地域、堺という街の存在が大きく刻印されていると思う。
若いときの信長が、青春の旅行先として選んだ街というイメージが強い。
その後、武将としての成功を収めて京都の施政権を得たときに
かれが最初に手掛けたのが、堺に対しての課税・権力奪取だったのは、
多くのことを日本人にイメージさせたのだと思う。
WEBで「この街アーカイブス」というページを覗いてみると
こんなふうに紹介されていた。
〜堺周辺に人が定住し始めたのは旧石器時代頃といわれ、
古墳時代には、「仁徳天皇陵古墳」を含む古墳群が造られた。
摂津・河内・和泉の三国の国境があったことから、
平安時代に「さかい」と呼ばれるようになった。
室町時代になると商業が発達、町の自治は有力商人の集団である
「会合衆(えごうしゅう)」により行われた。また、国際貿易により
大きな富を得た堺は、戦乱から町を守るために周囲に濠をめぐらせた
「環濠都市」となった。江戸時代には、「元和(げんな)の町割」や、
「大和川」付替え工事など、現在の堺にも続く町の枠組みが作られ、
明治時代以後は鉄道も開通し、急速に近代化が進んだ。〜

海外と海を接して繋がり、
権力の中心地域ともながく隣接し続けてきた地域として、
日本の「交易」の中心的地域であり続けていたのだろうと思う。
現代に連なる「関西」精神のあるマザーを形成したのではと
いつも思い続けている街です。
滞在といっても4日間で、また日中は関西全域を走り回っていたので、
最後の日にちょっと利休の屋敷があった場所に建てられた
「さかい利晶の杜」というサイトに寄ったくらい。
利晶というのは利休と与謝野晶子らしいのですが、
わたしの関心はもっぱら利休さんということになります。
かれは秀吉から死を賜ったという劇的な幕切れをもって
稀有な人生を生きた日本人としての精神史に名を残すことになった。
賜死というのは、権力者がその配下に対して
自殺しろということを強制することですが、
そのことによって、死が非常に印象的になるといえる。
とくに日本人的メンタリティでは、このような死は極限性を
そこに投影させるように思う。
茶道という利休由来と言ってもいい「家元」制度にとって、
この利休の死はそこからの永遠の生を得たものだったと思われます。
そういう意味ではかれはもっとも意味のある死を死んだ。
そのような死があったから、かれが唱えた「わびさび」精神は
大きな陰影を受けることが出来、長い精神史を持てたのではないか。
たぶん、義経の死と並んで日本人のメンタリティに大きな存在になった。
住宅建築に於いても、茶の間とか茶室文化とか、
非常に「日本的」な空間嗜好性を日本人に植え付けた存在。
日本人にとってどうしても気になる、どこまでも気になるのが
この街であり、そこで生きた利休さんという人なのでしょうね。
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【人体の医的探究は「治療⇒改療」へ向かう】

2018年04月08日 06時20分30秒 | Weblog


きのうは横浜で古くからの知人とのビジネスの話し合い。
その後、夕方までの時間で最新情報摂取のために都内を行脚。
いろいろ刺激的な情報は首都から発信される領域が圧倒的に多い。
ま、住宅だけはそうともいえない特殊な領域と言えるのでしょうが。

で、住宅建築領域でも「健康」に関しての知見は深まっているけれど、
直接的な「人体」の最新の知のレベルがわかりそうだということで、
国立科学博物館で開催中の「人体―神秘への挑戦―」を見学して来ました。
展示は1−2部は撮影できないとアナウンスされて、3部に至って
「ご自由に撮影できます」と案内されていました。
上の写真は、その象徴的な人体各部位ネットワークイメージ。
最新の研究では人体オペレーティングは脳が一元的に行っているのではなく、
各部位がほかの部位に対して情報を発信していて、
それら同士での「応答」が行われているのだとされ、
その様子をビジュアル的に表現する仕掛けとして、
会場一角で、天井画面を使って「各部位間での信号対話」を見せていた。
心臓の鼓動がバックグランドミュージックとして流される
この信号対話表現は、まことに宇宙的。さらに驚かされたのは、
「ひらめく」ときの脳波信号と、「ぼーっとしている」時の脳波信号には
あきらかな相似形状が確認されているという知見も発信されていたこと。
ボーッとしているときには、リラックスした記憶領域が
相互に交流する自由度が高くなって、常識では考えられない「結びつき」を
みせることから、「創造性」が担保されるのではと推論されていた。
また分子レベルの解析が進んできて、3500年前の「縄文人」人骨から
その復元までもが可能になってきているとされた。
その人物ビジュアル標本が展示されていたけれど、
そのまま、どこかの街で出会いそうなごくフツーの日本人的女性だった。
科学の最新探究では、DNA・ゲノム的な決定因子と「体験」との
相互作用で「個の人生発展」があるとする想像力も示された。

