つまるところ
心とココロが 通いあう関係(あいだがら)には
計算が働いていない・・・そんな風に思わされます。
目に見えて分かるような誰それさんの立場や地位だとか
つきあうと自分にとってメリットがあるから仲良くしようとか
ココロの片隅に そんな思いの欠片が
チラチラと見え隠れしていたら
その関係は・・・・
あのヒトのそばにいると 得だから・・・・
せっせと貢物をするのは目をかけてもらえるから・・・・
きっと 引き上げてくれるから・・・・
ほんとは貢物なんて 全く必要ないような
あらゆる面で豊かなヒトにはドンドン贈り物をし
自分を印象づけるアピール力のあるヒトのことを
賢いヒトと呼ぶのかどうかは定かではありませんが
人に関わらず 本来手を差し伸べる存在というのは
様々な意味において サポートを必要としている
弱き存在なのではないのかな と、私は思うのです。
誰かの力を借りずとも 潤い続ける力のあるヒトに
「はいはい~これもどうぞ」と今迄上に向けていた目線を
意識してちょっと ずらしてみると
色々な光景が広がっていることに気づき
声なき声が聴こえるように思うのです。
あ、見たくなかったな・・・・あ、見てしまったな・・・・と
時々 心が傷むことがあります。
それは ヒトの立場(背景)によって
時にとても分かり易く 時に分からないように
接し方や おもてなし、差し出すものを変える人を
目の当たりにしてしまったときです。
見ず知らずの人がしていたら全く反応しないことも
関わりのある人だからこそ驚いてしまう。
けれど、そういう場面を見せられる中で
自分は大丈夫だろうか?
力なき存在や 権威ある者に対して
威張ったり、媚を売ったりなどせず
変らない態度で接しているだろうか?
ぞんざいになってはいないだろうか?
そう、我を振り返り内観します。
今日、久しぶりに
ある方のブログに立ち寄ったのですが
何気ない日常の出来事が愉しく綴られた記事に
ふわっと ココロ温まりました。
また、ご自身のお仕事のメニューを
お客様の立場になって丁寧に分かり易く
書いていらっしゃるのを拝見し
彼女らしくて ステキだなぁ~と
やはり心温まりました。
読書の秋、素敵な言霊が溢れた書籍を
数冊並行して読んでいます。
さぐり合う必要のない、
ある意味無防備に素地を出せる関係性や
目に触れるもの、聴く音や言葉に至るまで
自分で選び取れるものは、やはり
優しい余韻と心地良さがふんわり残る方を
チョイスしてゆきたいと思います
書籍もSNSも、思いやりや温かさに包まれた
優しい言葉溢れるものからは
素晴らしいエナジーが解き放たれているので
元気のお裾分けを頂いています。
私も紡ぐ言葉を丁寧に 大切に 温かに
あらわしてゆきたいと、思いました
みなさまの お幸せを祈って
よく 「自分の周りには ろくな人が居ない」etc・・・・と
ぼやいている人がいますが、それは
「自分はこんなにつまらない、ろくでもない人間です。」と
自分のことを言っているのと同じである、と
随分前、映像を通してある方が
言ってらしたのを聞きました。この言葉を聞いた時は、
抑揚をつけながらそう話されたその方のユニークな表情が
印象的で言葉よりもそちらに微笑んでしまったのですが、
今春、色々な書籍を読み返す中で、
「全ては自己責任」というこの深くシンプルな言葉の意味が
ようやく理解できた、というか、ある瞬間
あ と 腑に落ちた次第です。
お味噌汁もそうですが、シンプルなもの程 難しい、
私自身の体験になぞらえてですが、
ほんとうに そのように思わされます。
肉体を纏った人間なので、
誰しも感情の起伏はありますが、それでも日々、
安定した気持ちが持続し、穏やかに
投げやりの荒々しい誤解を生むような言葉ではなく
聞いていて気持ちよい、心がスッと洗われるような
あたたかで優しい言葉で話し、ありがとう、と
感謝言葉を忘れず 沢山使っている人の周りには、
確かに 素敵な人たちがいつも集まっています。
えっ?と 思ってしまうような人に
何日も続けて会ってしまったら、ただ運が悪い!と
片づけてしまいますか? それとも、
「相手に問題がある、とずっと思っていたけれど、
じゃあ、果たして自分もこの人と同じものを
発していなかったといいきれるの?
