シニア1年生、大ちゃんは02年12月の京都NHK杯にエントリー。
そしてかなりヒッソリと(笑)、あの・あのジョニーも名前があったのですよ。でも殆ど誰もジョニーを知らんという。
私はこの時、近場という事もあったのですが「エイヤッ」とチケットを獲りました(男子SPの日のみ。FSは完売)。
お高い割にはえらい遠いS席。この頃はまだ写真撮影がOKだったので、自分の貧相なカメラで試みてみましたが、元々豆粒な大ちゃんがさらに豆粒化するという。カメラ放棄。
ジョニーは直前のロシアカップを病気で棄権してしまい、このN杯も、あああ会場で「欠場」を知らされました。悲しーい。涙出そう。パンフに写真まで載っているのに。むなしい。
もっともこの当事、私の心はかなりヤグディンの引退問題で揺れており(引退か続行か瀬戸際だった)、あまり現役選手の動向に情熱的とは言えませんでした。
この大会の本命は当然のごとく本田君でした。対抗馬としてジェフ、チェンジャン・リー、クリムキン、田村ヤマト君、などなど。
さて後の世に
クリムキンの奇跡(K嬢命名)と語り継がれている、この02年N杯ですが、SP2位につけていた彼が、「サニーボーイ」という個性的なFSで逆転優勝しちゃったのよね。誰も予想してなかった(!?)
4回転は2種類持ってたり、スピン・ステップで多彩なワザを見せ、天才肌のクリムキンでしたが、いつもミス多発で基礎力の弱さを指摘されていました。ヤグ、プル、アブトというロシアの同僚に隠れて、なかなか日の目を見られなかったのです。
本田君も悪くなかったけど、SPはともかくFSでミス多発。格下と見られていたクリムキンにトロフィーをかっさらわれてしまいました。
苦節○○年、GP初優勝で泣いていたクリムキン。思い出してもウルウルします。
なんなんでしょうか。優勝する選手って「黄金のオーラ」あるよ。体から発散する何かが違うの。私は、SPで3アクセルを転倒しながらも「何か」が違うこの大会のクリムキンに、ビックリしてしまった。
GP、GP、と簡単に言いますが、生涯に一度も優勝できずに終わる選手のほうが圧倒的に多い。しかも地元ロシアでなく遠い遠いJAPAN。だから感激もひとしおだったことでしょう。
しかし、クリムキンはイカかタコかっつうくらい体が柔らかだったな~。「静香バウアー」も簡単に出来るよ、きっと(笑)。
この時代、男子はもうほぼ全員、4回転に挑んでいました。
挑まなきゃ話にならん。…というムードすらあったわ。
降りるか降りないかはともかくとして、ジャッジの心象を良くするためには、「ほれ、私は4回転ジャンパーよ」というアピールが必要でした。トップ選手を目指すならば。
有望新人はまずN杯でデビュー、それが日本の慣わしですが、お兄さん(おっさん?)達に混じり、目のデカい小柄な少年は緊張気味ながらも、リンクに出ていきました。スイスイスイ~。ああ、あの子だ。「滑るように滑る」高橋君だよ~。
ウォームアップの6分間、なぜか日本男子はことごとく私の目の前のコーナーで4回転を跳ぶのです。すごいー。迫力―。着氷の時、「ドーン」と大きな音がする。
大ちゃんはヤマト兄貴にくっついて、SPですでに4トゥに跳むのだ、という事が判明しました。
挑戦するその姿は凛々しい。しかし、兄貴も弟も明らかに回転不足で、これはきっと練習での成功確率も50%いってないよ…と思わざるを得ないのでした。ヤマト君転倒、大ちゃん転倒。一度も成功なし。
本田君は、アップでも綺麗な弧を描いて悠然と4回転を跳んでいました。この頃は体も絞れていて、五輪4位、ワールド3位の自信からくるのか、余裕と貫禄に満ちていました。
あと、中国勢は高く美しい4回転をまったく失敗しない。クリムキンも好調。
ジェフは…ジャンプ不調。このN杯はジェフのスランプ時でした。観客席もな~んとなく冷えこんでいたのを、マザマザと思い出します(泣)。
でも翌年のN杯、「サム&デリ」を得て根性で優勝したのよね。この02年の落ち込みがバネになったのだ(!)