こんなレベルまでも研究が進展していることは驚異的。
そして今後の科学研究はゲノム解析などの進展が急で
やがて医療は、治療から「改療」へと向かうだろうとされていた。
分子レベルでの構造の解析が進めば、人体情報の復元が可能なように
「どうすれば改良できるか」も当然のように可能にはなるだろう。
これは、人間倫理についての課題をするどく提起せざるを得ない。
こんなことが身近な現実になったとき、人間社会はどうなっていくのか?
いやしかし、これは今現在すでに課題になってきているのだ、
う〜む、さて、これはバラ色と言えるのか?
それにしても、こうしたことがらを「伝える」ツールとして
博物館展示が使われて、それが春休みとあって大変な人出で
満員の大盛況であるという現実、さらにそこに実に多様な
国籍のみなさんが来場されているということに、
さらに大きな驚きも感じさせられていました。知の世界の
量的・質的拡大は、インターネットによってビッグバンしてきている。
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【土地を知る「滞在型」宿泊〜泉州・堺】

2018年04月07日 06時12分35秒 | Weblog


きのうまでの関西滞在では「堺市」に宿泊していました。
関西版の発行にともなって出張機会は増えてくるのですが、
一回来たらなるべく長期に腰を据えてみたい。
とはいってもまぁ1週間程度ですが、その期間は
なるべく1箇所にいた方が「土地勘」が培養できるので、
そのように宿泊予定を組んでいます。
前は千里丘陵方面とか、尼崎とか、大津・瀬田とか、
点々としていましたが、今回は南部の堺に定点的にいて、
そこから関西地域各地に出掛けておりました。
なるべく生活的な目線を意識して、散歩とかでも
地域らしさを感受できるように計画してみる。
おのずと歴史とかの知識から、いろんなことを知ることが出来る。

ということで滞在中、数回訪れたのがこの「灯台」。
Wikipediaには以下のような記述。
〜旧堺燈台(きゅうさかいとうだい)は、大阪府堺市堺区大浜北町にある
木製洋式灯台跡である。現存する最古の木製洋式灯台のひとつとして、
国史跡に指定。江戸時代の堺港の燈台の変遷は、
「堺港燈台起源沿革書」に記録が残されている。
1689年(元禄2年)に初めて市中の商人の寄金で建築されて
以降、1877年(明治10年)の洋式燈台まで7期にわたって、
位置を変えながら新設されていったとされている。
堺港は特に1704年の大和川付替え以降、
土砂の流入などにより修築を繰り返しあわせて燈台も
規模を大きくしながら位置を変えていった。このことは同時に、
堺の町の発展を表すものであるといえる。
明治時代初期堺港の改修事業で新しい灯台設置の必要性が高まった。
そこで高山保次郎をはじめ、堺の有力者らは自ら基金を出し合い、
当時の堺県からの補助金も受けて灯台を建設した。
灯台の建設にはイギリス人技師指導のもと堺の大工や石工も深く関わった。
1877年に大波止(南突堤)の西端に灯台が完成し、
当初の光源は石油ランプを使い、約18キロメートル先まで
灯台の光が届いたとされている。
しかし時代が下り1959年から始まった堺泉北臨海工業地帯の
埋め立てにより、徐々に灯台の役目を果たせなくなった。
灯台は1968年(昭和43年)に廃止され、90年の歴史に幕を閉じた。〜

っていうことなのですが、さすがに「自由都市」堺らしく、
残された記録から、2度も「地域商人の出資」という事実がわかる。
まさに商人自治の伝統が息づいている。
関西という土地柄として、公に必ずしも依存しない
民、商人たちの独自の公的活動という側面が指摘されるけれど、
この灯台にもそういった歴史事実が刻印されている。
そんな歴史を重ね合わせ、なにげないスポットにも
地域とその人情について知識が拡大しますね。
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【古民家ディテールのものづくりマインド】