日々使う言葉や態度がぞんざいになり
投げやりで 粗くなかった?」と 今までは
誰それさんのせいだ!とか、運悪く…で
片づけていたことを 素直に自分の言動を省みて
内観してみると決して相手のせいだけではないことに
気付かれる気がします。
マラソンもそうですが 先頭集団から
あまりにも離れてしまうと、相手ランナーの姿であり
試合運びが見えません。分かりません。
人との関わりにおいても 同じような気がします。
一斉に「〇〇の学びの道」のスタートをきっても、
日々の意識や 練習、訓練次第で
レースには大きな差(ひらき)が出てしまいます。
癒えた筈の傷が 忘れた頃にシクシク疼くような
悪縁、という痛みを もし抱えていて その縁を
本気で 断ち切りたいと思った時は、
ランナーが日々、努力をし 走り込み、
先頭集団に入り、更にはうしろのランナーが
全く見えなくなるまで 引き離し
ゆとりの中で 自分のペースで走るように、
自己責任の元、わき目もふらず 鍛錬し続け
振り返った時 相手の姿はもう見えなかった、
となるまで、日々、自己鍛錬をし レベルアップして、
1度学ばせて貰った相手との学びは終了!と
相手と交わらないステージへ行く!と
自分が強い意志をもって決定することに
他ならないと思います。
膿んだ傷口のような悪縁を ずっと続けていく事も
「学ばせて頂きありがとうございました」
もう、同じ学びはしなくていいです」と、
スパッと自分で切る(完了)するのか、
どちらを選ぶのかは あなたの自由であり
どんな人を引き寄せたのかは自己責任であり、
あなたから放たれたものに共鳴して
引き寄せられた縁でもあるとおもうのです。
理想は皆仲良く、なのかも?しれませんが
元凶(重し)になっている相手と関わることで
イライラしたり、巻き込まれ 悲しくなったり、
結果無理をして ストレスがかかっているのなら
今生はこの関係を越えられなかったけれど、
次(来世)は越えよう!と 宿題を残しても
神さまは怒りません。神ではない私達は、
出来ないことが 沢山あるのは当然のこと。
出来ないことを 出来ます、と ごまかし
等身大の自分を放棄して形だけ大きく見せようと
カッコつける方がよほどカッコ悪いように思えてならない
そう思う どこまでも人間そのものの私です。
所用があり今日の午後実家を訪れると思いがけず
母から ↑こちらの黒と、落ち着いたピンク色の
ビロードのチョーカーを貰いました
アクセサリー好きな私。イヤリングやネックレス、
ペンダント(特に首にフイットするチョーカーが好き)
ブレスレットにバングル、指輪・・・どれも好きですが
華奢で小ぶりなタイプよりもパーツが大きく
(石も金属部分も)存在感のある物に強く惹かれます
華奢なタイプは長さの違う物を重ねづけしたりして
お洒落を愉しんでいます 年を重ねる中で
ラリエットに深い魅力を感じるようになりました。
閃きで生きていると言っても過言ではないワタシ(笑)
「こうするとイイかも!(お洒落かも!)」と閃くと
チャチヤッと手が自然に動くままに自身の髪を触り
気付くと幾重にも複雑に入り組んだ模様のような、
雅で不思議なヘア・アレンジが出来上がっています。
それは日本を含めたアジア諸国の史実を元に制作された
映像作品に登場する古人(いにしえびと)が
当時していたであろうヘア・スタイルを再現したものに
とても似ていたりします。
また外出前、スカーフを選んでいる時も「あ!」と閃くと
忘れないうちに 巻いたり結んだりを繰り返し
こんな風に日々装いを愉しんでいますが、
私にとってこういうひとときは至福であり 癒しであり、
「女性に生れてこれて本当に良かった~」と
しみじみ思う かけがえのない瞬間です。
お勤めをするようになると 自分へのご褒美に
時々、アクセサリーを購入し、海外旅行先でも個性的な
美しいフォルムや色に出逢うと心赴くままに求めました
話しが膨らんじゃいましたが、
首を装うアクセサリーの中では フイット感のあるチョーカーが
最も好きです。
以前、オーストラリアを訪れた時、opの1つ、四駆に乗り
砂漠をひた走るアドベンチャーツアーに参加しました
蛇行しながら砂漠をかけぬける車内では
足元にスプリングがついているかのように、
身体が上下し、キャーキャー黄色い声を出し(私も)
スリル満点のツアーでした。車から降りると今度は
サラサラ キラキラ光る砂の上に降りなだらかな斜面を