大ちゃんのSPは「ヒーローズ・シンフォニー」という曲でした。
後にビデオを見返した際思ったのですが、スタートに着いた時の
「高橋大輔っ!トリノの星っ!!」
…と、叫ぶアナウンサーの声はひときわデカかったような。
なんかもうこの辺から、周囲のプレッシャーが既に重くのしかかっていたような…(私の被害妄想か)。
ウォームアップの通り(?)4トゥは失敗。実は初観戦の緊張からか、他のジャンプは余り覚えていないのですが、全体にやや硬く良くない出来。でも、スピードのあるディープエッジは、やはりやはり大ちゃんそのものなのでした(SP10位)。
振付が、美姫ちゃんの04年「火の鳥」を担当した、リー・アン・ミラーという有名振付師のものなのですが、良く言えばオーソドックス。悪く言えば「可も無く不可も無く」。
大ちゃんはスケートが良く滑るのに、その魅力が全然発揮されていない~。
「何を表現したいのかが見えてこない」感じで、演技に入りこめていないようでした。
リー・アン・ミラーに振付依頼をした動機がわかんない。当事の連盟の指図に従っただけなのかなあ…憶測だけど。でも印象うすかったの。正直。
衣装も黒の半袖にタテのライン(オレンジと青。あ、ゼブラーマン色だ)が入っただけの、な~んの変哲もないデザインで、地味なの。
キス&クラでやっと緊張がほぐれてきたのか、
「あ、あ、あ~。テレビだ!テレビに映ってる~。
わあい♪」
と、照れた笑顔が見えました。大ちゃん、やはり世慣れていない事がまるわかり。場内は年若い少年のおぼこい仕草に、「なはははは」と笑いが起こりました。
しかし点が出ると神妙な顔に。4点台がほとんどだ。厳しー。まま、シニアデビュー16歳としては、まずまずまっとうな評価です(いつも芸術点はやや上がるので、すこし表情がゆるむ)。
「この子は今にチャンピオン級になるんよ!覚えといてや!」
私は隣の友のわき腹をどつきました(今、この友人は全く大ちゃんを覚えていない)。
翌日のFSはTV観戦なのでした。
「黄金のオーラ」をまとったクリムキンは致命的なミスも無く、SPの勢いそのままに優勝。
大番狂わせで、このとき本田君は、連盟のエライさんに散々たたかれていたような。私はひたすら気の毒でした(確かに楽に優勝できる状況ではあったが)。
大ちゃんのFSは「スターウォーズ」サントラからの曲でした。「雄大な世界を表現したい」とのことでした。が、余り…うーん。
やはり前半はジャンプミスが多くて(ここでも4回転に挑戦)、やっと緊張がほぐれてきた後半は流れが良くなっていました。五十嵐さんも、後半はホメてたっけ?でもとにかく印象薄かったの。すんまへん。私にとってはPGが凡庸だったの。覚えてらしゃる方はどうぞコメントをお願いします。
大ちゃんはいつも前半は緊張しててミスが多いような。後半は良くなるの。でも、大抵、4回転とか大技は前半じゃないですか。だから後半・終盤に4回転をもってきたら…と思うのですが、そうなるとスタミナが(笑)。人生ってうまくいかへんな。
FS衣装は、袖のふくらんだ白ブラウスに濃紺の刺繍入りベスト。「いにしえのフィギュア王子」的でした。SPに比べたらゴージャス度ややアップ。
「王子様になりたいのか」「ヒーローになりたいのか」「コメディアンになりたいのか」「ゲージツ家になりたいのか」…方向性がまったく見えず、私はやや困惑してました。
本音を言えば、大幅に成長したトコロを見たかったのです。なんせ若いし。
世界Jrの演技がとても良かったので、「もっともっと」と過度に期待していたのでしょう。いや、うぐいすよ、1年で答えは出ないって。
そしてまた、「振付師との相性が悪いのよね。そうよね。うんうん」と私は自分で答えを出し、自分を納得させました。
来季は誰の振付がいーのかしら。このままじゃ困るわ…。もんもんもん。
ドイツ杯ではプルシェンコと闘い(まだ“闘い”になってないけど)11位。
N杯は、ヤマト兄貴の7位にに次いで総合8位。
全日本はSP2位ながら、FSで崩れて4位(このFSも余りよくない出来~)。
トータルで考えたら、シニア1年生としてはまずまずなのでしょうか。まだ緊張で試合慣れしてない~という。彼にとっては「テレビの向こう側の世界」が、現実の世界になっちゃった、という。そのギャップに慣れるため奮戦してる印象でした。
この頃の大ちゃんは「おとなしそうな普通の高校生」というか優等生的でした(私にはね)。
ええ、おメメは相変わらずパッチリ。でも今より睫毛が短いような気が。何故に。
あとでいろいろ記事を読んでいたら、この年の夏も本田君にくっついてカナダのダグ・リーのもとへ修行に出ていて、ここで4回転の跳び方を変えてから跳びにくくなってしまい、悩んだ末に元の跳び方に戻したとか。そのへんでロスもあったのでしょうか。
しかし、本田君は大ちゃんを遊びに連れ出したり、あれこれメンドーをみてくれていたようね。ジャージのお下がりくれる仲だけあるな~。
…大ちゃんをもっともっと輝かせる
PGがきっとあるはず。どうしたらいい…と、やや切なく思っていたらばその次のシーズン…(つづく)。