2018年04月06日 05時58分31秒 | Weblog


きのうまで関西圏の各地を行脚していました。
終わり近くにうかがった、古民家改修して事務所利用している事例。
スタッフの方に「面白い事務所ですね」と話したら、
ご親切にぐるっと案内していただけました。
わたしは、古民家巡りが無上のたのしみという男ですので、
「おお、おお」と感嘆を繰り返しておりました。
っていうか、こういう「伝統的な手業」に深い愛着を持っている作り手さんに
強いリスペクトを感じてしまう部分があるのですね。

2枚目の写真は蔵の「錠前」です。
現代では銀行システムが発達して財産は貸金庫を使って保全したり、
住宅でも金属製のカギが一般的になっていますが、
そういう一般装置が普及する以前、大切な財産を保全する方法として
防火構造の蔵を建てて、それに錠を掛けておくというのが、
お金持ちの一般的なスタイルだったわけです。
その蔵の「錠前」は、ほとんど逸品生産的な職人手業で造作された。
使い勝手のディテールに至るまで、まことに人間的な感じがある。
一方、上の写真です。
こちらはその蔵の「引き戸」の下端の「滑車装置」です。
ふつうの滑らせ方とはあまりにも違う感覚だったので、
しげしげとその装置の構造に見入ってしまっていた次第。
この建物近隣は生駒山の麓にあたり、
この生駒山というのは山全体が独特の岩石の構造になっている。
そこで「石切」という神社まである地域なのですね。
その生駒山の石のうち、細かいものをローラーのように加工している。
現代で一般的な滑車がレールの上を滑るというタイプではなく、
たくさんのロール石の上を重い土塗り引き戸が「やわらかく滑っていく」。
実際に動かしてみて、その「応力」というか、反応が
なんともふしぎな心地よさをカラダにつたえてくるのです。
きっと日本列島にも存在したに違いない「石器時代」以来の石の技術が
さまざまな紆余曲折を経てはるかに伝わってきた感(笑)がある。
いわゆる伝統技術には、きっとこういったディテールがたくさんあるのでしょう。
見てみると、この「転石」たち、まことにカタチも不揃いで
それぞれが個性的ですらある。
いつの時代か知らないけれど、これをつくった人たちの様子が
そこはかとなく感じられて、思わずシャッターを押していた。
北海道から来てみるとやっぱりニッポンの伝統って、奥行きが深いです。
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【関西出張中 わが家工事が気に掛かる】

2018年04月05日 06時54分21秒 | Weblog


さて今週はわたしは、関西に出張中であります。
火曜日に新住協関西支部の定例勉強会があり、
WEBマーケティングについての学習会もあって、続いて各地訪問。
写真は会場の梅田阪急オフィスタワーから、阪神デパート側をみたところ。
きのうは滋賀県の方まで脚を伸ばしておりましたが、
「半分くらいこっちにいて」というリクエストも受けた(笑)。
確かに住宅は「生活文化」の大きなエレメントなので、
そのカタチの「まゆ」に相当する「暮らしの感受性」のようなものは、
なるべく実地に即していた方が当然ながら、肌合いにフィットする。
そして住まいの豊かさの大きな部分は、そのことに関わってもいる。
たぶん心理としては、そこまでの「メディア」機能を期待されている。
そういう意味ではたいへんありがたい申し出ではありますが、
う〜む、いきなりディープといったところ。

っていうことで関西状況視察に走り回っているのですが、
スマホには札幌で進行中の兼用オフィス工事実況が飛び込んでくる。
こっちの方は、来週末には現場工事の仕上げの「清掃」が予定され
写真のように据え付け造作家具の設置が順調に進んでいる。
う〜む、気になることハンパない(笑)。
写真で状況はリアルタイムに伝わってくるのですが、
やはり「設置」されてしまえば、現場の寸法感覚は容認するしかない。
写真でわかるように天地とも緊結させて耐震対策するのです。
リフォーム・リノベの場合には、
こういった「造作家具」の移設とかが当然多くなるので
「こうなるはず」という現場での感覚が重要な部分を占めている。
最後の「感受性」での了解という部分ですね。
写真でおおむね8−9割がたの確認は出来ますが、
その「臨場感」やほかの空間との配置など、
やっぱり見れば見たで、微妙な空気感が知りたくなってきます。
まぁ、帰心矢のごとしではありますが、
運を天に任せる気分で自分を抑えるようにしております(笑)。
そういう意味では、リフォーム・リノベは施主さんは1/1スケールで
建築や空間を知る機会にもなるのだとわかりますね。
これが「3回建てなければ」のコアなのかもしれない。
本日までは関西地区を行脚したあと、あしたには関東へ移動。
今週末日曜日まで、気になって仕方ないひとに会えない心境(笑)。
まぁしかしその分、思いも募って愛着に繋がっていくのかもしれない。
人間と空間の関係性、奥行きが深いと日々思わされています。
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【北海道住宅での「中間領域」デザイン】

