WFS最新号の野辺山レポで、大ちゃんの「見~た~な~^^;」の写真がありますね。「バチェラレット」のラストポーズ。好きやわ。
あのポーズは撮影しやすいのか、そこここで見られましたが(イタリアショーの写真も白眉ね)、私、アレを見る度に「サロメやなあ…」と思うんです。
ヨカナーンの首を持つサロメ。
血がしたたるの。そしてその首(顔)に接吻する。
あれは「首」を持ってるように思えて仕方ないのです。私には。
ワイルド(だよな)の戯曲は読んでませんが、バレエでかなーり前に、パトリック・デュポンというフランスのダンサーが「サロメ」を演じていたのですね。サロメは女性なんで、トーゼン女装ですね。ごっつい筋肉モリモリの体でスカートはいてました。振付は「ボレロ」で有名なモーリス・ベジャール。
この舞台がなかなか強烈で、今でも、首を持ったデュポンの白塗りの不気味な笑顔を思い出します。「哄笑」というか、あざけるような笑い顔。最後は、自分で自分の首に接吻しちゃうかのような。
あのバレエを思い出す!
そして、ビアズリーの「サロメ」の挿絵も浮かんでくる。
愛する余りに殺してしまうかのような、でも愛している対象は実は自分。残虐で屈折していて。あのワンショットからは、そんなものも感じられる。
みやけん氏と大ちゃんの間で、どのようなやりとりがなされて、ああなったのか?…いや案外、しょーもない理由だったりして(笑)。
まあ、そんなことはいいんですが。
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DOIで最初に大ちゃんの新作「バチェラレット」を見た時は、「んんん~?」だった私ですが、その後、FOI→PIWと短い期間で変化していく過程を見られて、なかなかに興味深かったです。やっぱり「芸術探求」です。「アイスショーをお気楽に楽しむ」モードにはなり得ませんでした(笑)。
最初は「暗闇で…または深海の底でうごめく生物」だったモノが(あるいはホタルイカが)、FOIの最終回で「悲しみの錆びたナイフは空(くう)を切る」となり(?)、PIWでは「死の世界を彷徨う若者は、再びそこから蘇生する」…とまあ、こうなりました。はい、わけわからんね。わかわからんよ、うぐいす。いーのよ。自分のブログだし、恥かいてもいーのよ(笑)。
FOIの時はね。ライサチェク「カルメン」の後だったからか「迫力!」→「迫力!」と、男性パワーが続いて、とても流れ的にも良かったと思うのです。大ちゃんはやっぱり「内に向かっていくパワー」な所が、ヤグディンにちょっと似てる。ライサはプルシェンコ的というか、わかりやすい「派手」。どっちが好きかは、人それぞれなんだと思いますが。なかなかこの、二人の対照的な色合いも見ものでした。
なんか、あの時は「ピーン」と張り詰めたものが動きの一つ一つに込められていて、見えない敵と闘っているようにすら見えた。ナイフを振りかざして攻撃してはいるんだけど、結局は自分で自分を切り刻んでいるかのような。だから「ケモノ」に思えたのかな?
DOIの時、私は「面白いな~綺麗だな~。大ちゃん、“舞って”いるな~」とは思ったけれど、肝心の「ダンスの核」みたいなものは見えてこなかった。だからすーごい、抽象的なモヤモヤとしたものだけ、持って帰った。
でも、FOIでしっかり「ダンスの核」が見えてきて、「あー大ちゃん、この踊りが体の中に入ってきたんやね?」と思えた。
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プリンスで見た時は、あまり調子自体は良くなかったのかな~とは思うんですが、少なくとも「ナイフを振りかざして」いるようには見えなかった。
半ばでサーキュラーステップ的に踊る部分が増えてて、その箇所がですね。「死の世界を彷徨う」ように見えました。御本人曰く通り、低い姿勢が多いせいでしょうか。決して「元気ハツラツゥ!^▽^」と、天に向かってアピールする動きではない(笑)。
「わー。さまよってるわ。さまよってるよ。この若者はどうなるんじゃろか。」…と、おののく私。暗闇の世界だよなあ~。後に照明ナシのバージョンも、Yのつく動画サイトで見ましたが、やっぱり体のまわりを「闇」が、まとわりついてるよーに見える。
でも、「死の世界」から輪廻転生でまた蘇る、と思ったのは、大ちゃん自体が若いせいでしょうか。滑りが若い、というのはやはり否めないのよ(笑)。この場合の「若い」ってのは「青くさい」意味ではなくて、「生命感がしっかりある」そういう意味です。
だから、「死の世界なんだけど、ドクドクと赤黒い血が地下鉱脈のごとく流れてる~」そんな感じさえあったプリンス公演。
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なんか、不思議やねえ。
ランビエールの「ロミ&ジュリ」だったら、「ああ、素敵やったね~(ポッ^^)」と、一度見ておおいに納得して帰ってきて、ある意味そこで完結してしまう。技術も魅せ方もパーフェクト(に近い?)。であるが故に、そこから拡げようが無いというか、私が絵を描いているせいかもしれないけど、イメージが膨らんでいかないんですね。
でも、大ちゃんのこのナンバーって、はっきり言って未完成な部分がいっぱいあるから、「ああかな?こうかな?」って妄想をたくましくして、「エイッ!」と自分を引き上げないといけない。自分自身をエモーショナルにせざるを得ないというか。
完成していないから、「次に見た時はどうなるんだろう!?」と「もう一度見たい」欲が湧いてくる。「もう一度」「もう一度」…と。こうしてドツボに嵌っていくんですね。あーこれって、みやけん+大輔の「思うツボ」かな(笑)。
★つづく(まだ続きます~ひゃあ^^;)