下見のつもりで 千鳥ヶ淵へ出かけたのが3日前、、、
本番は、きょうの予定だった、、、
快晴予報がでている本日、、、
でも、、、とびっきりの感動を
予定より3日早く味わっている(笑)
さて、
九段下駅から半蔵門まで
すでに1kmを超え限界の2kmに到達する勢い、、、
万がイチに備え、バス利用も頭に入れていた・・・のだが
この内堀通り(半蔵門~日比谷方面)のバスは 1時間に1本なのだ
とにかく半蔵門までガンバレっ!
国立劇場前バス停で確認していると
やってきた老紳士、、、
ふ: あと15分です、、、
紳士:15分ですか~・・・歩いたほうが早いなぁ・・・と。
しかしですよ!
これは一般人の歩行スピ~ドであるわけで・・・
みるみるうちに姿は遠くなってゆく、、、(苦笑)
「 東京で一番美しい坂 」と呼ばれている 三宅坂
ゆる~い下り坂が 延々と続く、、、
下り坂はヒザにかかる負担が大きい
おまけに限界の2kmを超え かなりグロッキ~気味(笑)
風も強まってきた、、、
矢印は 下り坂を示している
法務省旧本館(赤レンガ棟) 三宅坂辺り
法曹関係には 極々薄~いエンがあった(笑)
もちろんfunsenkiのことではない
今は亡き、義理叔父さまが弁護士をしていた、、、
詳しくは 「 元もと 義理叔父さま 」ということになる(苦笑)
義理叔父さまから見れば
実家の甥っ子の嫁がfunsenkiということになる
たしか、、、最初は検事に。その後、弁護士に。
結婚後に分かったのだが、
funsenkiが社会人になりたてのころ
なんと都内で同じ駅を利用していたことが判明、、、
叔父様の弁護士事務所とfunsenkiの職場は駅を挟んで半径100m圏内
エぇっ~ そうだったの?
その後、事務所は 半蔵門麹町辺りに移転したのだった、、、
なんと 上京の度に(アラフォ~時代)ダイヤモンドホテルを利用し、
この街を歩き回っていたfunsenki、、、
30年近い嫁勤めだったが(両親とは別居)
この義理叔父さまとは 一度だけ会話をしたことがある、、、
” 昭和ひとけた生まれで 貧しい農家の三男坊、、、
( 幼いころから優秀だったそうだが、、、)
高校は地元から離れたお寺に下宿していたとのこと。
都内の大学に進み、司法試験に合格するまで
なみなみならぬ苦労がうかがい知れた気がしたものだ、、、”
どうして こんな話を
実家の甥っ子の嫁であるfunsenkiにしてくれたのか
まったくわからない、、、今も、、、
funsenkiが自立を決心する時に
何度か この義理叔父さまに相談をと考えたことがあった、、、
たとえ身内であっても
弁護士なら公正な判断をしてくれるだろうと、、、
もし、相談してたら また人生が変わっていたかも知れない、、、
とうとう
最後まで薄~い縁があったことなど
叔父さまは知る由もなく旅立たれてしまった、、、
そうそう、こんな話も覚えている、、、
出稼ぎで稼いだお金を すべて弟に託したという、、、
我ら兄弟妹(3男1女)の期待の星!なのだから と、
一生懸命応援したという義理父、、、いや、元もと義理父 (笑)
義理母だって3人の子育てに必死だっただろうに、、、
ほんの数回しか会う機会がなかったけれど
いつも この叔父さまは兄嫁に(義理母)恩返しをしていたように思う
検察庁とか裁判所とか目に耳にするたびに
義理叔父さまを ふと 思い出す、、、
この後、
赤レンガ棟に元気をもらい、桜田門へと下ります
日比谷まであと500mくらい?
ガンバレ 自分!!
意欲沸騰しまっス