2018年04月04日 05時48分08秒 | Weblog



ここのところ、新建築住宅特集4月号・「環境住宅特集」への
論評的な投稿を続けていますが、
北海道の設計者・研究者などから活発にコメントをいただいています。
ちょうど、「特集」の巻頭住宅事例の末光弘和さんの淡路島の住宅が
ダブルスキン緩衝地帯的な「中間領域」デザインを主眼とした作品だったので、
そのことは、今後の環境住宅論議についてのひとつの機縁になると
そんな風に考えている次第です。
末光さんの「論考」では、「閉鎖系・開放系」と寒冷地-温暖地住宅の
志向性をおおくくりに仕分けて、開放系のデザインエレメントとして
中間領域の多様な可能性、その熱環境的なふるまいも論じていた。
こういった「仕分け」について、いろいろな発言が出てきている。
まず端的だったのは、温暖地・東京で設計活動をスタートさせて
その後、結婚を機に北海道札幌に拠点を移した設計者・丸田絢子さんの意見。
「(温暖地の設計者が)室内に中間領域を欲するのは、
そもそも家のコアの部分すら寒いという恐怖があり、
迷信でも良いので何かに守られていてほしいという願望かもしれないなあと
最近思っています。願望のビジュアルデサインなのだと思います。」
「断熱工法のことを理解できなかった頃の自分が、そういう恐怖心から
間仕切りなどを設計していたなあと思い出しまして。北海道に来てからも、
恐怖心から逃れるのにかなりかかりました。家は寒いものと思っている
日本人には、中間領域が、温熱的には意味がないことが、
感覚的にはなかなか理解できないのだと思います。堀部安嗣さんなども
断熱がわかって、設計がとても自由になったとおっしゃってましたね。」
さらに北海道大学の熱環境系研究者の森太郎先生からは
「断熱もされていない、濡らしてしまったら夜に凍ってすべって
あぶなそうな中間領域が必要なんでしょうか?それは私たちが日本人で
文化的に中間領域なるものが好きだからなんでしょうか?」
というように論断されていました。
しかし、設計者の藤島喬さんから、写真のような寒冷地域設計者の
実例として、寒冷地らしい中間領域についての氏の試みが送付されてきた。
雪国らしい「雁木」空間の活かし方、建物に隣接した集熱装置としての
「ガラスボックス」、そして北国的「縁側」ともいえるデッキ空間など、
多様なデザインがこれまでも多くの設計者によって試みられてきた。
わたしとしては、北国で継続して行われてきたこうしたデザインと
温暖地での中間領域デザインが実りのある「対話」をしていければいいと、
そんなふうに思った次第です。
北海道住宅は「閉鎖」系ではないとわたしには思えるのですが、いかがでしょう?
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【寒冷地での「中間領域」的環境とは?】

2018年04月03日 06時08分35秒 | Weblog


きのう、新建築住宅特集4月号・末光弘和氏「淡路島の住宅」について論評を試みた。
誌面の論考のなかで、氏は温暖地での環境住宅手法として
<環境エンジニアリングされた「中間領域」>を挙げていた。
温暖地住宅を「開放」型としてとらえ一方で寒冷地住宅を「閉鎖」型の
環境住宅類型としてとらえる視点といえる。
閉鎖的な断熱気密ばかりで開かれた生活デザインが提示されないじゃないかと。
この「仕分け」はわかりやすいようでいて、しかしやや同意しがたい。
そんなことを考えていたら、北大の森太郎先生からツッコミがあった。
やり取りを再掲すると以下のようでした。

