「クレバー」ってこういう事を言うのかな。
朝日新聞夕刊で不定期連載されている、スケートの清水宏保さんの「ロケットトーク」というコラム。いつも感動しながら読んでます。時に号泣。お気に入りの回はスクラップしてあるほど。
いつも「ズバリ」と大事な事が、飾らない言葉で書かれてあって、アスリートのみならず社会人なら読んで欲しい。そう思います。
今回は「下降期にこそ学ぶべきもの」。
20代後半に入ったスポーツ選手にとって、ピークを過ぎ下降していく自分とどう付き合えばいいか。一見悲しいような現実ですが、実はこの「下降期」こそが「収穫期」ということです。
「そのスポーツをすることで、精神的に何を得られるかを考える」ことこそが、その後の人生に大きくかかわってくる。
清水さん自身も、「五輪金メダル後は、自分の人格形成期だった」と語ります。だから、若い上り調子の頃と違って成績が出せなくても、実はこの下降期に培うものこそが大事なのだということ。
なんて良い響きなんでしょか。「収穫期」って。衰退しているように見えて実は一番良い時期なんて。
清水さんは今、大学院で勉強しながら、将来はスポーツ健康学などの分野で後輩に貢献出来るよう準備中らしいです。
この前の回のコラムは「僕は30分間以上、直立していることが出来ない」でした。びっくり。
現役時の怪我の影響で立っていることが出来ないらしく(多分、動いているのは大丈夫なのでしょう)、それは生涯治らないということです。
そこまでして体を犠牲にして…メダルって獲らんといかんのかな。と素人は思いますが、その現実を受け入れて、折り合って前向きに生きていくこと。それを知ることこそが大事だったのでしょうね。
「ボロボロだからこそ次に進める」という回も号泣しました。
柔道の金メダリスト、野村忠宏選手とメールを交わす仲らしいですが、「もう功成り名遂げたのだし、美しい時期に引退すれば」という周囲の声に反し、なぜ野村選手が負けても負けても現役を続けるのか。その気持ちがよくわかる、ということです。
清水さん自身も長野五輪金メダル後、成績上ではふるいませんでした。
長い長い低迷が続き、「なんであそこまで行った人が潔く引退しないのか?」と、私も不思議な気持ちでした。怪我もあるし若手は出てくるし、スポンサーにも苦労してるようだし。。。
でも、コラムのこの記述を読んでガーンと来たのです。
「ボロボロになるまでやらなければ後悔する。やり尽くした、と思えるまでやることが、(自分の人生の)セカンドステージへのモチベーションになる。そのことで、過去(の栄光)にすがることが無くなる」
そうだったのか!
世界一にまで行った選手でも、いつかは「第二の人生」に舞台を変えないといけないわけで、でもそこでの自分は果たして成功出来るのか否か、全くわからない。
それまで競技人生一色だった人が、未知の分野に飛び込むのですから、「えいっ!」とジャンプするにはハンパない勇気が必要なのだ、と。
「まだ俺はやり残したことがある」「まだ俺は力が残ってる」とモヤモヤ思いながら引退してしまうと、次へ行く勇気がそがれてしまう。だからついつい「俺は金メダリストだし…」と、過去の成績にすがりつくことになる。
とことんやり尽くしました!一滴も力は残ってません!終わりました!
…と自分で納得出来たなら、心残りなく次へ行ける。ジャンプ出来る。
一番の頂点で栄光のまま引退する人もいるけれど、「もう無理」と思われても何年も現役を続ける人も多いのは、きっとこういうことなのだろうなあ。。。。納得しました。
清水さんが書いていることって実は、大ちゃんが最近言っていることと、すごくかぶる!
