昨日の朝、愛猫の検査の為 動物病院に行きました。
動物病院に伺う前に、朝、引いたタロットカードは
3枚とも正位置の、力強いカードでした。
夕方18時半過ぎに迎えに行くと、タオルにくるまれ
大事そうに 若手の先生に抱えられた彼がきた。
足には痛々しく 点滴がぶら下がっていた。
未だ 全身麻酔のまどろみの中に居る彼は、
視点が定まらない中、朝から絶食、絶水で
到底、そんな力は 残ってはいない筈なのに、
振り絞る様に残った気力で時折シャーッと威嚇をしてくる。
「そろそろ 醒めてもいい頃なんですけどね。
もう少し様子を見て1日此方でお預かりしましょうか?」
と、院長先生。これ迄 健康診断以外には殆ど病院に
通ったことがない彼は、この2ヵ月、ほぼ各週で
評判の良い新たな動物病院に連れて行かれ、あちこち
身体を触られ、血液検査をしていることもあってか、
普段は雌猫に間違えられる程、穏やかで気質もよく
(親バカでスミマセン)他の病院で健康診断を受ける時も
診察台に箱座りをして落ち着いて周りの様子を見渡し、
「ふわぁ~」と、リラックスしてあくびをするような
ゆとりのある子だったのが、嘘のように、
「オイ!一体、俺をどうする気だよ!!」とあらがう様に
シャーッと何度も威嚇するのを見ると涙が出そうになる。
病院で2時間30分程待ったのち、まだまどろみの中で
たゆたう彼をやっぱり自宅が落ち着くだろうと思い
連れて帰った。自宅に着くと
フラフラする後ろ足を一生懸命に引きずりながら、
トイレに入り一生懸命に ようをたしている様子に
「良かった。連れて帰って・・・・・・」と 心底思った。
私は今、また彼から多くのことを教えられている。
彼と暮らす中で私は日々沢山の気付きを得、
彼に 育ててもらいながら
共に成長をしていると思っている。
私は今、大いなる存在に、
私の中の【強さ】 を 試されている気がする。
元々、私はシャカリキになって「商売を致します!」
というタイプではないので、この秋、様々な流れの中で
『風の伝う道』をOPENしたものの、
【書】をご注文下さったお客様方から後日、
有り難い感謝のお言葉を頂戴しても、
そのご感想をブログには載せてこなかった。それは、
自身の作品を売る為の戦略や宣伝になってしまう、と
私自身が感じていたからなのかもしれない。
私は何より、媚を売ることは好きではないのだが、
「作品達はご縁のあった方の元へ自然に行く事になる」
という事を、私自身の深い部分は知っている、
何故か、そんな気がするのである。
たまたま私のブログにお立ち寄り下さった方が
著名人ではない私の【書】や作品に惹かれ、好きと思い
更に心動かされ、そこにシンパシーを感じて下さったら
ご注文下さる、という この有り難い自然な流れを
今後も大事にしてゆけたら、と思っている。
マイペースな私にとっては、緩やかに少しづつ
浸透していくのが丁度良いテンポであるのだが、
有り難い事に最近【書】をご注文下さる方が増えている。
それは私1人の力ではなく、陰乍ら私を応援してくれる
友人の見えない尽力のお陰でもあると受け止めている。
今、自身の筋肉の付き具合を、
見えない大きな力によって試されているのを
感じる瞬間が多々あるが、そんな時、長年信頼し、
数年前には自身のスピリチュアルな学びの師となった、
ある方に思いを馳せる事が多くなった。数年前、
学問として正しくスピリチュアリズムを学ぶ機会を頂いた私。
20代の私は不思議な事や哲学的な分野や、
心理学などに興味を持ち、誰に薦められるでもなく、
好んで心のおもむくままに普段から、
そのような分野の書籍を沢山読んでいたが、
ご多聞分にもれず、20代の女性の大半の関心ごとが
恋愛であるように(?) ご縁あって
ある方(のちに私の師となる方)と出逢った頃の
20代の私は、自身の仕事のことや恋愛の事などを
主に相談していた。彼女は常に穏やかな笑みを讃え、
若かりし頃の私のウキウキ話しに耳を傾け、生れ持った
その類まれな霊能という能力でトツトツと、時に厳しくも
愛に溢れたメッセージを 届けて下さっていた。
今回 愛猫のことで、私は色々な思いを体験している。
冷静に、前向きに、と思っていても、瞬間的に
よからぬことをフッと考えそうになったりもする。
そんな時、何も考えずに どっぷりと
好きな本や、音の世界に浸かりたい、と思う。
けれど、何も考えたくないと思っている時でも
有り難い事にお客様からのご注文のメールは届く。
私が学んだスピリチュアリズムは、
聖人君子になる勧めでもなければ、
「霊能者たる者、かくありなん」的な
押し付け とも全く異なる。
悲しい時にはただ泣き、怒りあらばただ怒り、という
人としてごく当たり前に感情を出す、という事にも
スポットが当てられている。
人というのは誰しも陰と光の両面を持ち合わせている、
つまる所人間というのは、そもそも皆、未熟であるが
それを未熟だから、と 自分を追い詰めることでも
責めることでもなく、
【未熟ならばそれを淡々と磨くのみ】という真髄を
私は、深く学ばせて頂けた。そしてまた、
生きていく上で、気がかりな問題に直面しても
まずは、それを一旦棚上げにし (横に置き)
今、しなければならないことに集中する・・・・
そんな風なことも教わった。
私は今、愛猫を通し師から学んだこの大切な事を想う。
そして、霊能者である以前に、ご家族もいらっしゃり、
ごくごく普通の暮らしをなさっていた、現在の師も
当時、ご自身のことでは 日々様々な葛藤や
諸々の出来事に胸を痛める事もあれば、
哀しみにくれた日もお有りであったのではないか、と
想像する。
ご相談者と相対する時には、ご自身の問題は
一旦横に置いておき、何事もなかったように
穏やかで柔らかな笑顔を讃え、悩みを抱える方々の
心に、そっと 光ある言葉を届けてらした、否、
現在も変わらずに 届け続けていらっしゃる。
その、深い思いと ゆるがない 強い信念を、
私は改めて 尊敬している。