三木奎吾 「末光さんの住宅がまごうことなく「中間領域」をテーマにしているので、
温暖地と寒冷地での住宅をめぐっての共通言語テーマとして、
中間領域をどうデザインしていくのか、というものは非常に有効だと思われます。
それこそ圓山彬雄さんなど多くの北海道の建築家が潜在的に希求してきた。
それは寒冷地住宅にとってまだしっかりとは見果てぬ夢なのだと思う。
断熱気密を確保してなお、どう中間領域的デザインを現代住宅で達成していくのか、
日本社会共有テーマとして面白いのではないでしょうか?」
Taro Mori 「うーん,昨日,北方型住宅のデータを整理していたのですが、
ドアが良くなってきたためか,風除室はなくなっていくんです。
うちの子なんかみてると,雪があるとひたすら遊びまくるんですよね。
中間領域をつくって雪が積もらない場所になるとうちの子たち残念に思うではないかと
思うんです。それこそ最近の服はすごくいいので、わざわざ中間領域つくらないで,
外に出てあそびまくればいいのではないのでしょうか?」
三木奎吾 「う〜む、それもそれで面白い(笑)。そもそも北海道では
「雪」という面白い<中間的存在領域>がある。これは大きな気付きですね(笑)」
Taro Mori 「建築に取り込むのはもったいないです。うちの子たちが”中間領域”で
グダグダしていたら外に行かんかーいとか、雪除け手伝わんかーいとか怒ってしまう」

っていうような経緯があって送られてきたのが上の写真。
まさに子どもさんが、どこの場所かわからない雪山でまさに宙を飛んで
遊び回っているすばらしい人間環境写真です、チョーかわいい(笑)。
北海道では、日本の都市計画一般と比べ比類のない道路幅員が確保されている。
それは冬期積雪の「堆雪」スペースという意味合いが強い。
この「堆雪」スペースって、個人住宅の範囲を超えた「中間領域」といえる。
冬の間、北国の現代人は堪え忍ぶのではなく、実は
こんな「豊かな」中間領域を思う存分に楽しんでいるのではないか。
それは建築の概念の中に含まれないかも知れないけれど、
より広く「人間環境」と考えればまことに魅力的な中間領域なのだと容易に気付く。
また大人も下の写真のように、体を使ったり爽快な機材を使って「除雪」という
一種の環境との対話イベントを、個人住宅領域から公的都市環境領域にかけて
毎日のように「楽しんでいる」現実がある。
この「除雪作業」とか、「堆雪雪山」というのはどこか「建築的」ともいえる。
毎日の除雪の結果を楽しく見る瞬間が北国人には多くあるけれど、
あれは、一種建築営為的な感じ方、充足感を味わっているのです。
たしかに春になればきれいさっぱり消えてしまうけれど(笑)。
そう考えが及んだとき、寒冷地では住宅周辺環境における中間領域として
こうした環境が考えられるのではないかと、思考アイデアに至ったのです。
こういうアクティブな豊かさには、チマチマした建築架構的な
「中間領域」概念を吹き飛ばす生活感パワーがある。
そういう魅力を建築的にデザインしてしまうのは、いかにも「もったいない」。
中間領域の寒冷地-温暖地の比較対照論、面白くなりそうです(笑)。
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【淡路島の瓦ルーバー 中間領域デザインの可能性】

2018年04月02日 05時57分20秒 | Weblog
先日、新建築住宅特集最新4月号について触れました。
2年前の経緯があったので、注目して読み進めていたのですが、
どうも今回はギラギラとした部分が感じられなかった。
前回は挑発的な部分が感じられたのですが、やや静かな印象。
またこれまでは気付かなかったけれど、建築詳細に
Ua値表示が見られる点は、わかりやすい建築の共通言語化努力ですね。
やはりあるレベルは確保した上での特殊解的デザインが論に足る。