「今からソチ五輪までに経験することは、今後の自分の人生にきっと生かされる」ということは、まさに清水氏曰くところの「収穫期」を指すし(今が大ちゃんの「下降期」とは思わないけど、少なくとも「若手伸び盛り期」ではない)、「自分はまだやれると思う。このままでは終われない」というのも、「やり尽くしたと思えるまでまだやっていない。自分自身まだ燃え尽きていない」ということだし。
きっと二人は喋った事も無いかも、だけど、いつか対談して欲しいですね。
「清水宏保×高橋大輔」相通じるものは多いと思いますわ。
「アスリートは結果を出してナンボ」というけれど、それは選手本人だけが言っていい言葉。
外野が言う資格は無い。
結果が出ない時でも、きちんと収穫はあるのだなあ、ということがわかったから、なんか安心したというか「今、充実期なんだな。最良の時なんだな」と思えるようになりました。私はやはりファンだから、昔みたいに「勝って」「勝って」欲しいのはヤマヤマですが、今後、別の感性で捉える事が出来そう。
そう、私自身ももう、若い「ガンガンいく」頃ではなくなったので、最近戸惑う部分が多々あったのですが、仕事をやって得られる精神的なもの、「意味」を考えろということなのね。
スポーツでも芸術でも、後に残る「功績」や「作品」は確かにあるけれど、その人の人生自体は引退してもずっと続いていくわけで、そちらの方がずっと大事というか。いくら華やかな成績を残しても、空ろな人生では意味が無い。
清水さんのコラム、ホンマにええです。出来るだけなが~く読みたいなあ★
朝日新聞夕刊で不定期連載されている、スケートの清水宏保さんの「ロケットトーク」というコラム。いつも感動しながら読んでます。時に号泣。お気に入りの回はスクラップしてあるほど。
いつも「ズバリ」と大事な事が、飾らない言葉で書かれてあって、アスリートのみならず社会人なら読んで欲しい。そう思います。
今回は「下降期にこそ学ぶべきもの」。
20代後半に入ったスポーツ選手にとって、ピークを過ぎ下降していく自分とどう付き合えばいいか。一見悲しいような現実ですが、実はこの「下降期」こそが「収穫期」ということです。
「そのスポーツをすることで、精神的に何を得られるかを考える」ことこそが、その後の人生に大きくかかわってくる。
清水さん自身も、「五輪金メダル後は、自分の人格形成期だった」と語ります。だから、若い上り調子の頃と違って成績が出せなくても、実はこの下降期に培うものこそが大事なのだということ。
なんて良い響きなんでしょか。「収穫期」って。衰退しているように見えて実は一番良い時期なんて。
清水さんは今、大学院で勉強しながら、将来はスポーツ健康学などの分野で後輩に貢献出来るよう準備中らしいです。
この前の回のコラムは「僕は30分間以上、直立していることが出来ない」でした。びっくり。
現役時の怪我の影響で立っていることが出来ないらしく(多分、動いているのは大丈夫なのでしょう)、それは生涯治らないということです。
そこまでして体を犠牲にして…メダルって獲らんといかんのかな。と素人は思いますが、その現実を受け入れて、折り合って前向きに生きていくこと。それを知ることこそが大事だったのでしょうね。
「ボロボロだからこそ次に進める」という回も号泣しました。
柔道の金メダリスト、野村忠宏選手とメールを交わす仲らしいですが、「もう功成り名遂げたのだし、美しい時期に引退すれば」という周囲の声に反し、なぜ野村選手が負けても負けても現役を続けるのか。その気持ちがよくわかる、ということです。
清水さん自身も長野五輪金メダル後、成績上ではふるいませんでした。
長い長い低迷が続き、「なんであそこまで行った人が潔く引退しないのか?」と、私も不思議な気持ちでした。怪我もあるし若手は出てくるし、スポンサーにも苦労してるようだし。。。
でも、コラムのこの記述を読んでガーンと来たのです。
「ボロボロになるまでやらなければ後悔する。やり尽くした、と思えるまでやることが、(自分の人生の)セカンドステージへのモチベーションになる。そのことで、過去(の栄光)にすがることが無くなる」
そうだったのか!
世界一にまで行った選手でも、いつかは「第二の人生」に舞台を変えないといけないわけで、でもそこでの自分は果たして成功出来るのか否か、全くわからない。
それまで競技人生一色だった人が、未知の分野に飛び込むのですから、「えいっ!」とジャンプするにはハンパない勇気が必要なのだ、と。
「まだ俺はやり残したことがある」「まだ俺は力が残ってる」とモヤモヤ思いながら引退してしまうと、次へ行く勇気がそがれてしまう。だからついつい「俺は金メダリストだし…」と、過去の成績にすがりつくことになる。
とことんやり尽くしました!一滴も力は残ってません!終わりました!
…と自分で納得出来たなら、心残りなく次へ行ける。ジャンプ出来る。
一番の頂点で栄光のまま引退する人もいるけれど、「もう無理」と思われても何年も現役を続ける人も多いのは、きっとこういうことなのだろうなあ。。。。納得しました。
清水さんが書いていることって実は、大ちゃんが最近言っていることと、すごくかぶる!
「今からソチ五輪までに経験することは、今後の自分の人生にきっと生かされる」ということは、まさに清水氏曰くところの「収穫期」を指すし(今が大ちゃんの「下降期」とは思わないけど、少なくとも「若手伸び盛り期」ではない)、「自分はまだやれると思う。このままでは終われない」というのも、「やり尽くしたと思えるまでまだやっていない。自分自身まだ燃え尽きていない」ということだし。
きっと二人は喋った事も無いかも、だけど、いつか対談して欲しいですね。
「清水宏保×高橋大輔」相通じるものは多いと思いますわ。
「アスリートは結果を出してナンボ」というけれど、それは選手本人だけが言っていい言葉。
外野が言う資格は無い。
結果が出ない時でも、きちんと収穫はあるのだなあ、ということがわかったから、なんか安心したというか「今、充実期なんだな。最良の時なんだな」と思えるようになりました。私はやはりファンだから、昔みたいに「勝って」「勝って」欲しいのはヤマヤマですが、今後、別の感性で捉える事が出来そう。
そう、私自身ももう、若い「ガンガンいく」頃ではなくなったので、最近戸惑う部分が多々あったのですが、仕事をやって得られる精神的なもの、「意味」を考えろということなのね。
スポーツでも芸術でも、後に残る「功績」や「作品」は確かにあるけれど、その人の人生自体は引退してもずっと続いていくわけで、そちらの方がずっと大事というか。いくら華やかな成績を残しても、空ろな人生では意味が無い。
清水さんのコラム、ホンマにええです。出来るだけなが~く読みたいなあ★