滑り降りました。(お尻の下に薄いボートを敷き
滑り降りる、スキー場でソリ遊びをするような感じ)
この時、すごく気に入っていて
身につける機会がとても多かった厚みも存在感もある
シンプルだけれどウェービーなフォルムが実に美しい
(彫刻の森に似たオブジェがあります)
プラチナのチョーカーを 滑り降りているさなか、
砂の中に落としてしまいました
チョーカーは 留め具のあるタイプの物ではなく
バングルのような造りで、数cm開いた部分から
スッと首を入れるタイプの物でした。バランスを崩し
一瞬砂に埋もれた時に外れてしまったのでしょう・・・
移動時間がタイトに決められているツアー。
見渡す限りの砂山は少し動くと足元を呑み込みます。
それでも集合までの数分間、滑った所を探しましたが
やはり 見つけられませんでした
以来、オーストラリアの地に置いてきた
チョーカーに似た物には未だ出逢えてはいません・・・・
この1年程、金属以上に、布地のチョーカーが
とても気になっていました。
最近も ふと、チョーカーが脳裏をかすめました。
すると今日、私とは対照的に 交友関係が広く
友人、知人の多い母が、
最近知人から貰ったというチョーカーをくれました。
(母はチョーカーをするタイプではありません。)
「わ~。嬉しい。お母さんありがとう。」
好きな色の1つでもあるピンク色と
何にでも合わせ易い黒。
両端は華奢な金具で留められていましたが、
首の後ろで自分でリボン結びするシンプルなタイプ
最近、アクセサリーBOXを整理する中、頂いたり、
購入したり、自分で作ったものの、
それらに合うものが中々なく、仕舞ったきりの
複数のペンダント・ヘッドに目がいき、
意味があり この世に生まれたもの・・・・
何とか使ってあげたいな、と思っていました。
そんな時にタイムリーに貰ったのがこの2本でした
ティーンの頃からヘアをアレンジする事が好きだった私は
バレッタなどのヘア・アクセサリーに留まることなく、
色んな素材、色んな柄、色のリボンを集めていました。
今回母から貰った幅とは異なりますが同じくビロードで
金色や銀色に縁取りされた数種類を
持っていたのですが このように細いビロードを使い
ヘッドをつけてチョーカーにという発想はありませんでした。
ペンダント・ヘッドにチェーンがついていた物もありましたが
壊れたり、劣化したり・・・・ここには載せていない、
独立したネックレスやペンダントタイプと異なり、
このままでは活躍できない子たちです。
この中には 初の海外旅行で訪れたオーストリア、
ウィーンで購入した 思い入れのある物もあれば
大切な方からお誕生日に イヤリングとセットて頂いた
彼女お手製の貝殻の 周りを金色で縁取りした
世界に1つだけの素敵なペンダントヘッドもあれば、
ビーズで作った 私の作品の一部もあります。
子供の頃から王冠や蝶のモチーフは大好なので
これらは以前 旅行先で求めました。
いずれも、使いたいなぁ・・・と思っていながらも
それらに見合うお衣装がありませんでした。
けれど、今日、思いがけず母から貰い、
ここにある子たちにピッタリと嬉しくなりました。
他にもピンク色のスワロフスキー・ビーズで作ったハート形の
携帯ストラップや↑この雪の結晶とお揃いで作ったリングは
作ってすぐに愛用していたのですが
ヘッド達はお蔵入りでした。
ここには載せていませんがビーズを使い一時期
ヘッドに留まらずブレスレットやネックレスなど沢山作りました。
多様な形のビースを織り交ぜテ作った長~いラリエットは、
金色バージョンと銀色バージョンの2つを作り
首にクルクルと無造作に巻いたりして
今でもよく使っています。
この3点のペンダント・ヘッドは大好きな四葉のクローバーと
(4色のハートで作っています)
大好きな雪の結晶、適当に作って出来た
大好きな緑色と黄色の混ざった色合いのビーズで作った
アートな雰囲気のお気に入りのモチーフは、上から見ると、
リボンの形をしています
今まで日の目を見なかった このこ達をもう少しハッキリと
お披露目してあげたかったので
お気に入りのレース店で購入した
ロココ調のレースがあしらわれたネイビーのハンカチの上に
天使と一緒に写しました。
ビロードのチョーカーに これからその時々の気分をのせ
装いに合わせ かわりばんこに活躍してもらいます
みんな、お待たせ~ これから宜しくねっ