全体を見て、寒冷地サイドの住宅は常識的な内容だと思ったのですが、
やはり温暖地域の建築がどうなっていくのかが気に掛かるところ。
その意味では表紙にもなっていた末光弘和氏の淡路島の住宅が特徴的。
Ua値が0,42とあるので、ダブルスキン内側の本体は了解可能な範囲。
この家の特徴としては、外皮側の特注瓦のデザインと環境的効用でしょう。
「地球の声」拡大委員会での氏の説明をわたしは聞いていますが、
同席されていた発表者の方から「あまりにもポルシェ的な仕様であって、
一般解として論ずるにはふさわしくない」という意見も出ていました。
たしかにこの住宅はたいへんコストを掛けた住宅だそうで、
この「瓦」も特注で鋳型製作までして作ってもらったということ。
その「環境的」効果、人間感受性的な感覚領域での「体感」がどうか。
今回誌面では、ウッドデッキテラスでの床面温度が
シミュレーションでは30度になるところ、25度に抑えられたとしていた。
ちょうど日射遮蔽ルーバーのように瓦を使ってみたということですね。
海風の冷却効果、夏場で4度程度の気温との差があるので、
その冷風をクールダウンとして利用している。
氏の「論考」では寒冷地型住宅を「閉鎖系」温暖地型住宅を「開放系」とされていた。
いわゆる「環境要素」として断熱が基軸であることは了解しながら、
「開放系」では、いわゆる中間領域こそが本質だとされている。
この瓦によるルーバー活用というものも、
「環境エンジニアリングによって緩やかに制御された」中間領域というチャレンジ。
ただし、氏自身もこうした試みは世界的にもまだ確立されていないし、
今後どこまで汎用性をもって広まるかわからない、と書かれている。
瓦が熱環境的にどのように「ふるまう」か、それが一般解として
どのように普遍化できるか、まだ結論が出ていないと読み込めました。
この「中間領域」という概念は、都市的密集環境では
「近接する建物との関係」にまで想像力を広げてとらえている。
そういった領域に「デザイン」の大きな可能性を考えているように思われます。

氏は開放系の特徴というように言われていたけれど、
中間領域は寒冷地建築でもカタチは違っても多くの実践が行われてきている。
どうも気になるのは「閉鎖と開放」って、コトバの使い方に於いて
すでにハンディキャップがありすぎだと思う(笑)。
政治論議でのコトバによるレッテルで「保守と革新」という仕分けにも似ている。
まだしも保守には成熟した人間として肯定的部分もあるけれど、
閉鎖系という言葉に優越性を感じる人間というのはほぼいないと考えれば、
100-0くらいに不均衡な論の立て方ではないでしょうか(笑)。
ただ、こうした志向性自体は当然ありだと思います。
中間領域の豊かさの追究は、古来からの民族的郷愁でもある
「縁側」が住宅から消えてしまった寒冷地住宅のいまの大テーマ。
温暖地も寒冷地もなく、大いにテーマとして追求すべきだと思われました。

<写真は新建築住宅特集4月号表紙一部と高知県桂浜の海>
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【コンクリートとブロック「構造美」の魅力】

2018年04月01日 07時40分04秒 | Weblog
ごらんの写真は、今回の改装プロジェクトで確保されたオフィス中心部分。
別の箇所に収容される水屋装置が残置されているのはご愛敬。
コンクリートのスラブで天井が構成され、その荷重を支えるための
バッテン型の架梁が特徴的。
さらにその天井を被覆するように木製格子天井がある。
ブロックの壁とのハーモニーがよくて、大好きであります(笑)。
この構造の確かさが視覚的にもつたわってくる様子に愛着がある。
カミさんも言っているけれど、なるべくこの「構造美」を見ていたい、
そんな気分になってしまいます。
建物はその建てられる敷地の条件がまずあって、
そこでの用途が決まり、それを満たすカタチが決定され、
もっとも合理的な構造が選択されて骨格が固まる。
こういう石系の素材は堅牢性に於いて比類がない。
きちんと断熱が考慮されれば老朽化進行は考えにくい。
よく60年とか45年とかの資産償却年限とかが言われるけれど、
きちんと保守メンテナンスされていけば、ヨーロッパの石造建築と
そう大差のない年限、維持されていくのだと思う。
彼の地では活発にこうした建物の「用途変更」需要が盛んだとされる。
新築よりも改装改造が建築需要の中心だとされる由縁。
わたし自身、この建て方を選択したとき、
この基本骨格には強い信頼の感覚を持ったものでした。
日本では住宅のような用途に於いては過重だという考えもあるでしょうが、
それは日本が「温帯」地域として長い歴史時間経緯があって、
「亜寒帯」地域での建築に十分な想像力を持っていないからではないか。

最近、札幌というマーケット性について考える機縁があった。
徐々に考えを積み重ねているのですが、
この「亜寒帯」地域での日本民族の実験的集住都市というような
おおくくりに至ってきています。
そう考えたとき、期せずして選択されていたブロック造建築って、
大きなテーマになっていきそうだと思っているところ。
まだ少数派ではありますが(笑)、
ブロック建築の再評価、復権というような仕掛けを
虎視眈々とうかがっている最中なのであります。乞うご期待。
そういった意味から、この「構造美」というのも、
わかりやすいメッセージ性を持つのではないか、と思っていますが、
どうでしょうか?
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